11、北西の親指
リュミエール魔法学校女子代表の名前を、クロエ・シャドラからローゼ・シャドラに変更しました(『ク』からはじまる人物が多すぎた)。すみません、よろしくお願いします。
「フィーナ、ここはいま何階なのだと思う?」
「それ、わたしも考えていたの。最初の螺旋階段で三階まであがったでしょう……」
「そこから別の階段で、また三階分のぼって……」
「ほら、さっきの廊下が下り坂になっていて、一階分はおりたように思うから……」
「五階だよ」
クレアと肩を寄せて、お互いに指を立てたり曲げたりしながら言い合っているところに、それまで一言も発することなく前を歩いていたローゼがいきなり答えを投げた。
ようやく彼女の足が止まる。ゆったりとした動作で、わたしとクレアをふり返った。
彼女の背後にも、来た道と同じように難解に枝分かれする廊下が続いていた。
けれど床は、これまでの艶のある石や柔らかな絨毯とはちがって、色褪せた板張りになっている。それだけでなんとなく、このあたりは生徒たちだけの空間らしいと察せられた。
「ここが女子寮こと、『北西の親指』。塔を外から見たとき、枝のように建物があちこちへ分岐していただろう? その一つだ」
「それじゃあ、『東の人差し指』や『南南西の中指』なんていう場所もあるの?」
「東は中指と小指しかないな。『南南西の中指』には、天文学と地理学の教室がある」
クレアが悲鳴のようなため息をついた。
「授業のたびに迷子になりそうよ……」
「三年前のでよければ、地図がある」
「三年前?」
うなずいて、ローゼは右手の袖口から栗色の杖を抜いた。
でこぼこと節くれだっていて、指揮者がふる棒のように長い。思わずじっと見つめてしまうけれど、はじめて目にする枝だ。ぽうっとともった光の色は、緑色だった。
《秘密のかばん》がひらかれて、一枚の紙が猫のようにクレアの手に飛びうつる。
となりから覗きこむと、そこには塔の断面図のようなイラストが描かれてあった。
「ぼくは二年時にここに編入してきたんだけど、そのときネルが描いてよこしてきたんだ」
「それは……わたくしが受け取ってしまってよろしいものなのですか?」
「もうぼくの頭には入っているし、そもそもこの塔はしょっちゅう増改築されていて、その地図もさほどあてにはならない。まあ、ないよりはましだろう。こいつを下地に、使いやすいよう上から書き込んでしまえばいい」
『ネル』『ロゼ』……そう呼び合う彼らは、おそらく親しい間柄なのだろう。思い出の品かもしれないとクレアも気遣ったようだけれど、返答はさっぱりしたものだった。
「ホプキンスの部屋がそこで、バラージュの部屋がそこ。ちなみにここは、あとからやってくる来栖魔法処の女生徒の部屋になる」
「四つめの学校ね。『女神のなみだ』の」
三日月の海を囲う、三大陸——
東の大陸が、わたしの故郷クレメール王国や、ペーチェル魔導院のあるレナンド王国など七つの国が栄える『女神のふところ』。
西の大陸が、ここ。リュミエール魔法学校のあるフェリシテ共和国、ほかにも九つの大小様々な国が集う『女神のかいな』。
そして三つめ、三日月の海から南に離れたところに、『女神のなみだ』。ごく小さな大陸で、土地はすべて来栖国が治めている。
「午後になる前には到着するらしい。それまで、いったん部屋で待機してろってさ」
「ローゼはどちらの部屋にいらっしゃるの」
「ぼくは上の階。蝶番号を教えておくから、なにかあったら呼んでよ」
ローゼの杖先から小さな緑の蝶が二匹はばたいて、わたしとクレアの手の甲でそれぞれ羽を休めると、瞬きの間に溶けて消える。
「ありがとう。それじゃあまたあとで」
ローゼたちと別れて、わたしは教えられた自分の部屋に入った。
はるばる海を越えてきたことを忘れるくらい、部屋の間取りは慣れ親しんだクレメールのものと同じだった。違いといえば二段ベッドが一段になっているくらいだ。
「……同じなんかじゃないわ。ここには、大切なひとがいないじゃない」
ベッドに腰をかけて、《秘密のかばん》から真っ先にブルーをひっぱりだす。ふわふわの丸い耳と耳のあいだから見える景色は、いつもよりずっと低くて見慣れない。
ネンネ……。
いまごろは、一限目を受けているはずだ。ひとりでちゃんと起きられただろうか。わたしがいなくて、また泣いてないだろうか。
蝶を送るのはまだ早い。今日一日を無事に終えたあとで、積もる話をゆっくり綴りたい。そうでないと、情けないことを明かしてしまいそうで、余計に心配をかけてしまう。
ふと見上げた窓を、黄金色がひらめいた。
「蝶……?」
立ち上がって、みずから迎えにいく。
伸ばした人差し指に、蝶が脚をとめた。
『オードリー
塔から出られる気がしない。
Q.F.』
なんとなくネンネの甘い声が聞こえると思っていたから、ぶっきらぼうな低い声におどろいて、思わずぷっとふきだしてしまう。
不機嫌そうに口を曲げた表情がありあり思い浮かんだ。あちらもちょうど、部屋についたところだろうか。
『クォーツ
迷路のような塔よね。
安心してちょうだい、わたしはこういうの覚えるの得意なの。遠慮せずに頼って。
オードリー』
すぐにまた蝶が飛んでくる。
『オードリー
声聞いたら顔見たくなった。
Q.F.』
なんなのよ、とぼやいてしまう。
またからかっているのか、本気なのか。
そもそも部屋で待機しているよう言われてる以上、いま会うことはできないし——なんていうのは興ざめだろうか。わたしも会いたいとか、そういう言葉が期待されているのかもしれない。そうじゃないかもしれない。
小瓶から取り出した蝶が、わたしの手の甲で羽を閉じたりひらいたりしながら、返信の言葉をいまかいまかと待ちわびている。
『クォーツ
わたしも——なにっ、きゃあああ!?』
ひとりでに開いた窓から、黒の人影が鳥のように飛びこんできた。おどろいたひょうしにわたしの手もとから蝶が離れて、侵入者と入れ替わるように外へ羽ばたいていく。
「しっ。わめくな」
心底面倒そうに吐き捨てて、そのひとは杖を抜いた。紫の光を目にしたとたん、わたしの身体は石になったように硬直してしまう。
全身が黒衣のローブに覆われているけれど、背格好と声から察するに男性のようだった。
新天地に浮かれて、いまのいままで失念していた事柄が一気に頭を駆け抜ける。そのなかで『ディケンズ』の文字が、能天気だったわたしを揶揄するみたいに赤く点滅する。
フードの奥で、男の口もとが笑った。




