31、裏切り者
積み石で造られた通路が、左右にどこまでも続いていた。やっぱり天井にはいくつも通風口が設けられていて、風の鳴る音が響く。
人の気配はないが、どこからかあの司祭風の男に見られているのだろう。手のひらで遊ばれているような心地になりながら、わたしたちはともかく左手を進むことに決めた。
「……ここは、パパの研究所なのかしら」
「そうじゃないか。書斎があったわけだし、《転移の門》が黒の森にあったのもそういうことならうなずける。あんたのお父さんは、森に研究所の入り口を隠していたんだろ」
「いいえあの陣は、間違いなくここ数ヶ月のあいだに刻まれたものよ。長く遊び場にしていたけれど、小屋にあんなもの一度も見なかったもの」
それにパパは、わたしをこんなことに巻き込みたくはなかったはずだ。
手記をたどっても、まだ彼の輪郭はぼんやりとしていたけれど、一般的な『父親』であればおそらくそう考えるものだろう。
決して善人ではなかったけれど、あのひとはわたしの父親なのだ。
「《転移の門》は『ディケンズ』の人たちによるものよ。おばあちゃんが足を悪くして、結界がゆるんだ隙に入り込んで刻んだんだわ。小屋をよく使ったわたしはアカデミーに入学してから留守にしていたし、おばあちゃんは足の怪我のほかに……その」
「そう、それが妙に引っかかっていたんだ。小屋のなかに、魔法陣は堂々と刻まれてあっただろう。しかも黒衣の男たちは気配を隠すこともなく森を徘徊していた。ふつうはもっと慎重になる。奴らはきっとあんたのおばあさんの変調を知っていた」
「……管理人は、ほとんど森に閉じこもりきりで過ごすのよ。関わる人間なんて限られているわ。ときおりパパの捜索にやってくる教会の人と、それから通いの——」
はたと、顔を上げる。
「行商がどうのって、森で見かけた彼らが言っていなかった?」
「言っていた。それとオードリー、あんたのおばあさんは軽く雑談した程度じゃむしろ若々しいほうだよ。それなのに、魔法陣をあんな大胆に刻んだ奴らはよほどおばあさんの変調を信頼していた。根拠があって言うわけじゃないが、その行商だか教会の人間だかを通じて、なにか盛られているんじゃないか」
そういえばおばあちゃんは、足の薬を通いの行商から買っていた。けれど効き目にぶれがあるとかで、途中からわたしが街で買った薬を送るようになったのだ。
行商について話していた男たちは、『孫が邪魔している』とも言っていた。その意味がいまならわかる。……わかってしまう。
思わず立ち止まる。
クォーツに見おろされる気配があったけれど、いまは彼の顔が見れずにうつむいた。
「……あなたってすごいわ、クォーツ。だって、お腹にそんな痕を刻んだ人たちのことを、魔臓を突き返すために追っているなんて。わたしならきっと、復讐してやりたいって真っ先に思ってしまうわ」
「俺だって、家族に同じことをされたら復讐してやりたいと思っただろうよ。当事者になると、まずは現状をどうにかしたいって気持ちでいっぱいになって、そこまで頭がまわらない。魔臓が取り除かれたあとで、復讐してやろうって気が芽生えるかもしれない」
ぐっ、と繋いだ手を前に引っぱられる。
「あんたが望むなら復讐にだって付き合う。俺の力を好きなように使えよ」
「ばかね、あなたにそんなことさせるわけないでしょ。……でも尋問は必要ね。もしかしたら、解毒できるものかもしれないし」
並んで歩き出しながら、わたしは肩ごしにクォーツを見上げた。
「そのときは頼んだわ」
「おおせのままに」
外界から遮断されているような静けさに、わたしたちの足音が再び響きはじめる。
