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35、踊る、跳ねる、溶ける

 わたしの魔臓が平均以下だからとか、そういった色眼鏡とは関係なく、クォーツのわたしに対する評価は異常に高すぎる気がする。


「わたしが大丈夫よと言ったら、あなた崖からだって躊躇せず飛び降りそうよね」

「まあ、そうだろうな」


 クォーツは両腕を持ち上げて伸びをした。

 足もとでは、複雑に駆け巡る光の線が白々と照っている。光の届かない最奥では、沈黙する黒の聖樹が闇のなかで息を潜めている。

 いまは唯一の生き延びる道であり、死に繋がる門である魔法陣。わたしたちは鉄扉を開いて、またもやこの場所に戻ってきた。


 ——神樹の封印を解く。


 そう告げたわたしよりも、なぜだかクォーツのほうが落ち着きはらって見えた。


 問い詰められることを覚悟していたのに、どうしての一言もなくあっさりうなずかれたものだから、ひょうし抜けしてしまう。そんなわたしの戸惑いなどお見通しとばかりに、彼は片口角を真横に引いて鼻で笑った。


「そう気負うなよ。万が一があっても、俺はあんたに殺されるんならべつにいい」

「いいわけないでしょう。それに、わたしはぜったいにあなたを殺さないわ。死なせない。だからあなたも、わたしを死なせないように全力で守ってちょうだいね。……わたしを引き離す、なんて姑息な手は使わずに」


 ちくりと刺してやると、彼は腕を腰もとにおろして、わざとらしくため息をついた。


「おかしいな。そういうのって、小説とかじゃお決まりなんだと思っていたけど」

「少なくとも、わたしの物語にはないわ。わたしの人生に徹底的に巻き込む覚悟、あいての人生に徹底的に巻き込まれる覚悟。これがなくちゃ、愛してるとは言えないと思う」


 こんな危険な研究をしていたパパが、ママを遠ざけたりせずに結婚したのも、わたしと同じ考えだったからだろう。ふしぎとそう確信できた。

 わたしとあのひとは、きっとよく似ている。


「……なるほどな」

「覚悟は決まった?」

「ああ」

「それじゃあ、始めるわよ」


 どこかで、カナンが見ているだろう。


 じっと暗闇に目を凝らす。見通せず、のっぺりとした黒の壁が立ちはだかるばかりだ。


 足もとの魔法陣に顔をうつむける。

 光る記号と数字を、一つ一つしっかりと網膜に焼き付けてから、ぎゅっと目を閉じる。


 綿密に紡がれる魔法式に、意図して散りばめられた空白たち。そこにはめ込む答えが、本当にわたしのなかにあるかどうか、まだわからない。探るためにもまずは式を読み解いていかないと……幾度か失敗したところで、すぐに殺されてしまうとは思えないけれど、わたしから解が導き出さないと判断すればカナンは容赦なく死を突きつけてくるだろう。


 ゆっくり息を吸いこむ。

 喉をぐっと詰めて、数字を数える。


 いち、に、さん、し、ご……

 すべて吐き出してしまってから——


 右足で最初の文字を拾う。

 それから左足のつまさきで数字を蹴る。

 掛けて、引いて、かかとで捉えて。


 手記に綴られていた文字とよく似た筆跡が刻む、魔法式。パパが最後にのこしたもの。聖樹の識っているそれとはちがった、ちょっとした無駄のあるが織り込まれた式をたどるうち、そのひととなりが自然とほどけていく。


 わたしにとっては、彼自身の言葉よりも魔法式のほうが読み解きやすいようだった。


「こんなふうに厳重に封印なんかして……簡単に人の手に渡ってはいけないものだってわかっていたなら、この世からしっかり消してしまうべきだったのに。もったいたくて、完全には捨て去ることはできなかった」


 研究者としての一面も、ママを愛する一人の男としての一面も手放せなかった。わたしの父親という一面さえ、教会に嗅ぎつけられるギリギリまで捨てられずにいた。ううん、彼がまだ生きているなら、いまでもわたしの父であることを諦めてはいないだろう。


