6話
よろしくお願いします。
シャンパンを空にしてやって来たデザートも美味しく頂いて私の心は満足感でいっぱいだった。
「山田先生、連れて来て下さってありがとうございます。」
「構わない。私も理恵子と一緒に来れて楽しかった。」
山田先生は酔っているのか頬が赤く表情も緩い。
「理恵子は私の事をどう思っている?」
「先生の事ですか?」
「私の事、好きか?」
山田先生は不安げに私を見る。その姿はさながら、捨てられた子犬のようで思わずときめいてしまう。
「好きでも嫌いでもありませんよ。先生は私の恩師で。」
「そうか。なら、私の事を下の名前で読んではくれないか。」
「名前?」
私は山田先生と呼びはするが、下の名前を知らない。大体、職場だけの関係の人の名前なんて覚えている訳ない。
「誠一郎だ。ほら、言ってごらん。」
「誠一郎さん。」
「理恵子、私はお前を愛している。今日はこれを渡したくて連れて来た。」
山田先生は懐から小さな箱を取り出す。
「私と結婚を前提に付き合ってもらえないだろうか。」
「え?」
「左手を出せ。」
山田先生は私の左手を取ると小箱から綺麗なダイヤの付いた指輪を薬指に付けた。
「少しゆるいか。」
「先生、なんの冗談ですか。」
「私がこんな込んだ事を仕込んでいるように見えるのか。」
山田先生は私の手の甲にキスをして言った。
「明日は御殿場でも行ってみるか。今のその服も悪くはないが、もっとお前に似合う服とネックレスを見繕ってやる。」
「明日?」
「ここはオーベルジュで、今日はここに泊まるんだ。」
山田先生はさも当たり前のように私に言った。
「いやいや、私帰ります。」
「帰る?何故そんな事を言うんだ。言っておくが、ここは呼んでもタクシーは来ないぞ。」
山田先生は手を引っ込めて立ち上がる私に死刑勧告のように告げる。
「心配しなくても何もしやしない。」
そう言う山田先生の笑みはとても色っぽくて私の中の女がうずいた。
結論から言うと私達は同じベッドに寝はしたが、何も起こらなかった。と言うのも、私達は2人ともかなりいい具合に酔っ払っていたのでそのままベッドに潜るとすやすやと眠ってしまったのだ。
「頭が痛い。」
私は二日酔いだけでないこの嫌な頭痛をのまま目が覚めるとシャワーの音のする方を向いた。
山田先生はあの言葉通り何もしなかったが、一緒のベッドに寝る事自体問題ではなかろうか。
「寝てしまった私にも問題はあるよな。」
私はため息をついてベッドから出るとシャワーを浴びた山田先生が戻って来た。
「随分と寝起きが悪そうだな。」
「当たり前です。」
私は行きずりのようにこの人と同じベッドで寝てしまい、恥ずかしくなる。
「昨日はそのまま寝ていたからな。シャワーでも浴びてこい。」
「言われなくても分かってますよ。」
私は重だるい体を歩かせてシャワー室に入るとどこかの駅で降ろしてもらおうと考えた。
身支度を整えて豪華でおしゃれ女子顔負けの美味しいオーベルジュの朝食を食べていると山田先生が今日の予定を話し始める。
「今日は御殿場に行って、お前の服を買ってやる。」
「結構です。どこかの駅で降ろして下さい。」
「そう怒るな。可愛い顔が台無しだそ。」
山田先生は上機嫌に私の頬についた生クリームも指で掬った。
「私といれば、美味い飯が食えるし服だって買ってやる。悪い話じゃないだろう。」
「勘弁して下さい。」
「つれないな。だが、私は理恵子といられて幸せだ。」
山田先生はシラフのくせに恐ろしく浮ついた事を私に言ってみせる。
「食べ終わったら行くから、トイレとか済ませておけよ。」
「部屋には戻らないんですか。」
「そのつもりだが。」
山田先生はコーヒーを啜りながら私に言った。
「実は昨日付けていたネックレスを部屋に忘れてしまったみたいなんです。部屋に戻ってもいいですか。」
「あのハートのか。大切なものなのか。」
「知り合いからもらったものでとても気に入ってるんです。」
「それなら、私がそれよりもいいものを買ってやる。昨日はかなり酔っていたからどこかに置き忘れたのだろう。」
山田先生は私の頭を撫でると立ち上がった。
「行こうか、理恵子。」
私は全く晴れない気持ちを抱えながら部屋に戻ろうとしたが、山田先生はそれを許さなかった。私は山田先生の完璧なエスコートで車まで連れて行かれると助手席に入れられた。
「今回が連休だったら理恵子を箱根に行こうと思っていたんだが、残念だ。」
山田先生はそう言うとサングラスを付けて車を走らせた。