9、少女小説のような
『親愛なるオードリー
返事が遅れてしまってごめんなさい。
お元気でしたか?
こちらはようやく右のひざが自由に動くようになったところです。薬をありがとう、助かります。通いの行商の薬も悪くはないのですけれど、なにぶん効き目にぶれがありますから。
先日の黒の猟犬のことで、エルハルド教会から司祭様方が森を調べにきてくださいました。
結界に破れがあったそうです。
いつものように陣を刻んでいたつもりでしたが、知らずひざをかばった足運びをしてしまったせいで、不完全なものとなってしまっていたようです。管理人がどれほど重要な役目かを語っておきながら、不甲斐ないです。
いまはひざが良くなったこともあって、これまでよりも入念に陣を刻んでいます。
公平なアカデミーがこれであなたをぞんざいに扱うことはないとわかっていますが、それでもあなたのいまの居場所をこうしておびやかしてしまったこと、本当に申し訳なく思います。
じきに収穫祭でもありますし、お詫びをかねてうちの裏庭でとれた甘芋で作ったお菓子を添えました。
大地の女神ゲルニカさまに感謝を。
それから愛しい孫娘に祝福を。
冬休みに会えることを楽しみにしています。
メアリー』
おばあちゃんから蝶が届いたのは、三日後に収穫祭をひかえた朝だった。
庭園に黒の猟犬が現れた日、すぐに蝶を飛ばしてから数日が経っていた。
きっと諸々《もろもろ》の後処理でおばあちゃんも忙しかったのだろう。内容もある程度は予想していた通りとはいえ、おばあちゃんのお手製スイートポテトがあまり甘く感じられない。
「まあま、怪我人はいなかったわけだし」
ゴミ箱にお菓子の包み紙を捨てたあと、ついでに本棚に置かれる小瓶の中の蝶を見て盛大にため息をついたわたしに、ネンネが抱きつく。
「それでも、いますぐにでも森に戻るべきな気がしたわ。森の管理人としての必修科目は、今年ですべて学びおわるわけだし」
聖樹の森の管理人になる者は、魔法学校でいくつかの学問を修めることが国に定められている。杖も使えないわたしがクレメール魔法アカデミーに通えているのはそういうわけで、しかも本来なら莫大な学費がかかるところをすべて免除されている。
先生たちはわたしのことを勤勉な生徒だと言うけれど、こんな待遇でまじめに授業を受けないなんてことあるだろうか。
「いやよ、帰らないでオードリー」
ネンネが悲しげに声を高くする。
「それにせっかくはじまったロマンスを、中途半端に投げ出すつもり?」
「だから、クォーツとは課題の協力相手だと話したでしょう。それに、どちらにしたってわたし、来年度はいなくなるのよ」
「課題に受かれば、でしょう」
「あら、受からせないつもり?」
「わたしがやだやだって本気で駄々をこねたら、もしかしたらもしかするかもじゃない」
「それはそうかもしれないわね」
本当にそう思わせるところがネンネのすごいところだ。三姉妹の末っ子だという彼女は甘え上手で、気質を表すようにまるみを帯びた身体からはいつでもラベンダーの香りがする。これは愛用する匂い袋のおかげらしい。
「フテルクくんと組んだら、オードリーを引きとめることも夢じゃない気がするわ。なんだかんだ言って、せっかく仲良くなった彼と離れることになるのはさみしいでしょう」
「仲良くと言っても、知り合って半月よ」
「恋をするには一秒でこと足りるわ」
「どうしてネンネはわたしと彼をそういうことにしたがるのかしら。たしかに男の子で一番話すのは、クォーツかもしれないけれど」
「そして、彼が一番話す女の子もね。わたしのいない授業に、二人仲良く出席してるって聞いたわよ。サボリ魔くんがあなたとなら授業に出るんだもの、もうぜったい好きよ!」
瞳から投げつけられるきらきらの勢いに耐えきれず、本棚のほうに目を逃すと少女小説のタイトルからまたもやきらきらを投げつけられる。
「しかもときどき、お昼休みや放課後に二人でいなくなるでしょう。なにをしているの」
「少なくともネンネが想像するようなことじゃないわ」
本当に、想像もできないだろう。
人に見つからないよう空き教室に入って、《錠の王》で二人きりになったあとで彼にシャツを脱いでもらって——それから時間の許すかぎり暗号解読にいそしんでいるなんて。
このことをネンネが知ったらなんて言うか。前半だけなら狂喜乱舞しそうだ。ああ、おばあちゃん、わたし男の子の裸にすっかり慣れてしまった。そうはいっても上半身だけだけれど、なんだかやるせない。
今朝のやりとりを思い出して現実逃避をしていたわたしを、湖の瞳がのぞきこんだ。
「オードリー」
肌をさらしたまま机に腰かけるクォーツに照れなんてみじんも感じられない。恥ずかしがられてもやりにくいけれど。
「手が止まってる。ちゃんと考えてんのか」
「うるさいわね……頭が数字とゲルニカ文字で爆発しそうだったから息抜きしてたのよ」
「俺の身体を見てか」
ネンネは、彼が一番話す女の子がわたしだと言った。
実際、アカデミーで彼がほかの女の子と(そして男の子とも)話しているのは見たことがないが、平気でこういった発言をするのだから慣れていそうだとは思う。色々と。
「クォーツって恋人とかいるの」
「は? いたらこんな誤解されるようなことしないだろ」
当前のように言うので、なぜだかわたしのほうが照れてしまった。
「……ちょっと意外だと思ってしまったわ。あなたって誠実なのね」
「あんたは正直だよな。バカがつくほど」
半目で言われてしまっては、さすがに気まずくなって、また彼の暗号に向き合う。
「数字の下限は徹底してどれも六、上限は三六八……これ、なにかしら意味があると思うのだけれど、クォーツ——」
「あんたもいないよな。痴話喧嘩に巻き込まれるのはごめんだぜ」
「まさか。わたしを恋人にしたいなんて人がいるはずないでしょう」
「あんたはこの前の吹雪を見て、俺のことを怪物だと思ったか?」
「どうして」
「俺も同じ返事をする」
頬も染めずに、なんでそんなことが言えるのかわからない。
「そろそろ三限だぞ」
予鈴を合図に、クォーツはシャツを羽織った。
指きりをしたわけでもないし、もちろん杖だって折らないのに、あのときのお願いを守りつづけるのだからやっぱり誠実な人だ。
 




