【20】『半兵衛の城』
真っ暗闇の中、関東衆が菩提山を登ってくる。
見えている訳ではない――。これは戦人としての勘なのだ。
関東衆は長政率いる黒田軍によって、巧妙に菩提山へと追い込まれた。
登山口を探っていただけあって、関東衆も淀殿が山頂の菩提山城にいるという事は、すでに知っているはずだ。
――もはや淀殿を討つ以外に、本懐を遂げる道はなし!
関東衆はその一念で、倒れそうな体に鞭打って、菩提山城を目指しているに違いない。
その気迫が、空気からひしひしと伝わってくるのである。
「私は二の曲輪に入る――。矢足は三の曲輪から、イタチは大手曲輪の側面から、関東衆を西へ追い込め」
「御意」
「まかしといて!」
左京の指示に、矢足とイタチが持ち場へと去っていく。
「さっ、私たちも行きましょう」
移動を促す左京に、
「左京。一つ聞いてもよいか?」
と、淀殿は神妙な顔付きとなる。
「なんでしょう?」
「お前は、これから関東衆を寝返らせるのじゃろ?」
「はい――」
左京は落ち着いた声で答えるが、
「もし、彼奴が応じぬ時は――?」
淀殿はそう言うと、不安を隠せない。
左京の策は、関東衆を寝返らせる事が大前提だ。
裏を返せば、肝心の関東衆が、寝返りに応じなければ意味がない。
だが左京を含め、これまで誰一人、その点について触れていない。
今さらといえば今さらだが、淀殿はふとそれに気付いてしまったのだ。
すると左京は、「ああ、その事ですか」と言わんばかりの顔になると、
「その時は――、この菩提山城で一人残らず討ち果たします」
あっさりと、そう言い切った。
静かながら凄みのある物言いに、淀殿は息を呑む。
もし策が成らぬ時は、一切の禍根を残さない――。それこそ左京たち、武士の大前提だったのだ。
その末期とはいえ、左京も戦国の世を生きてきた。
得手不得手はあろうが、相応の武術は矢足から仕込まれてきたに違いない。
もちろんをその手を、血に染めた事もあっただろう。
現に股肱の臣を救うために、左京が迷わず人を殺めた事を、もう淀殿は知っている。
解策師とはいえ、左京も歴とした戦国武将だったのだ。
それが分かると、淀殿の胸から一切の不安は消え去った。
「左京――。武運を祈る」
心からの淀殿の言葉に、
「はい」
と、左京も静かな笑顔で応じる。
その時、南側の大手曲輪の方角から喚声が上がった。
「来たな――」
駆けていく左京の後に淀殿もついていく。
菩提山城は天下随一の軍師、竹中半兵衛の改修によって、小規模で単純な造りながら、構造は極めて複雑になっている。
まず城の大手門ともいえる大手曲輪への道が、空堀の様になっており、それが大手曲輪の背面を通るという、常識では考えられないルートに、まず関東衆は足を止めた。
「な、なんだこの城は……」
関東衆から動揺の声が漏れる。
大手曲輪の前面も、切岸と腰曲輪が連続しており、容易に突破できそうにない。
右手は斜面を巧みに削った断崖になっている。
その上に、左京のいる二の曲輪、さらに本曲輪があるのだが、強引にそちらに向かうのも、あまりにリスクが高いと思われた。
自然、関東衆の目は、やや開けた左手の方角に向く――。そこを見計らって、イタチの指揮により大手曲輪から投石が開始された。
ただの石といっても、闇夜に頭上から降ってくる石は、関東衆の出鼻をくじくのに十分だった。
「西だ! 西に回り込め!」
統率者らしき男の声に、関東衆が一斉に西に動く。
その先には、歴戦の武人、不破矢足が陣取る三の曲輪があった。
「弓隊、放てーっ!」
矢足は号令をかけた後、
「当てるなよー」
と小声で呟く。
竹中全軍にも、左京の寝返り策は通達されている。
なので兵たちは、矢は射かけるものの、その狙いは的外れなものだった。
それでも投石に続く、矢が空気を切り裂く音は、関東衆にとって恐怖以外のなにものでもなかった。
結果、関東衆は三の曲輪の下に穿たれた、規格外の堅堀に次々と落ちていった。
「武器を捨てろ! 抵抗しなければ命は取らん!」
矢足の大声が、その真上から打ち落とされる。
それに戦意喪失した者は、その場にとどまり、まだ諦めない者たちは懸命に堅堀を登り、城の西側斜面へと到達した。
菩提山城は山城であるため、特に手を加えていない場所でも断崖レベルの急斜面であり、果敢に進む者、転げ落ちた先で動けなくなる者と、だんだん関東衆は数を減らしていく。
同じ頃、大手道を避けて西側ルートを進んでいた別働隊も、台所曲輪付近に穿たれた別の堅堀に進路を阻まれ、右往左往していた。
「なんとかあの帯曲輪から、城に取りつくんだ!」
また統率者らしき男の叫びが聞こえた。
彼が言っているのは、台所曲輪の下にある、城の通路も兼ねている腰曲輪の事であった。
確かにここを突き進めば、西の曲輪に到達し、そのまま一気に本曲輪まで突入できる可能性もある。
その点、関東衆を束ねる彼の戦術眼は正しいといえた。
だがここは天才軍師、竹中半兵衛の城である――。残念ながら、そんな常識論が通用するほど甘くはなかった。
「よし――」
見晴らしの良い二の曲輪から、戦局を観望していた左京が小さく呟く。
その時、いつの間にかイタチと矢足もその背後にいた事に、淀殿は驚いた。
「仕上げにかかるぞ」
そう言って、左京は西の曲輪に向かって歩き出す。
その姿に見惚れる淀殿は、
「ほら、淀の殿方様、行くよ」
と、にやけるイタチに言われて、慌ててその後に続いていった。
そして、わずかに残った関東衆が、ついに帯曲輪までよじ登った。
「よし、一気にいくぞ!」
統率者と見られる男が、仲間を鼓舞する様に抜刀する。
だがこの帯曲輪こそが、菩提山城における一番の罠である事を、まだ彼らは知る由もなかった。




