【07】『襲撃』
「利休よ! 貴様、儂では信長様にはなれんと言いたいのか⁉︎」
自身のプライドを傷付けられた秀吉が、怒りに震えながら怒鳴り声を上げる。
「誰しもその御仁というものは、そのお方の一生涯のみでございます――」
対する利休は静かな声で、まずはそう言って秀吉の怒りを受け流してから、
「ゆえに信長公になれないのは殿下だけでなく……、誰一人としてなる事は叶いません」
と、まるで子供に諭す様に、それでいて一歩も譲る事なく、自身の反論を締めくくった。
「詭弁を弄するな! 貴様、儂には唐入りが無理だと思うとるんじゃろう⁉︎」
「…………」
「くっ……。ええか、儂は明も朝鮮も呂宋も、すべてを手に入れるぞ――。もちろんそこにある名物もすべてじゃ!」
無言の利休に業を煮やした秀吉は、茶器名物に話題を移す事で、新たに挑発を仕かける。
利休は今や豊臣政権のブレーンとなっているが、その本質は一人の茶人なのだ。
だから秀吉が描く、茶の湯――数寄の未来像には異を唱えざるをえない。
結果、利休は秀吉の術中にはまる形で、論戦を再開してしまう。
「もう唐物も高麗物も、日ノ本には必要ありません――。日ノ本には日ノ本の、新たな数寄がございまする」
「それがお前の、つまらん『侘び寂び』だと言いたいんか⁉︎」
ついに秀吉は、利休の目指す数寄を侮辱した。
(なるほど――。繋がった)
二人のまさに『戦い』を見守っていた左京はその瞬間、心で呟いた。
それと時を同じくして、
「申し上げます――!」
という甲冑姿の使い番のよく通る声が、茶席全体に響き渡った。
「何事だ⁉︎」
すぐに石田三成が進み出て、その注進の内容を問う。
「はっ! 先刻、天神山周辺に賊と思われる軍勢が現れました!」
「なんだと! して、状況はいかになっておる⁉︎」
「ははっ! すぐに大和勢が賊に気付き、交戦の末、撃退いたしました!」
「――そうか。で、賊は今どうしておる?」
「それが……」
「どうした?」
「賊は大和勢を破れぬとなると、すぐさま南へ向かい、用意していた小早船にて、すでに海上から逃げ去った由にございます」
「小早船だと……!」
思わず三成が絶句する。
そして条件反射の様に、茶席にいる小早川隆景へと目を移した。
小早船――。それは村川水軍をはじめとする毛利水軍が機動戦術に用いる小型船であった。
かつて毛利は、天正四年(一五七六年)の第一次木津川口の戦いで、織田水軍をこの小早船でもって、完膚なきまでに叩いた歴史がある。
それほど、この小早船に対する毛利の印象は強かったのである。
ゆえに隆景も、自身に向けられた視線の意味に気付くが、そこは老練の智将だけに動揺したりはしない。
秀吉も一瞬だけチラリと隆景を見たものの、その背後にある毛利との関与を追求したりはしなかった。
それどころか、
「さて、続けるか――。さあ利休、茶を点てい」
と、賊の襲撃がクールダウンのきっかけになったのか、秀吉は先程までの剣幕が嘘の様な顔で、利休に茶会の継続を促した。
すると利休も阿吽の呼吸で、すぐに次の客である有馬法印のために、静かな笑顔で茶を点て始めた。
「……い、いったいどうなってるんだ」
皆が呆然とする中、警護の列にいる長政も驚きの声を漏らす。
だが、その隣にいる左京は何も言わずに、ただ一点だけを見つめていた――。そこには千利休という、天下人を相手に戦っている、一人の戦士の姿があった。
そして利休も、有馬法印に茶を差し出すと、左京の方に目を移す。
結果、見つめ合う左京と利休――。その異様な光景に長政は息を呑んだ。
「お、おい左京……」
思わず声をかける長政に、
「行くぞ」
と、左京は身を翻すと、一目散に駆け出していく。
「お、おい、左京⁉︎」
長政も訳が分からないまま、その後についていく。
(いったいどこに行く気だ――?)
長政が首をかしげていると、その後ろに石田三成までついてきている事にギョッとする。
だが左京はそれに振り返る事もなく、ただひたすらに走り続けている。
そして寺の外に出ると、長政はその目的が周辺の警護にあたっている黒田勢との合流である事に、ようやく気付く。
「親父殿!」
軍勢の中に、着流しの具足姿の官兵衛を見つけた左京が叫ぶ。
「おお、左京――」
「親父殿、黒田の兵は賊を見ておりますか?」
官兵衛の言葉を遮り、左京は息の上がったまま、まずそれを確認する。
「――いや。賊は大和勢としか当たってねえ」
官兵衛も軍師だけあって、左京の思いを理解すると、余計な事は言わずに簡潔に問いにだけ答える。
「…………」
黙り込み思案をめぐらす左京に、
「おい、竹中左京! これはどういう事なのだ⁉︎」
勝手についてきた三成が、いきなり無遠慮に問いかけてくる。
だが左京はそれに答える代わりに、
「石田殿、大和勢の被害を調べてきてください」
と、何の躊躇もなく、さらなる状況確認を依頼する。
「ハア? 貴様、何を言って――」
「いいから! 早く!」
「――――⁉︎」
予想もしなかった左京の気迫に、思わず三成も絶句してしまう。
そして、
「分かった――。待っておれ」
と言うと渋い顔をしながらも、大和勢に使いを走らせるべく寺の中へと戻っていった。
その背中を見送る左京に、
「左京――」
と、近くの草むらから声がかかる――。左京が昨日から放っておいた忍びの者、不破イタチであった。
「イタチか――。どうだった?」
「うん。左京の言った通りだったよ」
左京の問いに、イタチは音も立てずに草むらから出てくると、満面の笑みでそう答える。
「賊を追ったか?」
「うん、バッチリだよ」
「よし。詳細を教えてくれ――」
それから左京は、官兵衛と長政をまじえ、イタチからの報告を受ける。
そしてしばらくすると、三成が戻ってきて、今度は大和勢の被害状況を教えてくれた。
だが三成によると、大和勢の死傷者はゼロ――。それに加えて、賊側にも討たれた者はいなかったという。
「…………」
左京、官兵衛、そして長政が神妙な顔つきになる。
「お、おい、貴様ら! いったいどういう事なのだ? 説明を、説明をしろ⁉︎」
蚊帳の外に置かれた状況に、三成が声を荒げる。
だが左京はそれにも動じず、落ち着いた顔でゆっくりと三成を見上げる。
「――――⁉︎」
思わず三成が戦慄する。
(こ、この目は――、あの時と同じ目だ!)
三成は左京と初めて出会った時、その美しい半開きの目が、何か見えない謎を探っている様に感じた――。今、三成はその時とまったく同じ目で見つめられていたのであった。
「石田殿――」
左京の呼びかけに、三成の背に冷たいものが走る。
「殿下に拝謁できる様、取り次いでください」
有馬大茶会は一番から七番までの構成であり、左京たちは一番の途中で飛び出してきたが、時刻としては、もうすべてが終了している頃合いであった。
そんなタイミングで秀吉に面会して、いったい何をしようというのか?
それを問いただしたくても、左京の目に気圧された三成は、もう何も言い返す事ができない。
「殿下に明日――、もう一度茶会を開いていただきます」
三成の心を察した様に、左京はその意図を説明してやる。
(もう一度――、茶会だと?)
話が飛びすぎて、三成にはとても理解が及ばない。
だがそんな三成に構わず、左京は静かな声で呟いた。
「そこで――解策仕ります」