9話
随分、放っておいてしまいましたが、再開しました。
節さんを椅子に座らせて消毒液で傷口を綺麗にして絆創膏を貼った。
「本当にすいませんでした。」
「僕の方こそ、ごめん。そんなに怖かった?」
「怖いですよ。」
私は先程の恐怖を思い出して言った。
「りえちゃん、今何してるの?」
「私ですか?大学の職員してましたけど、色々あって辞めました。」
「どうしたの?」
「ちょっとメンタルやられちゃって。」
私は幼馴染の節さんに言うのが恥ずかしくなって声が小さくなる。
「そうすると今は時間あったりするの?」
「ええ、持て余すくらい。」
「ならさ、僕と一緒に京都行かない?」
「京都?」
突然の提案に声が荒がってしまう。
「来週、仕事で京都行くんだ。りえちゃんも一緒にどう?」
「どうって、仕事なんですよね。」
「仕事って言っても2時間くらいだし後は自由なんだ。気分転換に行こうよ。」
「でも。」
「節ちゃん、京都に行くの。」
お茶を用意して来た母が私達に言った。
「ええ、仕事があるので。」
「建築家って色んな場所に行けていいわね。せっかくなんだから、お言葉に甘えてついて行っちゃいなさいよ。」
「いやだから、節さん仕事なんだし迷惑だよ。」
「僕はりえちゃんが来てくれると嬉しい。」
「三十路でガサツな娘だけど、節ちゃんよろしくね。」
母と節さんの間で既に会話が成立しており、私はいつの間にか京都に行く流れになっている。
「りえちゃんとデート楽しみだな。」
「不束な娘ですが、節ちゃんお願いね。」
「お土産買って来ます。」
節さんと母は2人で京都の話題で盛り上がり日程も来週の金曜日の午前6時に決まると節さんは家を出た。
「あんた、節ちゃんと京都行けて良かったわね。」
「良くないよ。どうして勝手に決めるのよ。」
私は何度も行かないと断っているのに母はそれを遮って節さんと約束してしまうので困り果てていた。
「節ちゃんは稼ぎもいいし、いい子じゃない。節ちゃんのとこにお嫁に行ってくれるなら嬉しい事はないわ。」
「勘弁してよ。節さんだって、付き合いあるだろうし私だって嫌だよ。」
「だけど、あんた節ちゃんと結婚するって言っていたじゃない。」
「いつの話をしてるのよ。」
私は幼稚園の頃、当時大学生だった節さんにプロポーズした事があった。
節さんは母の通っていた着付け教室の先生の一人息子で、よく遊び相手になってくれていた。優しくてカッコいい節さんが私は大好きでたんぽぽを摘んで節さんの誕生日に「大きくなったら結婚して下さい」と先生と着付け教室の生徒さん達の前で公開プロポーズをしたのだ。今となればいい思い出だが、それをほじくり返されてこの際だからと結婚に結び付けようとする母にはため息しか出ない。
「来週は可愛い服で行くのよ。あと、下着も見られてもいいようにいいものを持って行くのよ。」
「変な事言わないでよ。」
私はどちらにいても行く事の決定した京都旅の準備の為に必要なものをピックアップして明日買い出しに行く事にした。
約束の日前日、私は旅行用の化粧水を買いにドラッグストアに行くとたまたま買い物していた節さんにで出くわした。
「節さん、こんにちは。」
「うん。りえちゃんも買い物?」
「はい。欲しいものがあって。」
私は答えながらチラリと見えた節さんのカゴに入っていたド派手な縦長い箱とボーリングのピンのような容器を見てどきりとしてしまう。
「僕、これから事務所に帰って仕事するだけだからお茶でも行く?」
「あ、いえすいません。私、用事があるので帰ります。」
「そう、また明日ね。」
節さんはそう言うといつものポーカーフェイスでレジに行くと明らかにコンドームと思わしきものとそういう感じのものを会計を終えて持っていたバッグに入れていった。
自分もお目当ての化粧水を買って家に帰りながら、先程の衝撃を思い返していた。こう言っては失礼だが、節さんには性欲なんてないものだと思っていたのだ。いつもどこ吹く風で綺麗な女の人がいても興味を持つそぶりがない。母や近所に住む着付け教室の先生から節さんの話を聞いても、恋人の話なんて何一つ出て来た事がなかった。だが、今日私は節さんがコンドームを買う姿を見てしまった。これは大ニュース以上の何者でもない。初恋の人に恋人がいるのは何とも言えず複雑だが、節さんの事だからすごく綺麗で教養ある人なのだろう。私は心の奥の幼い自分に初恋が実らなかったと告げるとふと、ある事が思い浮かぶ。
「私が、一緒に京都へ行って大丈夫なのだろうか。」
恋人がいる異性と旅行なんて普通の神経では考えられる事ではない。何もないだろうが、浮気とも取れる行為である。私は急いで節さんに電話をするものの、全く通じず結局翌日の朝になってしまった。