【15】『伊達(イタチ)』
「さ、左京が、お前の代わりに人を殺した――?」
イタチの言っている事が、にわかに理解できない淀殿が唖然とする。
「うん――」
淀殿の困惑などおかまいなしに、イタチは笑顔のまま頷いてみせる。
「それは、どういう事なのじゃ?」
淀殿が厳しい顔付きで、その内容を問い質す。
するとイタチは、
「あのね――」
と、何か自慢話でもする様に、自分と左京の過去について、嬉しそうに語り始めた。
それは竹中半兵衛が亡くなり、約三年の月日が過ぎた頃――。
当時九歳の左京は、家老不破矢足の次男で、八歳の不破伊達を従者として付けられる事となり、その顔合わせを行っていた。
元服前の左京は、菩提山城で従叔父の竹中重利の後見のもと、まだ部屋住み同然の身分であったが、矢足は教育の一貫として配下を持たせる事にしたのだった。
「オイラ、イタチ――。よろしくね、左京」
初対面からイタチは、主を呼び捨てにしたが、その憎めない屈託のなさに、左京も別段それを咎めはしなかった。
父である矢足も余計な口出しはせずに、左京にイタチを預けると、その日以来、二人は兄弟の様に生活を共にした。
イタチは忍びとしての天賦の才があったらしく、矢足から剣術、体術などをすでに厳しく仕込まれており、その能力はまさに神童と呼ぶにふさわしかった。
「たいしたものだな――」
飛んだり跳ねたり、時には霞の様に姿を消してみせるイタチに左京は感心し、またイタチの方でも、いつも手放しで褒めてくれる左京に、すっかり懐いていた。
そんなある日――、矢足がイタチの前に現れると、
「イタチ――。今から人を殺してこい」
と、表情も変えずに言い渡した。
隣にいた左京は、子供ながら困惑した顔つきになるが、
「うん――。分かった」
イタチはその時も笑顔を崩さずに、あっさりとそれに請け合った。
「城の裏手に、領内の農民を殺した野盗を縛ってある」
矢足は事務的に、我が子に処刑の段取りを言い渡す。
それはある意味、左京にとって異常な光景であった。
「分かった、父上」
イタチが忍び特有の軽やかな足取りで姿を消すと、たまらず左京もその後を追おうとする。
だが矢足が、その肩をグワッと掴み、動きを封じた。
「若――」
矢足はそれしか言わない。
左京にもその意味は理解できた。
――これは不破イタチという男が、真の忍びとして今後、左京を守れるかどうかの『試練』なのだと。
「…………」
左京は黙ったまま拳をギュッと握る。
理解はできる――。だが納得はいかない。
「放せ!」
左京は矢足の手を振りほどくと、城の裏手に向かって走っていく。
そんな主君に、矢足は苦笑しながら、自分の隻腕の手をじっと眺めた。
もし本気で左京を拘束する気なら、子供一人、矢足ならどうとでも抑え込めたはずだ。
だがやはり矢足も人の親だったのだろう。
矢足は走り去る幼き主君を見送ると、その背中に向かって、そっと頭を下げた。
そして左京が城の裏手に到着すると、イタチが木に縛られた野盗と対峙していた。
野盗は身動きが取れないが、罪もない農民を殺害しただけあって、子供であるイタチに向かっても、下卑た顔付きで威嚇の視線を投げかけていた。
「イタチ――」
左京がイタチの背後に立つと――、その背中が小刻みに震えていた。
無理もない――。いくら忍びとして超人的な能力を持っていても、その中身はまだ子供なのである。
だが『人を殺める』という、この試練を乗り越えなければ、その力はなんの意味も持たない。
イタチにも、それは分かっていたはずである。
それでもいざその場に立つと、短刀を握る手が震えて仕方がなかった。
そして時が経つにつれて、ついには全身が震えてきたのだった。
左京はそんなイタチの肩を、そっと抱いてやる。
「左京――?」
どうやらイタチは、恐怖にかられて左京が来た事にも気付いていなかった様だ。
その時――、野盗の体がにわかに動き出すと、縄をほどいて、前のめりに立ち上がった。
「――――⁉︎」
左京とイタチは愕然とする。
これはおそらく矢足が、あらかじめ縄目をゆるくしていたに違いない。
――戦場では殺らなければ、殺られる。
これはまさに、イタチの覚悟を問う試練でもあったのだ。
「うがーっ!」
野盗が獣の様な叫びを上げて迫ってくる――。武器は持っていないが、その力であれば左京たち子供をひねり殺すのは、造作もない事だろう。
「――――!」
もうイタチは声を上げる事もできない。
そんなイタチを後ろに押しやると、左京は駆け出しながら、迷わず脇差を抜き放つ。
次の瞬間、野盗の首筋から激しい血しぶきが上がった。
「あ、あがーっ!」
頸動脈を掻き切られた野盗が、苦悶の声を上げる。
だが子供の太刀筋では、打ち込みが甘かったらしく、まだ事切れていなかった。
「ご、ごのガキーっ!」
野盗は倒れながらも最後の力で、なんとか左京を道連れにしようとその首を掴む。
いずれ野盗は絶命するだろうが、その前に左京の首がへし折られるのは必至だった。
「イタチ――、逃げろ!」
苦しい息の中、左京は叫ぶ。
その瞬間、イタチの中で何かが覚醒した。
「ああああああーっ!」
うなりを上げたイタチが、野盗の横っ面に鮮やかな蹴りを見舞う。
その衝撃に、左京を手放し吹っ飛んだ野盗が、草の上に大の字になった。
イタチはその上に馬乗りになると、叫びながら何度も何度も、繰り返し短刀を突き刺す。
やがて、ひと刺しごとにビクビクと体を跳ねさせていた野盗の体が、ピクリとも動かなくなった。
だがイタチはそれでも、狂ったように叫びながら、まだ刺し続ける事をやめなかった。
「イタチ――。もういい」
左京がイタチの手を、優しく止めてやる。
「………………。左京ーっ!」
イタチは短刀を放すと、返り血で全身血まみれのまま、左京の胸にすがりつき、むせび泣く。
左京はその小さな肩を、何も言わずにギュッと抱きしめてやった。
矢足も遠くから、その様子をじっと眺めていた。
こうしてまだ幼き左京とイタチは、鮮血の中で『血の絆』を結んだのであった。
「――左京もね。人を殺したのは、その時が初めてだったんだ」
イタチは遠い目をすると、そこだけは神妙な顔付きで話を締めくくる。
「あの左京が……」
普段の左京から想像もつかない、あまりに壮絶な内容に淀殿は声を失うが、
「左京はね、誰かを守ろうとする時、すごい力を出すんだよ!」
イタチは笑顔に戻ると、そう言って主を誇らしげに自慢する。
(誰かを……守ろうとする時……)
淀殿の脳裏に、
「あなたの事は――、何があっても私が守ってみせます」
という左京の言葉が蘇る。
同時に、イタチの時と同じく、鶴松を亡くした悲しみに一人泣いていた自分を、左京が強く抱きしめてくれた事が思い起こされ、淀殿の胸は切なく締めつけられる。
「オイラ、左京のためならいつでも死ねる――。そのくらい左京の事が大好きなんだ!」
絶対の忠誠を誇りながら、イタチが無邪気に笑う。
そんなイタチの純粋な思いを受け止めながら、淀殿の胸は、まだ整理のつかない感情に、ざわざわとさざ波立っていた。
(左京――。妾は、妾は……)
淀殿は唇をキュッと結ぶと、左京の背中を追う様に、窓の外に広がる菩提山の空を、遠い目で見上げた。




