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37、合体

 森の管理人のはじまりは、魔導革命の終わりとぴったり重なる。探究心の果てに亡くなった多くの命を受けて、人と神とを遠ざけようと聖樹の管理を言い出した人物は、教会で人工魔法を開発していた元研究者だった。


 革命時に見つかった人工魔法のレシピはすべて燃やされた。禁忌に触れた研究者たちもことごとく処刑されることになっていた。しかしこの人物の提案によって、子孫代々聖樹を護り、永遠に森のなかに囚われる誓いを立てれば、処刑をまぬがれることになった。


 世界には幾千の聖樹の森がある。

 どの森の管理人も、魔導革命で罪人と烙印を押された研究者たちの血縁者だ。

 そんなわたしたちに受け継がれてきたのは、遠い過去の罪ほろぼしと、たった一つの禁忌の魔法。決して紙に書いてはいけない。一族以外の者に説いてもいけない。二度と女神様の冒涜が行われないために、人々から聖樹の森を守る、絶対に破れない結界。


 効果は二日と保たないが、一度発動させてしまえば、カナンの邪魔をおそれることなく幾度だって重ねがけができる。パピヨンを使って助けを待つことも、安全に行えるだろう。


「《つぐないの檻》——これは森の管理人(わたしたち)だけが使うことをゆるされた、人工魔法よ」

「つぐない、って……」


 かつては根強くあったという森の管理人に対する忌避も、何百年という月日が風化させた。それでもわたしたちは結界の名前を口にするたび、まだ囚われたままだと自覚する。


 いくらか冷静を取り戻してくれたらしいクォーツが、氷の槍を消した。カナンに向ける警戒はそのままに、こちらをうかがう。


「いまは歴史の授業をしている場合じゃないわ。それよりも優先するべきことがある。カナン、もう一度聞くわ。あなたは、クォーツに植えた魔臓の取り除き方を知っているの?」

「いいえ、私は知りません」


 鷹揚に、カナンは首を横にふった。


「ですが、伯爵アールならあるいは」

「ウィリアム=ディケンズはどこにいるの。答えないのなら、わたしはいますぐここに国際魔導士を呼ぶ」

「おや。魔法機構にパピヨンでも飛ばすおつもりですか?」


 カナンはわかりやすく伯爵アールについての話題を避けた。居場所を知らないのなら、はなからそう答えるだろう。


「そんなこと、するまでもないわ。国際魔導士は異常事態に、世界の誰よりもはやく駆けつける。クォーツ、あなたなら異常事態の一つや二つ、簡単に引き起こせるわよね」

「ああ、とりあえずそれに雷を落とすとか」


 言葉にしなくても、クォーツは正確にわたしの意図を汲んでくれた。おもむろに手にされた杖の先が神樹に向けられるのを見て、はじめてカナンの顔色が変わる。


「……学生風情が、私を脅すつもりですか」

「脅されてくれるのね。よかった、攻撃がきかなかったらどうしようかと思ったけれど」


 本物の聖樹なら、たとえ雷が落とされようとも傷一つ負わない。神樹と呼ばれていようとも、しょせんは人間につくられたものということだ。わたしたちの手で害せるのなら、じゅうぶんカナンに対する牽制になる。


「もう一度、聞くわ。ウィリアム=ディケンズはどこにいるの」


 あれほど柔和そうだった目もとが、剥き出しになって血走っている。くちびるが小刻みに震えて、食いしばられた歯の隙間からは白い泡が見えた。ふう、ふう、と荒々しい息づかいのあとで、ようやく口が開かれた。


「……裏切り者の娘が、軽々しくあのお方の名前を口にするなど」

「答えになっていないわ」

「おまえの祖母は抜け殻となって死ぬ。その男も生涯、神樹の養分となりつづける」


 壊れたおもちゃのように、音量のいびつな笑い声がけたたましく響いた。ついさっきの狼狽の上に、新たな表情が塗り重ねられる。まるで悪魔が憑いたみたいな邪悪な笑顔だ。


 身にまとう白の衣が、鳥肌が立つくらい浮いていた。すくんでしまったわたしたちに身体を向けたまま、カナンは悠々とした足取りで真後ろへとさがっていく。

 一歩、一歩、神樹に近づくごとにその笑みに恍惚としたものが混ざる。

 

