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27、探究心

「まつ?」


 未知の言葉をなぞるような発音でクォーツがくり返した。


「松よ、松の木。マツタケが生える松」

「は? 松?」

「ええ。松。専門家じゃないから、もしかしたら似ているだけかもしれないけれど、たぶん松よ。わたし、枝の選別には自信があるの」


 杖の愛好が高じた末の特技だ。

 そっと枝の片割れを返すと、クォーツは怪訝そうに眉をひそめながら受け取った。


「それじゃあ俺はこれまで、杖と思って松の枝を構えていたというわけか。でもそれっておかしくないか? だって俺はこれまでこの杖で魔法を使ってきたし、赤の聖樹の特殊魔法だって何度も使った。聖樹でもない松の枝で、どうしてそんなもの使えるんだよ」

「わ、わからないわよそんなの。わたしだってなんでも知っているわけじゃないのよ。やっぱり気のせいで、松じゃないのかも……」

「いや、あんたがそう感じたならこれは松なんだと思う。実際、見た目が変わったわけだし、赤の聖樹の杖に見せかけてあったんだ」


 全幅の信頼にむずがゆくなる。

 けれど、本当に松であるかどうかはともかく、クォーツの言うようにあえて赤の聖樹の杖を模してあったのはたしかだろう。


 なぜそんなことを?


 おそらくは、その杖のおかげで魔法が使えているのだと錯覚させるために。


「……クォーツ、杖を出さないまま、赤の聖樹の特殊魔法を使ってみて」


 わたしがお願いした直後に、クォーツから正面の石壁に向かって炎の槍が飛んだ。


 赤い残像が火花のようにまたたく。


 言葉を失うわたしの前で、続けざまに今度は植物の蔓のようなものが壁を打った。


「《蔓草の鞭》、だったか。あの男が使っていた。これ、緑の聖樹の術じゃないのか」

「そ……」


 乾いた喉が、空気をのみこむ。


「そうよ……それは緑の聖樹の特殊魔法。まさか七種ぜんぶ——だけじゃなくて」


 認可されていない聖樹の術までも?


 クォーツは笑った。やけになったように明るい笑い声が、冷えた石の壁に反響する。


「なんだ、それならあんたに《錠の王》を使わせる必要もなかったってことだ。あーあ……いよいよ怪物らしくなってきたな」

「そうね……魔臓を植えたと聞いたときから人の道に反していると思ったけれど、知れば知るほど、同じ人間がしでかしたこととは思えない」

「……そっちを言ったつもりじゃなかったんだが、まあ、そうだな」

「結局あなたに植えられた魔臓は、なにと契約しているのかしら……暗算しないあなたの代わりに、魔法式を解いてくれているなにかがあるはずなのよ。赤の聖樹の杖——松の枝では当然なかった。それならいったい……」


 声に出しながら考えるけれど、わたしだけでは答えが出ないこともわかっていた。


 『ディケンズ』はまちがいなく怪物だ。理解が及ぶとも思えない。


 しかしそれ以前に、悔しいけれど、わたしの持っている知識だけでは圧倒的に足りない。


「……行きましょうクォーツ。ひとまずここがどういう場所なのか調べましょう。出口も見つけないと、一生ここから出られなくなるわ」


 部屋には扉が一つだけあった。木でできたそれは、これといった飾りのない簡素なものだ。


 誘われているようでもあるけれど、引き返せない以上は進むほかない。


 わたしをかばうように先に行こうとしたクォーツの手をつかんで、となりに立つ。


「あなたの手をつかまえていないと、ろくなことにならないと学んだの」じっとり睨み上げてそう言えば、彼は苦笑いでごまかした。


「それじゃあ開けるぞ」

「ええ」


 いつでも《矢避けの風》を発動できるように身構えていたのだけれど、開けられた扉の向こうに人の気配はなく、個人の書斎のようなこぢんまりとした空間が続いていた。


 壁や天井は相変わらず石で造られてあって、魔鉱石の照明が息を潜めている。床には木が張られていて、全面石だった《転移の門》の場所よりもよほど部屋らしく見えた。


 壁際に並ぶ本棚には、無数の本が収められてある。行儀良く向き合う机と椅子は、うっすら積もったほこりで白んでいた。この部屋の主は、長らく留守にしているのだろうか。


「……ここの本、みんな背表紙にタイトルがないわ」


 目についた深緑の背表紙を抜いて、腕のなかに開く。翡翠の明かり玉とともにクォーツが真上からのぞきこむ。


「なんだこれ、本じゃなくてノートか?」


 黄ばんだ紙には、左上に傾く癖のある細やかな文字がびっしりと書き連ねてあった。それだけではなく、ときおり図のようなものが描き込まれてある。ざっと見ただけでは概要しかわからないけれど、どうやら聖樹の遺伝にまつわる考察が綴られているようだ。


 実際に枝から遺伝子を取り出して調査したという記述に、ぎくりと心臓が跳ねる。


 言うまでもなく禁忌の実験だ。

 天井までそびける本棚には、似たような背表紙がぎっしりと敷き詰められている。おそらくはそのすべてが書斎の主によって書き付けられた、冒涜的な研究の軌跡なのだろう。


 もしかすると一生、わたしの知識になることはないかもしれない未知。それらがこの小さな書斎のなかを宇宙のように見せる。クォーツのために知らなくてはならないこと、知らなくてもいいこと、知ってはいけないことはなんだ。——わたしの目は一心不乱に、紙の上の文字に追い立てられていく。


「……オードリー? オードリー!」

「えっ、あ、」


 わたし、どこにいるんだっけ。


 そうだ、クォーツと『ディケンズ』を追って……


「ご、ごめんなさい……思わず読み耽っちゃって」

「意外だな。そういうの、女神様への冒涜だって毛嫌いしそうなのに」


 彼に責めるつもりはないとわかっていても、わたしはとっさに顔を上げられなかった。


 本を閉じてもとの場所に戻したあとで、クォーツの手をほどいて部屋の中央に立つ。


「いまのわたしたちに必要な書を導くわ」


 《探されもの》の式を、まずは左足から。


 わたしたちに必要な情報を持っていると、声のない主張をするもの——その意思をたぐりよせて、この腕のなかまで導いていく。


 出会いに期待する鼓動の速度を、右足で蹴っ飛ばす。みずから本棚を抜け出して羽ばたく本たちを、あっけにとられて見つめるクォーツの半開きの口、縦三センチ、代入。


 集った本は赤と青の二冊だった。

 見て見て、と言わんばかりにそれぞれページをめくって、情報を差し出してくる。


「金色に光る文章が、わたしたちにとって重要な箇所よ」

「あんたの魔法を見てると、魔法に憧れていた小さいころを思い出す」


 クォーツは夢見心地につぶやきながら、無意識のようにわたしの手を繋ぎなおした。

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