38、褒められたい
神樹の封印を解いたとき——織り込んだのは結界の魔法陣だけではなかった。無数の光の蝶々が、通風口から外へ、そして上空に舞い上がるよう……それがあたかも封印の解ける合図であるかのように演出した。
生きている蝶とはちがって、魔法の蝶はこちらの意のままに動かすことができる。国際機構まで飛ばさなくても、上空で異常な飛び方をさせれば、国際魔導士のひとたちはきっと助けに来てくれる。そう信じていた。
「どこまで覚えてる」
天井のブルーを見上げていたわたしを、心配そうに眉を寄せたクォーツがのぞきおろす。
「……神樹が燃えたところまで」
「……そうか。あれからすぐ国際魔導士が飛んできて、人工聖樹やあの場所で研究されていたものぜんぶ、それから森にいた『ディケンズ』の仲間のことも引き受けていった。行商人の男も、さっさと病院に運ばれていったよ。俺たちは巻き込まれた被害者ってことで、やたら気をつかわれて、なんだか自分が子供だってことをあらためて痛感させられた」
ばつの悪そうな声に、わたしも同調する。
アカデミーの域を越えた瞬間をわかっていた。そのときに、強がりを捨てて素直に助けを求めていれば、これほど命の危険にさらされることはなかっただろう。
最初はたんなる杖狩りの話だった。その根っこがこんなところまで繋がっていたことに、マクレガー先生が気づいていたとはさすがに思えないけれど、課題で試そうとしていたのはきっとこのあたりだったんだろう。わたしのなかに根付いていた劣等感と虚勢。平均よりも魔臓が小さいという事実を、誰よりもうがって見ていたのはわたし自身だった。
小さな魔臓が、わたしを劣らせることも優れさせることもない。誰だって助けを必要とすることはある。わたしにとって必要な助けが、周りとちょっとちがうというだけだ。
退学間際だったクォーツを救うのではなく、彼と手を取り合うための課題だった。
ゆっくりと上半身を起こして、ベッドの背もたれに寄りかかる。クォーツの手を引いて、彼も腰かけるようにとうながした。
「おばあちゃんは?」
「ああ、そうだった。なにより先にそれを言うべきだったな。事情を話して国際魔導士に黒の人工聖樹を燃やしてもらったんだ。そうしたらメアリーさん、なんだろうな、目に輝きが戻ったかんじで。下にいるから、あとで話してみるといい。あんたが一番、彼女がもと通りになったか実感できるだろ」
よかった。本当によかった。
言葉も出てこなくて、わたしはぼうぜんとしてため息をついた。会えば、頼らなかったことを叱られるかもしれない。そんなの甘んじて受け入れる。彼女が無事なら、それで。
布団の上に投げ出していたわたしの手を、クォーツの手のひらが覆う。
「行くんだろ、国導過程」
「……ええ。行きたいわ。おばあちゃんのことはやっぱり心配だけれど……わたし、国際魔導士のひとが辿った道をこの足で追いたい」
決して、追いつくことはできない。わたしは黒の森の管理人で、いつかは森のなかに囚われることになる。
それでも、だからこそ、いまだけは。
「いいんじゃないか」
クォーツは他人事みたいな口調で、でも表情には隠しきれない喜びを浮かべて言った。
「俺はとりあえず、つぎの契約どうするかな」
「つぎの契約?」
「ああ。神樹は燃えただろ。だから二つ目の魔臓はいま、どことも契約してないんだよ。まあ、これは魔法生物の魔臓らしいし、厳密には契約じゃなくて加護なんだろうけど」
言われてようやく気づく。そうだ、神樹が燃えたいま、クォーツはもとある魔臓と契約してあった青の聖樹の杖しか使えない。
すべての特殊魔法を使うことも、杖をふるうことなく発動させることもできない。
でもそれは彼の望んでいたことだったはずだ。
彼自身は、みずからのそういうところを『怪物』らしいと忌み嫌っていた。
また二つの聖樹と契約しようというのが意外で、青の瞳をじっと見つめてしまう。
「そりゃあ二つも魔臓があるんだから、せっかくもう一つ選べるのに契約しないのは損だろ……って」
照れたようにクォーツは耳の後ろをかく。
「じつはさっきメアリーさんに言われて、なんか、納得したんだよな。いつか絶対につき返してやるけど、魔臓が二つあること自体は、ただ魔臓が二つあるってだけなんだなって」
見たことがない晴れやかな顔でそんなことを言うから、うれしくなったのと同時におばあちゃんがうらやましくなった。彼にこんな顔をさせられるなんて。
「あんたとメアリーさん、似てるよな」
「それは……なんというか、複雑ね。おばあちゃんのことは大好きだけれど、わたしってあんなにふわふわしているかしら」
「ああいや——」
ちらりと髪を見られた気がしたけれど、見間違いだろう。
「俺だけじゃ、そんな考え方はできなかった。目の前が晴れたみたいだって礼を言ったんだ。そうしたらメアリーさん、鼻の頭をこすりながら胸を張って『わたしはこの世界にたった一つのすばらしい杖なのよ!』って」
「うわあ……褒められたがりのおばあちゃんなの。ごめんなさい、恥ずかしいわ……」
「自覚ないんだな」
どういう意味かと首を傾げるけれど、クォーツは話題を変えた。
「あんたが倒れたの、封印を解いたのと、俺の手枷を外してくれたせいでもあるらしい。《錠の王》を暗算するなんて自分でもできないって、国際魔導士の男が褒めてた」
「えっ! うそ、うれしいっ!」
素直にゆるめた頬を、急に不機嫌そうに下くちびるを尖らせたクォーツが咎めるようにつねってきた。そのままぐにぐに揉まれる。
「これでも感謝しているんだ。あと申し訳ない気持ちもある。なにかしてほしいことはあるか?」
「やっひぇることと言っひぇることがちがうと思うの——そうね、だったら」
彼からも褒めてもらいたい。
言葉より先に、せっかちな頭が前のめりになる。
褒めて、撫でて……どう言おうか、迷う一瞬のあいだに大きな手がわたしの頭を挟みこんだ。そのまま彼は、黒の猟犬を撫でまわすわたしとまったく同じ手つきでぐしゃぐしゃとかきまぜはじめる。
乱暴なようでいて優しくて、むしょうに楽しくなって、喉から笑い声が止まらない。
「ほらな。あんただって十分、褒められたがりだろ。……それで、そんときの顔が一番かわいい」