 欲しいものには手を伸ばさずにいられない。そのためには周りのことも、欲する対象の都合すらあとまわしにしてしまう、傲慢で欲深いひと。ひどく情の激しいひと。


 ああ、この陣を刻んだ人物は、まちがいなくわたしのパパだ。暗号よりも先に、彼の思考が明白になる。|あのひとは最初からわたしがこれを解くことになるとわかっていた。


「まったくとんでもない父親よ!」


 パパの魔法陣の外周をひとまず一周なぞったところで、わたしは抑えきれない怒りのまま叫んだ。


「オードリー?」

「彼、自分じゃ決断できないからって、すべてを娘に丸投げしたんだわ!」


 研究成果の行く末を、わたしに預けた。託した、と言えば聞こえはいいかもしれない。けれどおそらく、わたしが神樹をどうするかなんてことはさほど重要じゃないのだ。

 彼にとってもっとも大事なのは、娘を巻き込む(・・・・・・)ことなのだろうから。あのひとは、わたしを危険から遠ざけることよりも、親子の繋がりを途絶えさせないことを選んだ。


「きっとわたし、暗号を知ってる。パパとわたしを繋ぐもの……」


 彼がいたとき、わたしはまだ二歳ほどだった。交わした言葉も、二人で見た景色もおぼろげだ。それに、何十年と経っても忘れないようしっかりと暗号を覚えさせるには、一度や二度口頭で伝えただけでは心もとない。


 刷り込みをさせるくらいでないと。


 ……まぶたの裏に、ブルーが点滅した。


「なにが『寝かしつけ用のおもちゃ』よ」

「わかったのか?」

「だいたいはね」


 でも、どう表すのが正解なのだろう。魔法式に組み込むためには、あの場所をゲルニカ文字か数字に置き換えなくてはいけない。

 素直に考えるなら、湖の名前が怪しい。けれどベッドから見上げる世界——目覚めてすぐに目に映るブルーの正体を、わたしはまだ知らない。いつだって簡単に調べられるとわかっていながら、あえてそうしなかった。


 わたしにとってあのブルーは、まだ見ぬ世界。憧れで、愛しくて、手の届かないもの。

 いつかこの足で訪れたときに、はじめて名前を知りたいと思ったのだ。


 たぶん、湖の名前は正解ではない。もともとあの地図には文字が刻まれていなかった。大地も川も湖も、名前のないまま描かれてある。ブルーが脳裡に刷り込まれてあるように、暗号の答えもわたしのなかに刷り込まれた情報を使って導けるもののはずだ。


 地図のどこにも文字はない。

 けれど数字ならば——


 記憶しようと隅々まで身を凝らしたことはなかった。それでも、物心のつく前から毎日目にしていた光景は、まぶたの裏にそっくり写しとったかのように焼きついている。


 この大地は、赤ん坊のようにうずくまるゲルニカ様。球体をしている。地図には、その場所がゲルニカ様のどのあたりなのか求められるよう、緯度と経度が記されてあった。


 うん、立ち止まる必要なんてない。


「もう一度」


 起点に戻って、右足で最初の文字を拾う。


 それから左足で数字を蹴とばす。


 靴の先から、しゃん、と土が跳ねた。

 つられて羽ばたいた数字を右手の甲に止めて、そっと地面へと還す。

 視界のはしで踊る髪が、いつもよりいっそう赤々として見えた。炎が遊んでいるみたい。ぽたぽた、そこから解がこぼれ落ちて、足もとを駆ける魔法陣の光と一つになる。


 わたしのなかのぜんぶが、一斉に演算をしている。身体のどこも煮えたぎって、沸騰した血液が皮膚を突き破ってしまいそうだ。めまぐるしく駆け巡る魔法式。その流れのなかに、わたしの意識は溺れて、溶けていく——

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