【19】『茶々』
「左京ーーーっ!」
という長政の叫び声が、菩提山の夜空にこだまする。
甲冑に身を包み、城内に出ていた左京も、これには苦笑してしまう。
だが、それが左京なりの不器用な喜びの表現だという事が、隣にいる淀殿にはハッキリと分かった。
同時に百キロの道のりを、本当に長政が来た事に驚いてしまう。
菩提山を遠巻きに囲む長政の軍は、篝火の数から見て、優に二百騎はいそうだった。
左京との話では、百騎もいれば十分だと言っていたから、これはまさに大盤振る舞いであった。
麓には幸徳が待機しており、今頃長政と合流しているはずだ。
しばしの静寂の後、
「黒田甲斐守長政、二千騎――、竹中丹後守重門の助勢にまかり越したりー!」
再び、長政の大音声が菩提山に響き渡る。
「に、二千とな?」
淀殿は呆然とするが、左京はケラケラと笑っている。
「長政のやつ、吹きまくったな」
左京の言葉で、淀殿もそれが長政の『偽兵の計』である事を理解した。
これは左京が幸徳に言付けていた事であったが、さすが長政は軍師の側面もあるだけに、スケールが大きかった。
左京たちは山頂から見ているため、長政軍の概要が分かるが、同じ平地にいる関東衆には、闇夜という事も相まって、長政の虚報が効いているはずだ。
そして黒田の兵が、一斉に鬨の声を上げた。
――おおおおおーっ!
それから、ゆっくりと篝火を振りながら輪を縮めていく。
このあたりも長政は駆け引きが上手い。
幸徳との打ち合わせの時間はわずかだっただろうに、その動きは完璧に左京の意図を理解したものだった。
長政に期待したのは、関東衆の撃滅ではなく、それを菩提山城に追い込むための『勢子』の役割であった。
それは見事に果たされており、二兵衛と呼ばれた、竹中半兵衛と黒田官兵衛の息子たちは、今まさに阿吽の呼吸を見せていた。
少し後、麓の岩手城の付近から、火矢が上がる。
それは追い詰められた関東衆が、菩提山城に登り始めたという合図であった。
「淀の方様。時をおかず、関東衆がここに来ます。本曲輪にお入りください」
戦局が動いた事を見定めた左京は、淀殿に避難を促す。
「嫌じゃ! 妾も左京と一緒におる!」
だが意に反して、淀殿は大きく首を振ると、キッと左京を睨みつける。
「退路を断たれた関東衆は、死にもの狂いで淀の方様を狙いに来ます」
「じゃからこそ、その妾が後ろに下がっておれようか!」
左京の説明にも、淀殿は動じる気配がない。
その気迫に左京も気圧されそうになるが、
「私は淀の方様を餌にしたのです――。だからどうか言う事をきいてください!」
と、自身の良心の呵責を交えながら、なんとか淀殿を説得しようとする。
淀殿はそんな左京の胸ぐらをグワッと掴むと、
「そなたは竹中半兵衛の息子じゃろ! それが策を打ったのなら、誰を餌にしようと何をためらう事がある⁉︎」
と毅然と言い返す。
これは淀殿の方が正論であった。
もし軍師が己の策に迷いを持てば、それは策ではなくなる。
たとえ左京が解策師であろうと、これだけは通さなければならない戦の筋であった。
「それにの――」
左京の胸ぐらを掴んだまま、淀殿は寂しげな顔になる。
「もう守られたまま、城が落ちるのはたくさんなのじゃ……」
「…………」
これには左京も何も言えなくなる。
小谷城、そして北ノ庄城――。共に淀殿は父と義父に守られながら、何もできないまま落城を迎え、燃え盛る炎の中を落ちのびねばならなかったのだ。
もちろん淀殿も、菩提山城まで落城するとは思っていない。
それでも、どうしても左京と離れ、奥に退く事が怖かったのだ。
「左京……、妾を守ってくれるか?」
淀殿が切なげな目で訴えかける。
それはまさに、あの半兵衛の居室でのやり取りの再現であった。
『あなたの事は――、何があっても私が守ってみせます!』
『左京――。それは豊臣の臣としてか? それとも、お前の一念か?』
あの時、左京はそれに答える事ができなかった。
だがもう左京に迷いはなかった。いや淀殿の真っすぐな思いが、迷いを吹き飛ばしてくれたのだ。
「淀の方様――」
左京は人目もはばからず淀殿の肩に手をかける。
「私は豊臣の臣、竹中丹後守としてではなく、竹中左京の一念で淀の方様を……、いや浅井茶々殿をお守りいたします」
「――――⁉︎」
あまりの事に、淀殿もハッとなる。同時に顔がボッと赤くなってしまった。
左京が淀殿を浅井茶々と本名で呼んだ。
それは淀殿を天下人の側室としてではなく、一人の女人として見た事になる。
それを己の一念で守る――。受け取り様によっては、まるで愛の告白であった。
「左京……」
「では茶々殿――。戦の間、私の側を離れないでください」
熱に浮かされた様な淀殿を、左京がまた茶々とハッキリ呼んだ。
これは夢でも幻でもない――。それが分かると、淀殿もすぐに正気に戻った。
「うむ。頼むぞ!」
いつもの様に微笑む淀殿を、いつの間にかイタチがニヤニヤと眺めていた。
その時、淀殿は不意に、
『左京はね、誰かを守ろうとする時、すごい力を出すんだよ!』
というイタチの言葉を思い出す。
そして、それが真実となる様にと願うと、肩に置かれた左京の腕をギュッと掴んだ。