「封印が解かれた以上、いずれはここも白日のもとに晒されるでしょう。ええ、お好きなようになさればよろしい。私は、ただ神樹の一部となることが叶えばそれでいいのです」


 拘束を受けるように、カナンはみずからの両腕を背の後ろにまわした。

 重ねた手首を、神樹の幹にぽっかり空いた虚に押し入れて、さらに奥へと捩じ込んだ。そう深い穴ではなかったはずなのに、みるみるひじのあたりまで飲み込まれていく。


「神樹よ! 私を食らいたまえ!」


 カナンの首筋を、血管のように細く複雑に絡み合った根が這い上がっていく。

 首から下はゆっくりと幹のなかへ沈んで、まるで木が咀嚼しているかのように、骨のへし折れる大きな音が絶えず響いた。


 あまりの恐怖に、声も出せなかった。なによりもカナン自身がずっと心地良さそうに目を細めていることが、あまりにも不気味で。


 神樹によるカナンの吸収は、彼の顔面だけを残して終わった。にぃ、と歯が剥かれる。


「さあ、雷でもなんでも落とせばいい。神の一部となって潰えるなど、なんたる僥倖!」


 当然、こちらの言葉ははったりで、本当に雷を落とすつもりなどなかった。そんなことをすれば地上の人々を巻き込むかもしれない。死ぬつもりは毛頭ないけれど、関係のない誰かを傷つけてしまう意思も覚悟もない。


 それに、まだウィリアム=ディケンズについて具体的な手がかりを得られていない。クォーツがこれまで無茶をしてきたのはすべて、自身の魔臓を取り除くためなのだ。ここまで追い詰めることができた……こんな機会が、つぎにいつ訪れるかだってわからない。


 いま、口を割らせなくちゃ。

 どうやって?


「あっちはただの木になったんだ。煮るなり焼くなり、こっちの自由だぜ」


 硬直するわたしの背中を、クォーツがゆっくりさすってくれた。


 たしかに聖樹が魔法を使うことはない。それらはいわば演算機で、杖の持ち主のため思考するだけのものだ。


 ——はたと、わたしはクォーツを見る。


 目を丸くする彼の胸もとを、思わずぐいと引き寄せていた。


「そうよ! あなたよ、クォーツ! あなたが、この神樹の契約主!」


 パパの手記によれば、クォーツのなかには神樹の加護を受けた魔臓が息づいている。


「あなたの意思を、神樹は無視できない。神樹となったカナンだってきっと同じよ。あなたが問えば、真実を答えざるえない……!」

「カナン——」


 クォーツとともに神樹を見上げる。

 さきほどまで微笑みさえ浮かべていたカナンは、いまや恐怖を顔全体で表していた。一歩踏み込んだクォーツから離れようと、首を無我夢中でふりたくるけれど、神樹となった身体は大地にしっかり根を張ってしまっている。


「オードリーのおばあさんは、どうすればもとに戻る」

「あの女の体内に巣食うのは、我々が育てた黒の聖樹の根。木そのものを燃やせば、身体のなかの根も潰える——ひぃっ、やめろ! 殺す! おまえらいますぐ殺してやる!」


 わめくカナンを無視して、クォーツが首だけでわたしをふり返った。穏やかに細められた目もとが、「よかったな」と告げている。


 彼がどれほど魔臓を取り除きたがっているか、もう他人事とは言い切れないほどにはわかっている。それなのに、真っ先におばあちゃんのことをたずねてくれるなんて——


 声を出したら安堵の涙がこぼれそうだった。くちびるだけで「ありがとう」と返す。


「さらに聞く」

「うるさい! 死ね! 死んでしまえ!」

「ウィリアム=ディケンズはいまどこにいる。これから、どこに行こうとしている?」

伯爵アールはその穴の上に」


 カナンの視線を追って、わたしとクォーツはついさきほど落ちてきた封印の穴を勢いよく見上げた。穴の向こうに人影は見えない。けれどカナンの言葉が本当なら、彼はずっとわたしたちのそばにいたということになる。


「彼はまた神樹を探す旅に出ます。おお伯爵アールお許しください! 博士が持ち出したゲルニカの杖のありかを、伯爵アールはアカデミーのいずれかに——」


 壊れたおもちゃを、無理やり黙らせるみたいに。

 口の止まらないカナンの首が落ちた。


 一気に神樹が燃え上がる。クォーツが雷を落としたわけじゃない。きっとどこかで見ていたウィリアム=ディケンズが火を放ったのだ。カナンも、同じように彼の手で……。


 血の気が引いて、足が棒切れになったみたいに立っていられなくなった。とっさに抱きとめてくれたクォーツが、しきりに名前を呼んでくれているのが伝わる。けれどひどい耳鳴りがすべての音を遮断してしまう。


 上下に揺れて回転する意識。途絶える間際、紫紺のマントが目の前にひるがえった。


 輝く金糸に刺繍されるのは、たった一つのすばらしい杖——国際魔導士の紋章エンブレムだった。

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