28、禁忌のあと
神樹計画およびゲルニカの杖について。
ひらめく金色が最初になぞったのは、左側の一冊、そんな書き出しの文章だった。
「世界で発見されている聖樹は十二種類。二種以上の特殊魔法を識る、仮に赤青の聖樹といったものはいまだ確認されていない……」
黄金の光はそこから数行を下ったのちに、またべつの文章の終わりを光らせた。
「女神ゲルニカによって地上に遣わされた知恵をすべて識る、神の化身とも言える聖樹を人工的に生み出す——これが『神樹計画』」
読み上げる自分の声が、嫌悪感と高揚感のどちらで上擦っているのかわからなかった。
鼓膜のすぐ内側で心臓が鳴っている。
アカデミーの入学式に向かうために、はじめて一人で馬車に乗ったとき。あの高鳴りに似ている。膨大な未知に一歩を踏み出して、はち切れそうな期待に支配されている。
そんな音をクォーツに聞かれたくなくて、わたしは繋がる手から少し力を抜いた。
「神樹から得られる全知の杖を、『ゲルニカの杖』と呼ぶ。神樹計画の最終目標はゲルニカの杖によって人類を進化させること……」
人類の進化だなんて荒唐無稽と笑い飛ばしてしまいたいのに、そうできない。杖を使うことなくあらゆる魔法を行使できる人々のことを『進化した人類』と呼ぶのなら、わたしはすでにその人物を知ってしまっている。
クォーツの横顔は、いつもと変わらないように見えた。じっとたしかめてしまうと、視線に気づいた青がこちらに向けられる。
「いまさら驚きはしないさ。……腹のこれがサインだとわかったとき、俺の身体は『ディケンズ』の作品なんだと理解した。どういう作品なのかようやく掴めてきたってだけだ」
「魔臓を、植えられたと言っていたけれど……もしかしてそれがその、神樹の……ゲルニカ様の杖だったということかしら」
「さあ。でもこれが『いまの俺たちに必要な書』なら、当然、関係はしてるんだろうな」
一冊目の本は役目は終わったとばかりに、ページをはためかせながら本棚のもといた場所へと戻っていった。
二冊目が急かすように身体を揺らす。
金色がなぞる文章は、始めはこれまで通り研究に関する覚え書きのようなものであったのが、しだいに文体の趣が異なっていく。
「——人工聖樹の育成には、非常に多くの魔力が必要とされる。先に行った白の人工聖樹育成の際は、枝を研究員全員に行き渡らせ積極的に魔法を使わせることで、彼らの魔力を糧に成長をうながしてきた。しかし神樹には、その十二倍もの魔力が必要とされることがわかった。そのうえ現状では葉もつけず、枝すらも一つとしてなく、丸太のようにしてただまっすぐと幹を伸ばすだけである。いったいどのようにして莫大な魔力をそそぐべきか。行き詰まっていたとき、私はある二つの運命的な出会いを果たすことになる……」
「『ディケンズ』」
先の文章からその文字列を拾い上げて、クォーツが硬質な声でつぶやいた。
「ウィリアム=ディケンズとは、教会からの紹介で知り合った。伯爵と呼ばれていた。クレメールでも近隣諸国でも見かけない、遠い異国の血を感じさせる不思議な風貌の男だった。教会から、私の研究の助力を依頼されて来たと言うので、私と同じ研究者なのかとたずねれば、彼は笑いながら首を横にふった」
▼
「とんでもない、私はたんなる芸術家だよ。しかし女神に近寄らんと手を伸ばす者という意味では、研究者たちと同じかもしれない」
もはや女神崇拝を逸脱して、女神そのものを創りだそうとする芸術家『ディケンズ』には、世界中に傾倒、陶酔する者たちがいた。
最たるは教会関係者。無論、魔導革命からアカデミーの目の届かぬところで禁忌の研究を続ける、私たちのような地下人のことだ。
私は彼に傾倒も陶酔もしなかったが、神樹計画において、私たちはこれ以上ないパートナーとなった。彼の非人道的な発想の数々は私だけでは到底思いつかないものであり、計画に立ち塞がる壁はまさにそういった発想でこそ破れるものだった。また私は彼に、聖樹にまつわる科学理論をいくつも教えた。
彼はおそろしく飲み込みの早い男だった。
私から得られるだけ知識を得てしまうと、今度は地下車庫——アカデミーから匿っていた禁書らを数日足らずで読破してしまった。
そうしてある日、いつものように私の研究施設を訪ねた彼の腕には、まだ首が座って間もないほどの赤ん坊が抱えられていた。
「人工、魔臓……?」
たずねる私の声はみっともなく震えていた。倫理や信仰より、おのれの好奇心を選びとった私でさえ、吐き気をもよおすほどの嫌悪感を抱いた。しかし伯爵はにこやかに、晴れやかに、その呪われた所業を報告した。
「魔法生物は魔法式を解する脳を持たない代わりに、その魔臓は規格外の魔力を生成する。蝶玉の魔臓を下地に、いくつか魔法式を組み込んで、ほぼ無尽蔵に魔力を生み出せる魔臓を作ってみたんだ。ただし人間は普通、二つ以上の魔臓を持たないから、なかなか適合者が見つからずに苦労したよ」
伯爵は荷物をおろすように、その赤子を地面におろした。小さな手足はぐにゃりと力なく垂れる。顔色も真っ白で、とても生きているようには見えなかったが、伯爵は嬉しそうにその子を指さして言った。「ようやく完成だ」
「その子はどこから……」
「新たな魔臓と喧嘩しないほど小さな魔臓の持ち主で、まだ身体の完成していない赤ん坊を村で募ったのさ。報酬付きの治験をうたえば、候補者は何人も集まった。そのなかで一番魔臓の小さかった彼は、幸運だね。おかげで世界一の魔法使いになれるんだから」
誇らしげに、彼は赤子の腹部をさらした。
そこには、伯爵がおのれの作品に必ず刻む独特のサインが、赤黒くただれた傷痕となってあった。
「魔法生物の魔臓は、人間と違って、わざわざ杖と契約する必要がない。聖樹から直接加護を受けられるからね。さあ、杖なし神樹に魔力をそそぐ準備がようやく整った。この子に、偉大なる女神ゲルニカのご加護を」
愚かな告白すれば、私は自身の研究にこれほどの犠牲が生み出されてしまうことをまったく予期していなかった。伯爵の冷酷なおそろしさを知っていながら、どこか他人事に思っていたのかもしれない。すでに私と彼は杖と聖樹の関係にある。分たれたとて繋がりは絶えない。私はこのとき、みずからの歩む道の罪深さを、はじめて真に覚悟した。
ウィリアム=ディケンズとの出会いは、血に塗れた運命だった。
しかし同時期に出会ったマーガレット・ホプキンスは、私にとって陽だまりの運命だった。