行く先にいくつか木の扉を見つけたけれど、どれも固く閉ざされていて、クォーツの《錠の王》を使って無理やりこじ開けてみれば、その先は真っ黒な土に潰されてあった。
行ける場所が限られていて、まんまと誘導されている。
そうわかっていても、進む足は止められない。出口はなかったとしても、わたしたちの知るべきことは待ち構えているはずだ。
そのうち右手側の壁に、鉄の扉が見えた。
これまでの木の扉とちがって、藍錆色のそれは二枚が鎖と錠前で結ばれている厳重なものだった。あきらかに、あからさまにこの先は重要な場所だ。
《錠の王》での解錠のあと、まだ鎖の絡みついたままの扉をクォーツがゆすった。
わずかに開けた隙間の奥は暗闇だったが、こちらに向かって風が吹き込む。
「……手招きされてるみたいだ」
「閉じ込められたりしないかしら……」
「そのくらいなら《錠の王》でどうとでもなる。それより、ぜったいに俺から離れるなよ。分断されるのが俺たちにとっては一番まずい」
「わかってるわ。離さない」
わたしはとっさに魔法を使うことができない。《矢避けの風》でさえ、アカデミーとちがういまの環境では万全の計算ができないだろう。
クォーツは良くも悪くも、自身の魔力を過信しているところがある。彼が思うよりも魔法は複雑で、凶暴で、使い手のことなど一切顧みない。たやすく周囲の人間を、そして術者までもを殺してしまう。膨大な魔力を意のままに扱うには、彼には知識が足りなすぎる。
けれどひと度わたしたちが手を取り合えば、きっと大抵のことは対処してしまえる。
鎖を床に落としたクォーツが、片手を扉につく。わたしももう片方の扉に手をついて、せーの、のかけ声で同時に押し開いた。
わたしたちの周りを揺れていた翡翠の光が、無数に増えて部屋のなかへなだれ込んでいく。月夜花の光る綿毛を、ふぅっと吹き飛ばしたように。つられた一歩は、やわらかな土の感触を踏みしめた。
「土のにおい……ここ一面、地面がむき出しになって、」
クォーツのつぶやきは途中で途絶えた。
彼の視線の先を追ったわたしも、のどを引き攣らせる。目を疑う光景に、すぐには悲鳴をあげることすらできず凝視してしまった。
太い根が、いびつに土を盛り上げているのかと思った。
しかしその隆起は、よく見れば人間のかたちをしている。
まだ翡翠の光の届かない、奥まったところの天井から下される、いくつもの大きな根。それらが張り巡らされる地面は、人型をした土塊が無数に積み重なってできていた。
わたしたちがいま踏みしめている足もともそうなのか。人型の隆起はないが、ならされて平になっているだけかもしれない。おそろしい想像が頭を支配して動けずにいるわたしの耳に、ふと、か細い声が聞こえてきた。
「たす……た、すけ……」
光が、肌色を照らす。
根の下でほかの土塊と下半身を同化させながらも、その男はまだ瞳に光を宿していた。
「あのひと……っ、し、知ってる」
すぐに助けにいかねばと思うのに、足が根を張ってしまったかのように動かない。
絶え絶えな呼吸ばかりを繰り返す。
「あ……やく、そく、ちがう……」
男がひびわれたくちびるで嘆く。
森に来てくれる行商人は、いつも彼だった。クリフォードさん——そう呼んで、わたしは彼が遠い街から珍しいおみやげを持ってきてくれるのをいつも楽しみにしていた。
アカデミーに入学が決まったと教えたときは、お祝いにと新しい筆記用具を贈ってくれたこともある。……行商人がおばあちゃんに薬を盛ったかもしれないと話したとき、彼の顔が浮かばないではなかった。でもこうして目の前にしてしまうと、信じたくない気持ちが勝手に、身体も心も麻痺させてしまう。
クリフォードさんは弱々しく顔を覆った。
「やくそく、ちがう……くすり……うった、のに……たすけて、くれるって……」




