【05】『故郷』
「左京。お主、馬の腕もなかなかじゃな」
「あまり喋らないでください。舌を噛みますよ!」
馬上で淀殿を胸に抱き疾走する左京が、必死の形相で訴える。
結局、淀殿の脅迫まがいの要求に腹を括った左京は、まだ夜が明け切らないうちに、長浜を出発した。
果たして大蔵卿局たちの目を盗めるのかが心配だったが、淀殿はそこも抜け目はなく、女官の中にしっかりと協力者を用意していた。
前夜、指定の時刻に淀殿の宿所の裏手を訪ねると、一人の女官が勝手口を開き、左京を中へと招き入れた。
「よし。来たか、左京」
土間には動きやすい小袖を纏った淀殿が、準備万端と待ち構えていた。
周囲には、他にも数人の女中たちが屋内に気を配っており、まさに組織立った手並みであった。
なるほど、淀殿はこうして奔放に動いていたのかと得心していると、
「では春陽――。後は頼んだぞ」
淀殿が左京を招き入れた女官に、笑顔でそう言った。
「はい茶々様。厩の方に馬の準備もできております」
春陽と呼ばれた女官も、手慣れた様子で淀殿に請け合う。
この春陽という女官は、淀殿を本名で呼ぶあたり、よほど気心が知れた間柄なのだろう。
おそらく菩提山行きも、すべて出立前から彼女たちと入念に計画を練っていたに違いないが、それを可能にしたのは、他でもない淀殿の人心掌握力である。
(ただの、じゃじゃ馬ではないという事か……)
左京がその点に感心していると、
「はい、左京様――。お早く出立なさいませ」
と、不意に春陽が背中を押してきた。
その自然な所作もさる事ながら、振り返った時に見た、素朴ながら整った顔立ちに、左京は一瞬目を奪われてしまう。
だが次の瞬間には、
「うむ、そうじゃ。早う行くぞ、左京」
淀殿がそう言いながら左京の袖を引いて、屋外に飛び出していった。
呆然としながら、もう一度振り返ると、春陽や他の女中たちが、皆、笑顔で手を振っていた。
厩に着くと、用意された馬は一頭きりだった。
となると、当然二人で騎乗する事になるのだが、淀殿は左京を先に騎乗させると、なんの躊躇もなく、その胸へと飛び込んでいった。
「――――⁉︎」
久方ぶりの芳しい香り、そして柔らかな肉感に、左京は一瞬放心状態になりかけるが、
「行くぞ! 目指すは菩提山じゃ!」
淀殿の声に、なんとか我に返ると勢いよく馬の腹を蹴った。
そして北陸道を南へと戻り、朝日が昇る頃には中山道へと進路を変え、今も馬を走らせ続けているのであった。
(うーん……)
仕方がなかったとはいえ、とんでもない事になったと、左京は次第に気が重くなってくる。
淀殿は、大蔵卿局と大野治長には、女官の春陽を通じて書状を渡す手筈だから大丈夫だというが、いったい何が大丈夫なのか、さっぱり分からない。
大方、左京の時と同じく、脅迫まがいの手紙でも残してきたのかと思うと、同じ被害者として同情の気持ちさえ湧いてくる。
(これは、なるべく早く戻った方がいいな――)
願っていた帰郷だが、事が関白秀吉まで漏れると、一巻の終わりである。
少しの間は大蔵卿局たちが、時を稼いでくれるだろうが、なんといっても左京の立場は実行犯なのである。
脅されたと言っても、どこまで情状酌量されるか分かったものではない。
「大丈夫じゃ、左京。心配するな!」
左京の心を読んだ様に、時折淀殿がそう声をかけてくるが、まったくもってなんの慰めにもならない。
やれやれと思っているうちに、馬は美濃国今須を越えて関ヶ原まで到達した――。ついに左京の所領へと入ったのであった。
最終的な目的地は、菩提山の麓にある岩手城である。
そこまで辿り着けば、家老の不破矢足がいるので、ひとまず安心であった。
「ここが……、お前の故郷なのか?」
「――――⁉︎」
説明もしないのに、不意に淀殿が言ってきた事に、左京は驚いた――。おそらく淀殿は、それを肌で感じ取ったのであろう。
「ええ――」
左京が言い終える前に、
「おんや。若様でねえか!」
と、近くの百姓が突然声を上げた。
すると、それに呼応する様に、
「おお。若様じゃ、若様じゃ!」
「おやおや、まんだ背はちんまいままじゃのう」
「こりゃまた、ずいぶんなべっぴんさんを連れて――。奥方様かいの?」
領民たちが、まるで孫にでも会ったかの様に、次々と声をかけてきた。
左京の銀髪は目立つ――。なので馬上であろうと、すぐに見つかってしまった様だ。
「クックックッ。ずいぶんと愛されておる様じゃのう」
「…………」
一番、知られたくない人間に、領内の事情を知られてしまった事に、左京は苦い顔になる。
竹中家は、今は左京が歴とした当主であるが、先代である半兵衛の威光が強すぎたのか、この様に、いまだ左京を若様呼ばわりしていたのであった。
それが紛れもない領民たちからの愛であっても、この様な子供扱いを淀殿に見られるのは、左京としてはなんともバツが悪かった。
なので、ここは一目散に岩手城まで駆け抜けたいところだったが、そんな時、腕の中にいる淀殿がニヤリと不敵な笑みを漏らした。
(――――!)
猛烈に嫌な予感を覚える左京の腕から、淀殿は身を乗り出すと、なんと領民たちに向かって笑顔で手を振り始めた。
「おお。若様が奥方をお連れになったぞ!」
当然、それを誤解した領民たちから、囃し声が上がる。
(違う! 私はまだ独身だ!)
左京は釈明したかったが、自分が胸に抱く美女が、天下人の側室などと言える訳がなかった。
淀殿もそれが分かっているので、余計に調子に乗って、道々の領民たちに愛想を振りまくる始末であった。
(やめろ! やめてくれ!)
もう左京は、声にできない叫びを上げるしかなかった。
こうして淀殿のいたずらは、この後も左京の神経を擦り減らしながら、岩手城に到着するまで続く事になるのであった。




