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4、傷痕をそっと

 せっかく出席したサボり魔を追い出すなんてありえない。たしかにクォーツの大声は先生の話を邪魔したかもしれないけれど、ハドウェル先生は『問題児』への当たりが強すぎる。一言の注意でよかったはずなのに。


 からになったとなりの席を見やれば、さっきまでやりとりしていた紙切れだけがぽつんと残されていた。ハドウェル先生に見つかる前に回収して手のなかで折りたためば、ちょうど《矢避けの風》の簡易魔法陣が表にくる。


 ……驚いてたな。

 素直にうれしい。じつは、すごくうれしい。ちょっとクセのある式だけれど、悲しいかな必要に駆られる場面が多いので、入学したてのころがんばって覚えたのだ。環境を変えて幾度も計算を重ねながら、少しでも速く暗算できるよう練習して……自分のためにしたことなのに、彼が驚いてくれたことでふしぎと当時の自分が報われたような気がした。


 でも、用事の済んだクォーツはもう帰ってしまっているだろう。そう思いこんで憂鬱に授業を終えたわたしは、廊下に出たところで壁にもたれる姿を見つけて飛び上がった。


 ネンネの靴とばし占いもばかにできないかもしれない。


「クォーツ、まだいてくれたのね」

「そうかと納得して帰れるような話じゃなかったからな。完全な魔法式を解けるどころか、陣を刻まずに暗算もできるってことだろう。それはもう聖樹の域じゃないのか」

「まさか! 聖樹は女神様の御使いよ」


 冗談でも恐れ多くて、大声が出てしまう。


 原初の魔法使いや魔女たちは、大地の女神ゲルニカ様から聖樹を介して魔法を教わったという。


 杖は聖樹の枝で、魔力を捧げることでゲルニカ様の知恵をお借りしているのだ。


 杖に捧げられる魔力のないわたしは、魔法式を自力で計算することで魔法を使う。

 昨晩クォーツを捕えた魔法のような複雑なものは魔法陣を刻まないと計算できないけれど、初級魔法くらいならすぐに暗算できる。


 計算の速さと記憶力の良さはわたしの特技だ。それは胸を張って言える。


 でもたぶん、どの学年にも二、三人はいる程度だ。


「中級以上でわたしがあの速度で暗算できるのは《矢避けの風》だけ。もっとすごい魔法を先生たちならたくさん暗算できるわ」

「教授は好かない」


 彫刻みたいに整った鼻の頭にしわが寄る。

 それがほどけたかと思うと、クォーツはぱっとわたしの手首を取って歩きだした。


「ちょっと、二限はそっちじゃない」

「うるさい。間に合いたかったら黙ってろ」


 このひとって、どうしてこういう言い方なんだろう。今度はわたしの鼻の頭にしわが寄るけれど、二限には間に合いたいし彼を逃すわけにもいかないので、しぶしぶ口を閉じる。


 あまり遠いところにつれていかれたらどうしようかと思っていたが、クォーツはほどなく足をゆるめると空き教室の扉を開けた。


 入るなり彼は鍵穴に杖をかざす。まさかと思ったときにはカチリと錠の落ちる音がした。


「はあ⁉︎」


 クォーツはわたしの手首を放すと、めんどうくさそうに口を曲げてどかりと机に座る。


「どういうことよクォーツ! 《錠の王》は、国際魔導士級でようやく使える術よ」

「なんだそっちか」


 さもどうでもいいことを言われたという表情が解せない。そもそもそっちってどっちだと詰め寄ろうとしたとき、彼がブレザーを脱いでネクタイをほどいていることに気がついた。二つ外されていたボタンの続きに指をかけながら、青い瞳が気だるげに見おろす。


 はたと、そっちの方向に思い至る。


「な、なんで脱いでいるのよ!」

「脱ぐだろ、そりゃ。なんのために人気ひとけのないところまでつれてきたと思ってるんだよ」


 名前を呼び合ったこともなかったわたしが、年の近い男の子の裸に慣れているはずもなかった。


 胸のあたりがはだけたところで、とても直視できなくなってうつむく。


 床にシャツが落とされた。


「おい、こっち見ろ。顔までそんな赤くなっちゃ髪と区別つかないな、レッドノーズ」

「誰が酒飲み妖精(レッドノーズ)——」


 煽られるまま睨み上げたわたしは、そのとたん喉に石がつまったようになる。


 後ろの窓から、まだ朝の残る光が差してクォーツを影にしていた。それなのに彼の腹部に刻まれた赤黒い傷痕——蝕むように巨大な魔法陣は、鮮明にわたしの目に焼きつく。


「これがなにか、わかるか」


 これまで聞いた中で一番低くて、たぶん一番彼本来に近い声色でたずねられる。


 男の子の裸を前にしているなんて恥じらいは消えていた。文字のかたちをしたかさぶたに指を伸ばしかけて、はっとして彼をうかがうと、まなざしだけで許された。


 傷痕に触れて、なぞる。

 ああ、なんてこと。

 たしかにこれはゲルニカ文字だ。神聖な文字が、どうしてこんな。


「複数の式……三つや四つなんて次元じゃないわね。ところどころ文字が欠けて……いいえ、これはあえて空白になっているんだわ。魔法陣のようだけれど、完成した陣にはなってない……なおざりに式を立てているにしては細かく文字を刻みすぎだし、でもこの通りまっとうに計算すると……破綻する——クォーツ、たぶんこれ、魔法陣の形をした暗号よ」


 わたしにとって、クォルツ・フテルクは課題の協力相手。


 まだ彼にその気はないらしいけれど、そのところは追々。友達でもなんでもないし、だから勝手に彼の過去だとか想像して、同情して、泣きたくなんてないのに、


「ぶさいく」

「なっ」


 とっさに眉を吊り上げたら、目のふちにひっかけていたものがこぼれてしまった。本当に信じられない男。あわてて背中を向けるも、もうこちらを見ろとは言われなかった。


「どうしてあなたが昨晩、わたしに捕まってくれたかわかったわ」

「地面に魔法陣が光るのを見て、賭けたんだよ。結局、俺のは魔法陣ですらなかったわけだけど、そうわかっただけでも進歩か。なあ、そろそろ行かないと二限に間に合わないけど」


 親切な忠告は無視した。


 彼もそれ以上は声をかけてこなかったので、わたしは目を閉じて、涙が止まるのを待った。そのままどのくらい経っただろう。


 ようやく乾いたまつげを向ければ、じっとこちらを見ていたらしい青の瞳とぶつかる。


「あんたが国際なんとか行きたいのってなんで。差別してくる奴ら、見返したいから?」

「……あなた、本当にわたしのこと知らないのね。わたしの家、黒の森の管理人よ」


 勝手に泣いた償いのつもりじゃないけれど、わたしはこのときはじめて誰かに、一番わたしに近いところの声を聞かせた。


「世界を見てまわりたいの」

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