【09】『涙』
囲碁勝負が終わると、
「のう、左京――。菩提山城には行かんのか?」
淀殿が唐突に言ってきた。
(やはりきたか――)
左京の方でも、そろそろ言ってくる頃合いだとは思っていた。
なぜなら淀殿がここまで来たのは、菩提山城に行くためだからだ。
それを分かっていながら、左京は菩提山の麓にある岩手城に到着以来、まったく動こうとはしなかった。
正直、山頂にある菩提山城に行きたくないという気持ちもあったが、理由はそれだけではない。
左京には――、待っている者がいたのだった。
そんな時、
「申し上げます。不破幸徳殿、伊達殿、到着されました」
と、使い番の者が告げてきた。
「来たか――。通せ」
待ち人の到着に、左京もすぐに応じると、幸徳、イタチ兄弟が連れ立って広間に入ってきた。
「左京様、――?」
「左京、――?」
明るい声の後、見慣れぬ女人がいる事に気付くと、二人は共に首をひねる。
そんな当然の反応に、
「幸徳、イタチ――。こちらは淀の方様だ。くれぐれも粗相のない様に」
と、左京も直球でその正体を明かす。
「なっ⁉︎」
「へー」
幸徳とイタチで違った反応を見せたものの、二人は揃って後ずさると、すぐに恭しく平伏した。
「この二人は、左京の配下なのか?」
「ええ。二人とも矢足の息子です――。弟のイタチは私の近習で、兄の幸徳は縁あって、今は黒田家で長政の執事をしています」
興味津々な淀殿に、左京は兄弟の素性を簡潔に説明する。
「二人とも女子の様に見目麗しいのう。とても矢足の息子とは思えん」
「カッカッカッ。死んだ女房がべっぴんでしたかなら」
無礼な淀殿の指摘を、矢足は楽しげに笑い飛ばす――。それが淀殿の親愛の情である事を、矢足も分かっているからだ。
その証拠に、
「妾は浅井茶々――。まあそなたたちには淀の方と言ったほうがよいかの? まあ、よろしく頼む」
淀殿は初対面の二人にも、気さくに挨拶をした。
「は、ははっ。恐悦至極に存じます」
恐縮しきりの幸徳に対して、
「うん。よろしくね」
イタチは物怖じもせずに、笑顔で挨拶を返した。
「ププッ。二人とも、主君の感じがよう出ていて面白いのう」
対照的な兄弟の対応に、淀殿も左京を見ながら、思わず笑ってしまう。
(やれやれ……)
散々な言われ様に左京は苦い顔になるが、すぐに気を取り直すと、
「菩提山城に行かなかったのは、私がイタチに幸徳を迎えに行かせていたためです」
と、淀殿に事情を説明する。
「そうか……。黒田は唐入りの先鋒になるかもしれんからのう」
淀殿も左京の意図をすぐに理解する。
唐入りの先鋒ともなれば、異国で討死する可能性もある。
だから左京はこの機に、親子を対面させておこうと思ったのだ。
「ご配慮、痛み入りまする。また淀の方様にもご迷惑をおかけし、申し訳ございません」
矢足もそう言って、淀殿、左京の順に頭を下げる。
「いやいやいや、妾こそ親子水入らずのところを、邪魔してしまってすまん」
淀殿の方でもアワアワと手を振る。
そんな飾らない仕草に、幸徳もイタチも淀殿に対して、好感を抱いた。
それから親子は、しばし水入らずの時間を過ごし、結局その間、左京は淀殿と再び囲碁勝負をする羽目になってしまった。
そして夕餉の時間となると、人数が増えた事もあり、淀殿は昨日以上に楽しげに、はしゃいでいた。
「ワハハハハッ!」
「…………」
淀殿の笑顔に、左京は言葉にできない違和感を覚える。
もちろん元々、淀殿は天真爛漫な性格である。
だが今、彼女は心に空いた隙間を、懸命に埋めようとしている様に、左京には見えたのだ。
(やはり淀の方様は、鶴松君の事が――)
「ん――? どうした左京?」
心の中を見抜かれたのかと、左京は息が止まりそうになるが、
「淀の方様――。そんなにがっつかなくても、おかずは逃げませんよ」
と答える事で、なんとかごまかした。
「ギャハハ! 確かにそうじゃの!」
淀殿もまた笑顔で切り返すが、左京は確信する。
(間違いない――。淀の方様は、無理をしている)
それから就寝しても、左京は胸騒ぎに寝つく事ができなかった。
そんな時、
――ホギャーッ、ホギャーッ!
という赤子の夜泣きが、近くの民家から風に乗って聞こえてきた。
瞬間、左京は飛び起きると寝巻きのまま、屋外に飛び出していく。
理由などない――。何かそうしなくてはならないという直感であった。
あてもなく城内を歩くと、不意に薪小屋の側でうずくまっている淀殿の姿を見つけた。
「――――⁉︎」
駆け寄り覗き込むと、淀殿は涙にくれていた。
赤子の夜泣き声は、まだ聞こえている――。やはり左京の予想通り、淀殿はここにきて、張り詰めていた気持ちが決壊してしまった様だ。
「淀の方様――」
左京はひとまず、淀殿を抱き起こす。
そして少しだけ考えた後、覚悟を決めると、
「――泣いてください!」
と、感情のままに言い放つ。
「……左京?」
「いいから! 思いっきり!」
叫びながら左京も、いつの間にか涙ぐんでいた。
(天下人の側室など関係ない!)
今ここにいるのは、幼子を亡くしたか弱き女人なのだ。
菩提山に行きたいと言ったのも、囲碁勝負を仕かけてきたのも、矢足たちに囲まれはしゃいでいたのも――。きっと忘れたかったからだ。
(――鶴松君の事を)
だが忘れる必要なんてない。天下人の側室として、毅然と振る舞う必要など、どこにもないのだ。
何よりも、淀殿自身が鶴松を忘れたくないと思っている――。なのに淀殿は、矛盾する二つの感情に壊れそうになっている。
だから左京は言った。
「泣いてください――。鶴松君のために」
左京も聚楽第で鶴松と対面している。
あの幼き命が儚く消えたのかと思うと、もう涙が止まらなかった。
そんな左京の思いが届いたのか、
「鶴松………。鶴松……、鶴松、鶴松、鶴松ーっ!」
淀殿もついに声を上げて、亡き我が子の名を叫びながら号泣した。
「もっと! もっと泣いてください!」
泣きながら左京は、淀殿を抱きしめていた。
「鶴松、鶴松、鶴松ーっ!」
淀殿も左京の胸に顔をうずめながら、涙が枯れるまでむせび泣く。
しばらくの後、揃って我に返ると、二人はお互いのグシャグシャの顔を見て、無邪気に笑い合った。
左京は淀殿を胸に抱いたまま離さない。
淀殿もまた左京の胸にしがみついたまま、離れようとはしなかった。
「明日――、菩提山城に行きましょう」
「うむ。楽しみじゃ」
左京の言葉に、淀殿は憑き物が落ちた様に、晴れやかな顔で答える。
そして二人が菩提山の山頂を見上げると、その空には、満天の星々が鶴松を弔う様に、燦然と輝いていた。




