5、手を組む
大地に森をなす聖樹のうち、国際魔法機構により杖にすることが認可されているのは七種類。
三年生までに教わるような術はどの聖樹も識るところだけれど、それぞれの聖樹だけが識っている特殊な術というものもある。
女神様の知恵は、わたしたちの手には余るもの——これは黒の森の現管理人であるおばあちゃんの口癖だ。死や呪いに関する術を多く識る黒の聖樹は、七つに数えられていない。まさしく人の手に余る恐ろしい知恵が誰の手にも渡らないよう、管理人は森を守る。
「結界の魔法陣は、毎日歩いて刻むものなの。おばあちゃん、今年の夏に足を怪我しちゃってから歩くのが辛いみたいで……本人は大丈夫だって言うけど、早く交代してあげたい。……でも、せめてその前に一度、世界がどんなものなのかこの目で見てみたくて」
袖に腕を通してボタンを留めなおしながら、クォーツの視線はわたしのつむじあたりからわずか斜め上にすべっていく。
「……ねえ、あなたが聞いたのよ」
「聞いてた。ただ、あんたが魔法陣に強いのはそういったわけかと思っていただけで」
わたしは思わず鼻の先を撫でる。
「あら、ホプキンスが計算に強いわけじゃないのよ。若いころのおばあちゃんも、お母さんも魔法式を解くのは苦手だったらしいわ」
それていた視線がこちらに正された。
しげしげとわたしをながめたあとで、片側の口角だけが愉快そうに持ち上げられる。
「あんたが教授らに好かれるわけがわかった気がする。そうわかりやすく胸を張られたら、つい手が伸びるものだな」
本当に手が伸ばされて、加減されない重みがわたしの頭に乗せられたかと思うと、そのままぐしゃぐしゃと撫ぜまわされる。
頭を撫でられるのは人より背の低いことを実感させられてあまり好きではなかったのだけれど、わたしはなぜかそれを告げなかった。
「……校長先生が、課題を達成しなければあなたは退学だっておっしゃっていたわ」
「それならそれでいいけどな」
「わたし、いまから勝手なことを言うわね」
そう前置きをしても面と向かって言うのがためらわれて、わたしはクォーツが腰かけている机の椅子に、彼と肩を並べるようにして座る。
「……傷痕を見て、授業に出ないことに関係しているのかしらとか、あなたにとっては退学のほうが都合がいいのかもとか、いろいろ考えたの。それで、本当にそうなら課題はわたし一人でする。でも来年度、あなたがアカデミーにいてくれたほうがわたしはうれしい」
つむじに視線を強く感じたけれど、わたしは鍵のかかる扉をわけもなく見つめていた。
「来年度、あんたはいないのにな」
「課題に落ちればいるわよ」
「落ちない。俺が協力するから」
初級魔法の仕組みを説くベルイマン先生のような口調だった。
さすがに驚いて見上げれば、平然としたまなざしと目が合う。
「どうして急に」
「気が変わった。そのかわり、期限までのあいだ俺の暗号を調べてくれ」
「それは……あなたさえ良ければ最初からそのつもりでいたけれど」
「本当かよ。びっくりして泣いてたくせに」
「なっ、そういうつもりで泣いたんじゃないわ! わかってて言ってるわよね」
右眉が持ち上がるのが前髪の分け目からのぞいたが、それ以上はからかわれなかった。
「それで課題の内容は」
ようやく彼にその話ができる。しかも向こうからたずねられて。
まだちょっと信じられなくて、わたしはどこかぼうぜんとした心地のまま、あの日マクレガー先生から聞かされた話を思い出す。
「今年中に、杖狩りの犯人を捕まえろって」
「杖狩り?」
「ええ。わたしも知らなかったのだけれど、このごろアカデミー周辺で杖を奪われたって報告が多いんですって。マクレガー先生は、同一犯の可能性が高いとおっしゃっていたわ」
「それは警察の仕事じゃないのか」
「国際魔導士になるなら、このくらいは解決できてしかるべきよ。わたしはその道には進まないけれど、誰かの機会を奪ってしまったのだからどんな課題もしっかり達成しなきゃ」
クォーツは肩をすくめた。
「候補に上がらなかった時点で同じ舞台にもいない奴らだぞ。そんなの気にするかふつう」
「人を傷つけてしまったらどうしようと慮ることができるの、あなたとちがって。ところでクォーツって、どこか外の国からやってきた貴族の方だったりする?」
壁時計を見上げながらたずねれば、どういう意図の嫌味だと返される。
「いいえ、あなたを食堂で見かけたって人があんまり少ないから、専属のシェフの料理しか口にしないのかしらと思って」
「んなわけあるか。人がたくさんいてうざったいから、いつも外で食ってるんだよ」
「ああ……わかるわ、わたしもネンネが補講のときは一人で行くことになるけれど、ぽつんと座った周りを集団に囲まれてしまうと世界で一番孤独になったような気がするもの」
一緒にするなという不満の沈黙があったが、わたしは気にせず席を立って続ける。
「そろそろお昼休みよ。聞きこみといえば人の集まるところでするのが鉄則じゃない」
「さすが優等生、もっともだ。惜しいな、適材適所という発想が加われば満点だった。あんたの問いかけなら大抵の奴はまじめに答えるだろうが、俺みたいな問題児がたずねたところで相手にする奴がいると思うか?」
「ええ、そこで適材適所よ。聞き込みはわたしがやる。けれど同級生の男子に、わたしの話をまともに聞いてくれない人もいる。クォーツ、私を教授だと思って睨んでみて」
つんけんした態度ではあるけれど、クォーツはわりに年相応の付き合いの良さがある。
短いあいだで察したことはまちがいではなかったようで、彼はおもむろに腕を組むとぐっと眉を寄せて目を半分に、薄いくちびるは舌打ちの準備でもしているみたいに歪められた。
月明かりの美少年がまたたくまに街の不良少年だ。堪えきれずおなかを抱えて笑う。
「最高! ちなみに、背は高いほう? わたしから見ればみんな塔のようでちがいがわからないのだけれど」
「安心してくれていい。じつは俺、四年生は三回目なんだ。成長期の男子の二、三年は目を見張るちがいがあるぞ」
しれっととんでもないことを明かされた気がしたけれど、ひとまず彼をつれていれば話を聞ける人数は増えるだろう。
せっかくその気になってくれたのだから、また腰を重くしてしまう前に食堂に急がなくちゃ。
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