【12】『菩提山城』
「これが菩提山城か……」
菩提山城の外郭に到着した淀殿が、感嘆の声を上げる。
菩提山城は左京の祖父、竹中重元が岩手氏を追放し、菩提山に築いた全長三〇〇メートルにも及ぶ山城である。
(久しぶりだな――、ここに来るのも)
左京も感慨深げに、大手道に張り出した曲輪へと目をやる。
今でこそ麓の岩手城を居城としているが、彼はここで生まれ、そして育ったのである。
父の半兵衛はこの城を引き継いでから、改修に改修を重ね生涯の居城とした。
そのため菩提山城は土豪の城にしては、曲輪と空堀の数が非常に多かった。
淀殿が驚いたのも、縦横無尽に展開された空堀であり、それだけでもこの城の防御力の高さがうかがい知れた。
しかも竪堀と横堀は場所によっては大手道を大きく迂回させ、ある意味これが一番の難所であるともいえた。
左京は幼少期から、この構造が面倒くさくて仕方なかったので、天正十五年(一五八七年)に豊臣秀吉が関東・奥羽に惣無事令(私闘禁止令)を出すやいなや、もはや美濃で戦はないと判断して、翌年には菩提山の麓に岩手城を築城してそこに移り住んだ。
軍師竹中半兵衛の叡智の結晶を捨てたともいえなくないが、もはや戦国時代は終焉期を迎えつつあり、家老の不破矢足もそれに反対しなかった。
「では淀の方様――。行きましょう」
左京は先に立って、三の曲輪へと入っていく。
すでに菩提山城入りしていた幸徳も出迎えに現れ、左京が城の状況を確認する間、イタチが二の曲輪の下に穿たれた、巨大な堅堀を淀殿に披露する。
「おおっ! 小谷も堅堀はあったが、ここまで深くはなかったぞ!」
淀殿はまるで絶壁のごとき、その深さに息を呑む。
左京には見慣れた光景であったが、菩提山城に入った者は、誰しも同じ感想を漏らす。
菩提山城は曲輪を構成する堀切や切岸と、進路妨害のための堅堀や横堀が、幾重にも組み合わさっているのだが、その中でも堅堀の広さと深さは尋常ではなかったのだ。
それは攻城における人間心理を巧みに読み取っており、敵は堅堀を登る事をまず断念せざるを得ず、だがその避けた先には一撃必殺の迎撃ポイントが、巧妙に配置されていたのだった。
場所によっては堀底が通路にもなっており、日常生活には多少の不便さが伴うのだが、稲葉山城乗っ取りという大事件を起こしておきながら、城の返還後、竹中半兵衛がのうのうと美濃国内にいられたのも、この鉄壁の菩提山城あっての事だった。
「おお! 台所はかなりしっかりしておるの。これは夕餉が楽しみじゃな」
淀殿は本曲輪の横の台所曲輪まで、いちいち覗き込むと、また食い意地の張った事を言う。
それから狭い土橋を経て、西の曲輪まで足を伸ばすと、その側面に穿たれた段々の堅堀が、菜園と化している事に目を丸くする。
「さ、左京?」
「………放っておいても、もったいないでしょう?」
驚く淀殿に、左京はケロリと言ってのける。
別に空堀を菜園にしても、防衛効果に支障が出る訳ではない。かつここは西斜面といえども、頂上なので陽当たりもよかった。
それなら屯田に活用した方が効率がよい――。これは左京の代になってからの判断であった。
「やれやれ。竹中半兵衛の息子が、その城で野菜作りとは……」
呆れる淀殿に、
「では淀の方様は、夕餉の野菜は抜きですね」
と、左京も意地悪に返す。
「な、何を! 食べんとは言っとらんぞ! 食べる、食べるぞ!」
慌てる淀殿に、それを見守る菩提山城の人々も、思わず笑みを漏らす。
それは淀殿の屈託のなさに、皆が好感を抱いたという表れであった。
その証拠に、天下人の側室の来訪に最初は緊張していた城内の者たちから、
「淀の方様。ようお越しになられました」
「都の様には参りませんが、ゆっくりおくつろぎください」
と、次々に歓迎の声がかかる。
「うむ。うむ――。皆、よろしく頼むぞ」
淀殿もそれが嬉しかったらしく、満面の笑みで一同に手を振っている。
そんな光景に、左京は淀殿が本来の姿に戻ったと、心の内で安堵する。
鶴松という幼子を失い、一人悲しみにくれていた淀殿。
その心の傷は、左京の真心と菩提山の人々の温かさで、ようやく癒された様だった。
そうなると、あとは淀殿をここまで尾行してきた関東衆への対処だけである。
菩提山城は、今は主城ではなくなったが、それを守る竹中家中の者たちは、往時といささかの変わりもなく壮健である。
(これなら菩提山城で、淀の方様を守り切れる)
左京はそう確信すると、父、半兵衛の威徳に感謝しながら、ついに本曲輪へと入った。
「若――。お帰りなさいませ」
幸徳を先にやっていた事もあり、こちらの準備も万端であった。
「皆も元気そうでなによりだ――。さっ、淀の方様」
左京は家中の者たちに挨拶すると、淀殿を連れて奥へと進む。
「ここは――⁉︎ まさか⁉︎」
「はい――。父上の……、竹中半兵衛の居室です」
「…………」
招き入れられた最初の部屋が、生前の半兵衛のものだった事に、淀殿は声を失う。
淀殿が少しでも元気になってくれればという、左京なりのサプライズだったが、効果は十分だった様だ。
「おお……」
無造作に見えて整然と積まれた軍学書。ありし日の半兵衛が纏ったであろう兜と甲冑。そして床の間に飾られた軍配――。そのすべてが淀殿に新鮮な感動を与えた。
「左京――。妾の父、浅井長政もそうじゃったが、お前の父上もやはりすごい男だったんじゃのう」
「――はい」
左京は淀殿の賛辞に素直にうなずくと、
「まあ、私は父上の才は、受け継いでいなかった様ですけどね」
と、おどけてみせる。
「何を言う。お前は軍師でなくとも、立派な『解策師』ではないか」
淀殿は心からそう言って、左京の才能を褒め称える。
思いもかけない賛辞であったが、左京も淀殿から褒められて、内心悪い気はしない。
だから謙遜した手前、ここは「はあ」とでも言って、お茶を濁しておこうかと思ったのだが、
「じゃから問う――。妾を狙っておるのは、いったい誰なのじゃ、左京?」
続けて淀殿から発せられた言葉に、左京は息が止まりそうになった。




