24、向けられた杖の先
「見つかった!」
クォーツはわたしをおろしてすぐさま杖を構えた。蝶番の外れそうな勢いで扉が蹴り開けられたとき、わたしたちは木立の影に輪郭をとかして息をひそめたところだった。
「風よクォーツ。あっちのほうに誘導して」
彼に魔臓を植えつけたという人たちのことはもちろん許せないけれど、その規格外な魔力に助けられている。詠唱も手ぶりも必要とせず、彼が式を知らない魔法でさえ瞬時に発動させられる。落ち葉を絡めて駆け抜けていった風を、男はわたしたちだと疑わなかった。
男の背中が緑の影に完全に見えなくなるまで待ったあと、わたしは開けっぱなしにされた扉の中に大急ぎで身体をすべりこませた。クォーツも入ったところで、扉を閉める。
明かり取りから落とされる陽だまりを、ほこりがきらきら泳いでいる。照らされて白みがかる床には靴の跡がいくつも見つかった。壁ぎわには足の折れたベッド、綿のこぼれるソファー、昔こっそり持ちこんだ折りたたみ式のミニテーブルの上には絵本が山になっている。それらに囲まれるように、中央にはわたしの身長ほどある魔法陣が刻まれてあった。
「やっぱりこれ……《転移の門》だわ。どこかに導石があるはずよ。ほんのり白っぽい、クリスタルみたいに透きとおった石」
「導石?」
「転移魔法陣は、繋ぐ二つの場所にそれぞれ導石を置いておく必要があるの。これがあるかぎり、いつまた誰かがここに現れるかわからないわ。早く探して壊さなくちゃ!」
ベッドの下にもぐりこんで、四つん這いになりながら両手を探らせる。髪が床のほこりをひきずるけれど気にしている余裕はない。
そのうちに指先がひやりとした硬いものに触れた。つかみ取ってベッドの下から這い出ると、水蒸気をくゆらせたようなほの白い鉱石が照らされた。教科書で見たまんまだと、こんな状況なのにちょっと感動してしまう。
クォーツが杖を揺らしながら呟く。
「雷を落とせば割れるか」
「割れるかもしれないけど小屋が燃えるわ」
なんておそろしいことを考えるのだろう。
「見て、光にかざすとところどころ色味がちがうでしょう。アクアナイトといって、中に聖水がぴったり閉ざされているの。ところでクォーツ、あなたって氷魔法は得意かしら」
「ああ……そうか、なるほど」
彼が杖を向けると、アクアナイトは一瞬で真っ白に凍りついた。
床に置いて踏みつければ、あっけなく真っ二つに割れる。凍って膨張した聖水が、石にひびをいれたのだ。
「これでもう、森に誰かがやってくることはなくなるわ。この魔法陣は、こちらからどこかへ行くためだけの片道通路になった」
「完全に消しておかなくていいのか?」
「なに言ってるのそんなの無理……えっ、もしかしてクォーツ、《陣破り》が使えるの?」
すでに刻まれた魔法陣を消し去る《陣破り》は、国際魔導士級の魔法だ。けれど彼は同等の《錠の王》も難なく使えていたのだった。
「……いいえ、たぶんあなたでも、この陣は破れないわ。一度使ってしまえば消えてなくなるほかの魔法陣とちがって、《転移の門》は何度でも使える特別な魔法なの。破るには国際魔導士が五、六人は必要だと聞いたわ」
「五、六人は……さすがに俺の魔臓じゃ足りないな」
てっきり《陣破り》をためしてみると言い出すかと思ったけれど、彼はあっさり諦めた。
「それにしても、転移の魔法があるなんて知らなかった。それが使えたら、俺たちわざわざアカデミーから何時間も馬車に乗る必要なかったのにな」
「《転移の門》は禁術だもの」
「便利すぎて?」
「もちろんそれもあるわ。でもそれだけじゃない。これって、人間が創った魔法なの」
七種の聖樹どころか、ゲルニカ様の知恵ですらない。
「魔導革命の話、覚えているかしら」
くちびるが乾く。この魔法陣を見つけたときから、わたしの呼吸はずっと不確かだ。
魔導革命で明らかになった、教会による人工魔法の研究。当時すでに、いくつか完成されていた魔法があった。
その一つが《転移の門》だ。
「人工魔法のレシピはすべて、革命時に焼かれたというわ」
「……すべて焼かれた? それならいまは誰も、《転移の門》がどんな魔法なのか知らないはずじゃないのか。どうしてオードリーは陣を見ただけで確信できたんだ」
「パパが使っていたの」
そんなこと、いまのいままで記憶にはなかったのに。《転移の門》を目にしたとたん、あのひとの杖が地面に刻んだ陣が甦った。
おかしな話だ。顔もおぼろげなのに、陣の形だけはしっかりと覚えていたなんて。
「アカデミーはいまでも、教会がレシピを隠し持っているんじゃないかと疑っているわ。ねえ、おかしいと思っていたの。森にはしっかり足跡があった。調べにきてくれた司祭様はすべて見逃してしまったというの?」
「……まさか。でも」
眉を寄せてくちびるを噛む彼がなにを考えているか、わかる。
わたしの頭の中にも、はっきりとゲルニカ聖書が浮かび上がっていた。
わたしたちの予感が正しいのならば、クォーツに魔臓を植えつけておぞましいサインを刻んだ何者かは、その邪悪な根をこの大地の途方もないほど奥深くにまで埋めているにちがいなかった。その根の一部には、もしかしたらパパもいるのかもしれない。
わたしもクォーツも顔を青くして黙りこんでしまった。
わたしたちがただのちっぽけな子供でしかないことを残酷なまでに実感して、早くここから逃げ出さなくてはと思いながら足は根に絡みつかれたように動かない。
やがて、ぽつりと彼は言った。
「……ここから逃げだす算段はあるか」
のどがひっついていたけれど、無理やり声をしぼり出す。
「もちろん。もちろんよ」
「方法は」
「ひとまず家まで走るわ。そんなに遠くない。家の周りには、強固な結界の魔法陣を刻んであるの。彼らの攻撃で発動させられる」
「強固ってどのくらい」
「発動したらまる一日は、内側からも外側からもぜったいに破れないわ」
「それなら安心だな」
手を取られる。クォーツが杖を構えて扉を開けると、ちょうど奥の木々から人影がいくつか出てくるところだった。男のうちの一人が「いたぞ!」とこちらを指さすなり、クォーツの杖から槍のように火球が飛んでいく。
杖の先が光っていない。
「クォーツ、その杖って」
「たしか聖樹は燃えなかったよな」
「も、燃えないけど、どうしてそっちに」
——わざわざ持ち替えたのか。
言いようのない不安が襲った。
彼はわたしのほうを見ず先を走る。
「べつに、気分だよ」
「いつも青のほうを使ってるじゃない」
「いまそんなこと気にしてる場合かよ。ほら、案内しろ。後ろは守っててやるから」
手をほどかれたと思ったら、背中を押される。心臓が粟立ったままだったけれど、彼の言うとおりこれ以上を追求する余裕はない。
男たちの怒声、激しく行き交う魔法の音に追い立てられながら、一心不乱に走った。
やがて木々が途切れる。
広場に赤い屋根の家がたたずむ。見慣れた光景に安堵して、魔法陣の印を踏み越える。
「クォーツ!」
ふり返ればクォーツは木々の密集するあたりに立っていた。
そして、
「悪い、オードリー」
灰色の杖の先が向けられる。




