20、心のなかのブルー
そういうわけで、わたしは家に着く前に、おばあちゃんにクォーツのことをどう紹介するべきか真剣に考えこむことになった。
ともかく『友達』はお気に召さないらしい。たしかに彼との関係がネンネと同じかと問われれば、首をひねってしまう。ためらいなく抱きついたり心のままおしゃべりしたりするには、分厚い壁が横たわっている。けれど国導課程で離れ離れになることを想像したとき、一番辛く思うのはクォーツだった。
子供のようなわがままが許されるなら、彼をつれて旅立ちたいと駄々をこねただろう。
ネンネを軽んじているわけじゃない。
ただクォーツは——
そう、あの晩、指切りをしたから。
一蓮托生と約束したから。
手を伸ばせばすぐ握り返してほしい。
いつでもわたしのそばにいてほしい。
そんなことをクォーツ以外の誰かに思ったことはなかった。やっぱり友達という表現は適切ではなかったのだろう。物騒だけれど、共犯者と言ったほうがまだしっくりくる。
だからと言っておばあちゃんに「このひとはわたしの共犯者!」と紹介するわけにもいかない。なんと言うべきだろう……答えが出ないまま、足が家にたどり着いてしまった。
『ケッ』
シャットが丸木杭の柵を、ひょんと乗り越える。
彼女のあとを追って木の門扉を抜けると、オバケカボチャやフトイネギ、ヤッテラレナスなどが実るこぢんまりとした畑に出迎えられる。井戸のそばの鶏舎は開かれていて、作物のあいだを鶏たちが気ままに散歩していた。
その奥に、一本の大きなアップルベリーの木に寄り添うようにしてある二階建ての建物が、わたしとおばあちゃんの家だ。
とんがり帽子の先を捻ったような、ちょっといびつな赤い屋根の下、白壁をまん丸にくり抜いてガラスをはめ殺した窓はうす暗い。
「あれ、おばあちゃん出かけているのかも。一応、来るときに蝶を送ったのだけれど」
「ほかに誰かいないのか?」
〝誰か〟と、家族を具体的に示さなかったのは、彼の気遣いだろう。
「ううん。ここに住んでいるのは、わたしとおばあちゃんだけ。ママはわたしが小さいころに女神様のもとへお還りになったの」
鍵のかかった玄関扉を《あいことば》で開いて、天井の魔鉱石に明かりを灯す。
「ただいま……やっぱり留守みたいだわ」
「お、じゃまします……」
借りてきた猫のようになるクォーツの足もとを、シャットが『まあくつろぎなさい』とでも言いたげな余裕でうろつく。
板張りの床はよく磨かれてあった。漆喰の壁には、去年の冬にわたしが贈った魔法ほうきがどこか自慢げによりかかっている。
しかし、かまどそばのテーブルには大量の本が山となっていた。見たところどれも魔法作物の育て方についての資料のようだ。庭に植えられている作物たちは、おばあちゃんにとって趣味と実益を兼ねている。
調べものをすると散らかすくせはあったけれど、こんなふうに放置したままなのは珍しい。どちらかといえばおばあちゃんはきれい好きなほうで、こういった出しっぱなしは好まないはずなのに。
もしかすると、調べものに関係することで森に出かけたのかもしれない。
それなら勝手に片付けないほうがいいだろう。わたしは繋いだままのクォーツの手を、階段に引っぱった。
「とりあえず、もう一度蝶を送ってみるわ。さすがに森からは出ていないと思うし、すぐ帰ってくるはずよ。わたしの部屋で待ちましょう」
「は——」
「あのね、わたしの部屋って、じつは屋根裏にあるの。知ってる? 『みつあみのリリー』のリリーも、『七色物語』のルカ・サナ姉妹も、屋根裏部屋に住んでいるのよ! 誰かに自慢したくてしょうがなかったのだけれど、ついにあなたが最初のお客様になるの」
クォーツはなにか言いかけていたけれど、わたしの興奮に気圧されたのか、苦い顔をして口をつぐんだ。
はしゃぎすぎている自覚はある。それでも、屋根のなかにもう一つ部屋が隠れているだなんて浪漫、打ち明けたくなるに決まっている。クォーツにならなおさらだ。
二階からさらに階段を上がれば、そこがもうわたしの部屋だ。
留守にしていたあいだもお手入れをしてくれていたようで、壁際にずらりと並ぶ本棚も、勉強机も、ほこりひとつ見つからない。
腰かけたベッドもふかふかだった。
「クォーツ、こっちに座って。ごろん、って仰向けになるの。いいもの見せてあげるから」
クォーツはわたしの左ほっぺたをつねったあとで、ため息をついてとなりに座った。突然の攻撃に眉を寄せるけれど、それほど痛かったわけでもないので気にせず仰向けになる。
少し遅れて、クォーツもベッドに沈む振動があった。
「ほら、世界」
産まれてきたわたしのためにパパが最初に贈ってくれたのが、世界地図だったらしい。
屋根裏の斜めになる天井の、ちょうどベッドの真上あたりに貼られてあるのは、昔はここにわたしのベビーベッドがあったから。
彼としては、寝かしつけ用おもちゃのつもりだったという。
目を覚まして最初に見つけるのは、名前もわからない湖だった。
平坦に塗られたほんの小さなブルーにだんだんと愛着を持ちはじめて、いつか実際にこの目で見てみたいと思った。
もちろんそれだけが国導課程を希望した理由ではないけれど、きっと根っこのところにはいまもこぢんまりと湖がある。——屋根裏部屋を自慢したいだけだと思っていたけれど、本当はそれだけじゃなかったと、いまようやく気づいた。わたしはクォーツに、この湖のことを知ってもらいたかったのだ。
首を横にして彼を見れば、天井ののっぺりとしたそれよりもずっと深い、本物の湖のように透きとおったきれいな青色と目が合う。
「クォーツって、世界史についてはどのくらい知ってる?」
「まったくわからない」
「潔いわね……」
いきなりどうしたと、視線で問われる。
わたしは右手の熱をしっかりと握りしめた。
「パパのこと話さなかったでしょう。あなたに、なんと説明したものか迷ったの。でもわたしのこと一つ残らずあなたに知ってほしいから、話すわ。どうか聞いてちょうだい」
こんなに熱い手に握られているのに、指先がゆっくり冷えていく。
クォーツは手のひらを触れ合わせたままで、一本ずつ指を絡ませた。
たっぷりの銀のまつ毛にふち取られた湖がわたしを映す。
あのひとの瞳も、たしか青色だった。




