【02】『二極構造』
黒田家の『二極構造』について触れておきたい。
天正十九年(一五九一年)六月現在、豊前中津十二万五千石、黒田家の当主は長政である。
だが秀吉の軍師として、その天下統一に貢献した官兵衛は、天正十七年(一五八九年)に家督を嫡男長政に譲ってからも、いまだ豊臣の重鎮として政権内に君臨していた。
はっきり言ってしまえば、官兵衛という存在は秀吉のブレーンという存在を超えており、亡き豊臣秀長、千利休が政治戦略上のナンバーツーなら、官兵衛は軍事戦略上のナンバーツーともいえる存在なのであった。
となれば家督移譲は、官兵衛が秀吉の側近として専念するための意味合いが強く、それは同時に黒田家が政権側から睨まれるのを避けるという、双方暗黙の目的もあった。
官兵衛は秀吉の軍師であるが、前任者の竹中半兵衛との決定的な違いがあった。
それは思考の違いであり、半兵衛は秀吉という『盟友』と思考を『共感』していたのに対し、官兵衛は秀吉という『天下人』と思考を『共有』していた。
だからこそ信長が本能寺で横死した時、官兵衛はぬけぬけと『御運が開けましたな』と口にできたのであり、つまり官兵衛には天下人へと駆け上がる資質があったのである。
それに秀吉が気付かない訳はなく、官兵衛もまた自分が警戒されている事に気付いていた。
――もし官兵衛に百万石を与えたら、天下を奪ってしまうだろう。
――自分の死後、次の天下を狙うのは官兵衛だ。
――家康はともかく、官兵衛には気を許せない。
真偽のほどは定かではないが、秀吉がそう漏らしたという話が残っている。
処世にも長けた官兵衛は、領地の反乱を自力で収めた長政に後継者の資質ありと見定めると、即家督を譲り領国経営から身を引いた。
つまり官兵衛は兵権を手放した事になり、秀吉の不安を払拭した。
それでも秀吉は官兵衛の才は必要としていたので、表面上は隠居の身ながら、引き続き政権の重鎮としての地位は与え続けていたのだった。
前置きが長くなったが、これにより黒田家は先代の官兵衛と、当代の長政による微妙なパワーバランスの『二極構造』となっていた。
なにが微妙かというと、もちろん当主は長政だが、政権内の地位は官兵衛の方がはるかに上なのである。
だがそれでも官兵衛は、若き長政の才を信じ家政の一切を任せ続けているし、長政の方でも父官兵衛を心から敬い、受け継いだ黒田の家を懸命に切り盛りしている。
そんな長政は家督を継いだのを機に、新たに屋敷を与えられている。
それは秀吉からの厚遇とも受け取れるが、その位置は従来の官兵衛屋敷が、聚楽第の外郭なのに対して、長政のものは堀川を挟んだそのさらに外側だった。
ここにも明確な格の違いが表れているが、ともあれ黒田家では当主長政の屋敷を『本邸』と呼び、官兵衛の屋敷を『別邸』と呼んでいる。
ちなみに左京が起居しているのは、官兵衛の黒田別邸であり、あてがわれた邸宅は実は長政が使っていたものであった。
さらに言うと、長政は自分の屋敷があるにもかかわらず、左京会いたさにかなりの頻度で『実家』に入り浸っているという事になる。
だがその長政が、わざわざ使いを寄越して、左京を本邸に呼んだ。
(これは何かあったな――)
左京は、猛烈に嫌な予感しかしない。
中立売橋から堀川を渡れば本邸はすぐであり、別邸からも目と鼻の先であった。
実をいうと左京は、あまりこの本邸に足を運びたくない。
それは通りを挟んで、北側の向かいが加藤清正屋敷、東隣が小西行長屋敷という、後から知った情報も加味されているが、根本にはもっと深い理由があった。
随行するイタチは、それを知っているので、心なしかニヤニヤしている。
まったく小憎らしい従者だと思っているうちに、本邸に到着してしまった。
「ハア……」
やはり気が進まない左京が、門前でため息をついていると、
「おお、左京! 待っていたぞ」
と、長政が門の中から飛び出してきた。
(こ、こいつ、ずっとここで待ち構えていたのか⁉︎)
ドン引きする左京に構わず、長政はその腕を取ると邸内に引きずり込んでいく。
そして居間に通されると、そこには一人の美しい武士が小さく座っていた。
「幸徳……」
「さ、左京様ぁ……」
左京の言葉に、幸徳と呼ばれた男は涙目になった。
彼の名は不破幸徳――。竹中家の家老である不破矢足の長男。つまり左京の従者イタチの兄であった。
幸徳は長政のひとつ年下のちょうど二十歳。現在、黒田十二万五千石の当主となった長政の執事を務めている。
なぜ竹中家の家老の長男が、黒田家当主の側近なのかというと、これには経緯がある。
かつて黒田官兵衛が、信長に謀反を起こした荒木村重の説得に失敗して、摂津有岡城に監禁された時、処刑命令が下された人質の松寿丸――今の長政の代わりに、竹中半兵衛が自身の息子である左京を質に出した事は以前に述べた。
実は当初の案では、松寿丸のお付きであった矢足の長男幸徳の首を、偽首として差し出す方向であったが、半兵衛が却下した上で左京を差し出すという奇策を打ったおかけで、結果幸徳は命拾いをした。
有岡城から救い出された後、官兵衛は松寿丸を大事に養育してくれた矢足に報いるために、高禄での仕官を提案するが矢足はこれを固辞すると、代わりにすっかり松寿丸に懐いていた幸徳を召し抱えてくれる様に、官兵衛に申し入れた。
これを官兵衛が快諾した事により、幸徳は長政の側近となったのだった。
ちなみに元服後、幸徳は幼名の漢字をそのまま諱として『ゆきのり』としているが、近しい者たちは今も『こうとく』と昔の呼び名で呼んでいる。
左京はこの幸徳が苦手であった。
別に家老の長男ながら、他家に鞍替えしたからではない。
理由は――、長政同様に左京への愛情が深すぎるからであった。
(な、なんだかこれは、いつもに増して面倒くさそうだぞ――)
今も子犬の様な目で、年下の左京を見上げる幸徳の美しい顔は、左京にとってうっとおしさ満点であった。
「長政――、いったい何があったんだ?」
たまりかねた左京は、小声で長政にこうなった理由を問い質す。
「ああ……」
いつもらしからぬ歯切れの悪い口調に、左京も只事ではないと思っていると、長政は意を決した様に一息にその理由を口にした。
「軍資金を――、横領された!」




