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26、杖の正体

 クォーツはわたしに物言いたげなようすだったし、当然だけれど、わたしだって彼に言ってやりたいことはやまほどあった。


 けれど口にしようと息を吸った瞬間、急激に血が頭にのぼったせいでめまいを覚える。


 背中にまわされてあったクォーツの腕が、抱きしめるようにして支えてくれた。


「オードリー、大丈夫か」

「ええ……ちょっとめまいがしただけ」

「さっき俺の枷を外してくれたとき、かなり無理をしたんだろ。万能の解錠魔法……《錠の王》だったか。難しい魔法だって言っていたのに、あんたあれ暗算したんだよな」


 出会ったばかりのころにちらと話しただけのことを、彼はしっかり覚えていてくれた。


 彼がいつも簡単そうに使うのがくやしくて、こっそり練習していたのだ。まさかあんなふうに暗算することになるとは思わなかったけれど、必死になっていたおかげか、ほんのわずか意識が飛んだ隙に解が導かれていた。


 鼻の頭を擦ろうとしたわたしは、指先がびっしょり濡れたことで我にかえる。


「待ってクォーツ! 離れて! わたしったらひどい汗まみれじゃないっ。こんな状態であなたにくっつくなんてとんでもないわ!」


 慌てて両腕を彼の胸に突っ張るけれど、びくとも動かない。かえって腕のなかに閉じこめようとするみたいに抱き寄せられてしまう。


「なんだ、思ったより元気そうだな」

「あのねえ! あなた、わたしから離れたいのかそうじゃないのかはっきりしなさいよ」

「離れたいわけないだろ」


 低い声は冷静を装っていたけれど、耳をかすめたため息は熱をはらんでいた。


「知ってるわ。だから来たのよ」

「そう言うと思った。あんたはぜったい俺の無茶に付き合おうとする。でも俺はあんたに危険な目にあってほしくなかったんだよ。せっかく結界にまで閉じこめたのに……」

「わたしを甘く見たわね。あなたの考えを読むなんて、ベルイマン先生の試験問題を解くよりずっと簡単よ。——マントを貸してくれた夜があったでしょう? じつはちょっとしたおまじないをしてあなたに返したの」


 思わずといったように拘束がゆるむ。クォーツは怪訝そうに自身のマントを見やった。


「陣の刻まれてあるものを身につけた人間が命の危機に晒されたとき、術者を強制的にその場に召喚するの。《絆の門》というのよ」

「絆……?」

「そう。これは大事なひとを救いたい一心の魔法。わたしからあなたへの、絆の証明よ」


 だから遠ざけたりしないで、と。

 そう続けようと思ったのに、また抱きしめられたせいでうまく口が開けない。たぶん照れたのだろう、がむしゃらな抱擁だった。


「もう、歩きづらいわ! 離して!」


 思いきり暴れて、ようやく解放された。


「危機感がなさすぎるわ。またいつ襲われるかわからないのに。さっきの司祭様ふうのひとは、なぜだか見逃してくれたけれど……」

「オードリーのことを知っていたな」

「実際、会ったことがあるのかも。森の近くにはエルハルドという大きな教会があって、入学前はよくお祈りに行っていたから。もちろん、黒の森関係についてあちらが詳細に調べていただけかもしれないけれど」


 わたしのほうはそれどころじゃなくて、男が何者なのかよく確認できなかった。

 仮に知り合いだったとしても、そうでなかったとしても、こちらに対して好意的であるようには受け取れなかった。はっきりと『都合がいい』と口にされたのだ。なにかしら企みがあって見逃されたのはたしかだろう。


「ともかく警戒して進みましょう。正直、いまからでも連れて帰りたいけれど……あの魔法陣はもう、黒の森には繋がっていないし」


 小屋にあった導石は壊してしまった。


「明かりが必要ね。クォーツ、お願いしていい?」

「当然」


 構えられた杖の先が青く光るのを見て、知らず安堵の息が漏れた。


 わたしたちの頭上に、ほたる玉に似た翡翠の光がぽつぽつとまたたく。


 あらわになった空間は思いのほか狭く、プディングのように裾広がりな円形をしていた。壁も床も天井も、すべて石を敷き詰めて造られてある。物は置かれておらず、《転移の門》のためだけに用意された部屋のようだった。


 杖が一つ、床に落ちているのを見つける。

 拾ってたしかめれば、見覚えのある灰色だ。例のサインがくっきり刻まれている。


「それ、さっきあいつに飛ばされた——」


 当然のように手を差し出してくるクォーツの前で、わたしは杖の両端を握りこみ、思いっきり力をこめてぽっきんとへし折った。


 真っ二つになったそれをていねいにまとめてから手渡せば、クォーツは言葉もなくぼうぜんとして杖だったものの残骸を見つめた。


「〝二人で〟解決すると約束したのに、わたしを置いて一人で行こうとしたでしょう。うそついたら杖ぽっきんだと言ったはずよ」

「……本当に折るか?」

「折るわよ。わたし、あなたを苦しめるその杖がずっと憎かったの。せいせいしたわ」


 いざというとき守ってもくれないなんて、杖の風上にも置けない。

 憤ってそう言ったわたしを、クォーツは呆れたように見やったけれど、その表情はどこか憑き物がおりたようでもあった。


「いいけど、これ、どうするかな」

「もう使わないのだし、土に還してしまえばいいんじゃないかしら。刻まれてあるサインはもう解いてあるのだから、今さら調べることもないだろうし……」


 ふと、疑問に思う。

 そういえばこの杖は、サインの刻まれていないほかの杖とちがって、魔法を使うとき先端が光らない。それは杖売りが生徒たちに売っていた黒の聖樹の杖もそうだった。

 なにが原因でそんな異変が起こっているのかはわからないけれど、ふつうの杖とちがうのなら、もしかしたら土に還らないのかも。


「オードリー、オードリー!」


 思案に耽りかけたわたしを、クォーツの焦った声が引き戻す。


「どうしたの」

「見ろ、なにかおかしい」


 ずいと差し出されたクォーツの手のなかで、杖は一見なんの変哲もなかった。

 しかし翡翠の光のもと、よく目を凝らせば色味が少しずつ変化している。

 灰色から黒がかる灰褐色へ。

 その質感も、すべすべしたものから節のある荒い触り心地に。


 枝が変化している。


 折った聖樹の枝がそんなふうになるなんて聞いたことがない。短くなった片割れをそっと持ち上げて、観察する。クォーツが気を利かせて明かりの一粒をそばによこした。


「——信じられない」


 つぶやいた自分の声が遠く聞こえた。


「これ、松の枝よ」

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