8、思わぬ襲撃
聞きこみをおえると、わたしとクォーツは庭園のすみっこのベンチに一人分ほど間を空けて腰かけた。
人がたくさんいるところを苦手と思ったことはなかったが、さんざん人探しをしたあとでは剪定うさぎが跳ねまわるばかりの青々とした芝生の光景が胸にすっきりとしみた。
ふり返ってみれば、リストに連ねられた名前はどれもいわゆる問題児と呼ばれるような人ばかりで、そのなかでレディだけが異質だった。
「共通点としては、消灯時間を過ぎたあとの街で杖狩りにあっているってことよね。いったい夜の街にどんな魅力があるのかしら」
食堂からもらってきたクロケットパンをもぐつきながら、わたしは純粋な疑問を漏らす。いつでも級長らしく生徒の規範であろうとするレディまで出かけているのだから、きっと昼間では味わえないなにかがあるのだろう。
「そういえばクォーツも、昨晩は街から戻ってきたところだったの?」
「ああ。ただ、俺のは楽しい理由じゃない。これについて調べごとをしていたんだよ」
ブレザーごしにお腹のあたりを触れる彼を見て、あの禍々しい傷痕のことを思い出す。
「アカデミーの中で調べられそうなことは、もう大抵調べた。街に文献はないが、夜に交わされる人の噂はときに学者さまのお言葉より真に迫ってると思う。ハズレが多いけど」
平素と変わらない表情で言うと、大口を開けてソーセージのホットサンドを頬張った。
どういう経緯があってあんな傷痕がつけられたのか、聞いていいのかどうかわからず、開きかけた口をわたしもクロケットパンでふさぐ。
二人、咀嚼するだけの間が落ちた。
先にクォーツが飲みこんで、ふと言う。
「まあ、夜の街の良いところも知らないわけじゃない。どうせ調査のために出かけることになるんだろうし、ついでに教えてやるよ」
「本当!」
彼がそんな親切なことを言ってくれると思わなくて、とっさにベンチから立ち上がってしまう。それからはたと思いついて小指を差しだすが意図を察した彼は鷹揚に首をふった。
「杖は大事なんでな」
「ああそう。あ、でも出かけるときはわたしもあなたもちゃんと外出届を出すからね」
「わかってる」
座りなおしたとき、はじめよりクォーツとの距離が近くなってしまったけれど、あらためて間を空けるのもなんとなくためらわれてそのまま背もたれによりかかる。
「杖狩りが炎と氷の二種類の特殊魔法を使っているようなの、どう思う?」
魔臓は、複数の杖と同時契約ができない。もしほかの杖と契約したくなった場合は、いま契約している杖を折る必要がある。
事件の時系列をたどると、炎と氷の特殊魔法は入り乱れて使われていた。捜査を撹乱させるために複数の杖を所持しながら犯行ごとに折っている可能性は……ううん、さすがにそんな大量の杖を集めていれば足がつくはず。黒の森に限らず、どの森にも管理人はいるのだ。
「妥当に考えれば、二人組という説だよな」
「やっぱりそうよね。二人いるところを見たって話は聞かなかったから、日ごと交互に杖狩りをしているのかしら。……ちがうわね。ふつうに、二人同時に行動したほうが得られる杖の数も倍のはずだし。撹乱させるためだったとしても、ちょっとまわりくどいわ」
「片方が街に行っているあいだ、もう片方はちがう場所に行って狩りをしているということはないか」
「どうかしら……犯人は、夜中に街に出てくるアカデミーの生徒を狙っているように思えるけれど。もしほかでも杖狩りが行われていたのなら、被害者は生徒以外にもいるはずだわ。そこは実際に街で話を聞いてみないと」
息をつけば、肩がクォーツにこすれた。
彼はホットサンドの包み紙を手のなかに折りたたみながら思案げに空を見上げている。
ともかく、いったん街に出てみないことにはこれ以上の話し合いができない。それがわたしたちが出した現時点での結論だった。
課題という共通の話題がなくなってしまうと、あと二人のあいだで交わせる話は彼の傷痕に関するものだけになる。聞きたいことはたくさんあるけれど、わたしからたずねるのは彼のかさぶたに無遠慮に触れるようで……クロケットパンを食べおわるまでひとしきり悩んだあげく、思いきって彼を見上げた。
「ねえ、課題の達成はどちらのためでもあるでしょう。でもあなたの暗号の解読に、見返りって求めてもいいかしら」
「たとえば」
「授業に出てきてほしいとか」
彼がうつむいたと同時——
わたしはぱかりと口を開いたまぬけ顔で空を見上げていた。
雲がきれぎれに漂ううす水色に、大きな黒い翼が広げられていた。空をかく蹄がしだいにはっきり見えてくる。赤い眼をした犬の三つ首が地上を睨みつけると、それぞれの視線の先にあった樹木が勢いよく発火した。
「——黒の猟犬!」
生徒たちの悲鳴、剪定うさぎのギィギィとした鳴き声のなか、喉の上にはりついていた声がようやく飛び出た。
「立ち去れ怪物!」
生徒の一人が杖から火の槍を投げやる。
それがブラックハウンドの黒々とつやめく脇腹に突き刺さるのを見て、思わず立ち上がる。
「待って、黒の猟犬は黒の森の守り手よ! どうなっているの」
「ということは、あんたの森のやつなのか?」
「かもしれない、わからない……あんなふうに黒の猟犬が暴れているのを見たことがないもの」
「杖を盗まれて、追ってきたってことは」
「それでもああはならないはずなのよ。ともかく、傷つけては可哀想だわ。それに炎はきかない」
黒の森の守り手ではあるけれど、黒の猟犬の魔臓は赤の聖樹の加護を受けている。
火には強いが、寒さにはめっぽう弱い。
「《氷のベール》よ!」
身体の周りに絶対零度の障壁を張る《氷のベール》は、中級の防御魔法だ。四年生で教わるものではあるけれど、幸いいまはお昼休みとあって上級生たちの姿もたくさん見える。
だが黒の猟犬襲撃の混乱の中、わたしの声などたやすくかき消されてしまう。
「つまり寒くすればいいんだろ」
白い杖先がふられる。
そんな気軽さで、彼は吹雪をつれてきた。
またたくまに庭木が染められて、ざわめきはさらに大きく、そして黒の猟犬の翼の音は遠のいていく——空を仰ぐままでいるクォーツからわたしは目が離せなかった。
さんざんうかがえた異常な魔力量は、想像をはるかに超えるものだった。