14、海と星と約束
杖に刻まれてあった模様が、クォーツの傷痕とまったく同じ形をしていたかどうか、ほたる玉が落とす翡翠色のうすあかりだけで明らかにすることはできなかった。けれど細かな溝に流れた光が、魔法陣らしき輪郭をなぞったのを見て、わたしの確信は満ちた。
「黒の森に行きたいのよね」
あれだけやる気のなかった彼がいきなり課題に協力すると言いだしたのは、わたしの家が黒の森の管理人だと知ったあとだった。
杖売りが扱う黒の聖樹の枝に、みずからに刻まれたものと同じ模様が刻まれてあると知って、彼はどうにか黒の森に入る手段を探していた。暗号を調べてほしいと言ったのもうそではなかっただろうけれど、課題の協力を受け入れた意図はわたしと親しくなることにあったはず。わたしがほだされたところで森の結界の解き方を探ろうとしたのか、あるいは直接つれていってもらおうと考えていたのか。
「クォーツ、なにか言って」
「なにかって」
前髪の陰で、銀のまつげが投げやりに伏せられる。彼は変わらない調子で言った。
「俺は本は読まないから、こういうときどう悪あがきをするのが定番なのかわからない」
「認めるってこと?」
「ああ、じゃあ、場所を変えたい」
なにが『じゃあ』なのかわからなかったけれど、返事も待たずにクォーツは背中を向けて、そのまま大通りに出ていこうとした。
わたしはあわてて彼の袖をつかむ。
杖狩りを逃さないようにするためではなく、人混みにはぐれてしまわないために。
知り合って間もないというのに、わたしたちのあいだにこんなに長く沈黙が横たわったのはこのときがはじめてだった。あいかわらず歩調を合わせてくれるのは、逃げないというアピールなのかなんなのか。わたしは彼の肩から背中にほたる玉の影がいくつも通りすぎるのを見送りながら、あとを追いかけた。
人混みはしだいしだいにほどけていく。まず食べ物の屋台通りを抜けたあたりで息がしやすくなって、占い小屋や巨大作物の展示場を過ぎてしまえば道端に休憩する人をちらほら見かけるほどになる。けれどクォーツは足を止めることなく、ずいずいと進んでいく。
やがてほたる玉の光が届かなくなって、寝静まる家々がつきあたりに立ちふさがるけれど、そこでも立ち止まらず彼は建物と建物の隙間にためらうことなく身体をねじこんだ。
「クォーツ、あなた」
なににもさえぎられない海風が、今朝あれだけ丹念にとかしてきたわたしの髪をまたたくまにかき混ぜる。
ようやく立ち止まってこちらをふり返ったクォーツに、なんてところにつれてくるのよと怒鳴りつけてやるつもりだったのに、こらえきれず笑いが漏れてしまった。
怪訝そうに首が傾けられる。わざとじゃなかったのなら、なおさらおかしい。
「小説では、追いつめられた犯人は崖に立つものなのよ。知ってて来たのかと思った」
「なんでわざわざ物理的にも追いつめられにいくんだ」
心底わからないという顔をされるが、現にクォーツだって同じことをしている。
「ちがう。つれてくって言っただろ」
手を取られて、むきだしの岩が舞台のように半円にせり出るあたりまでつれていかれる。
足もとにひるみそうになったのは一瞬だ。
ひろがる紺碧の海は、空とのあわいをまったくなくしてしまっていた。ぽつぽつ散らばる星影と、建物の橙色をした窓からこぼれる無数の明かり、それからほたる玉の翡翠色の光、そのすべてを閉じこめたゼリーのようなきらめきの波間に満月がたゆたっている。
息をするのも忘れる、と小説にはよく書かれるけれど、あれはこの世界に自分の存在さえ忘れてしまうことなんだとはじめて知った。
さらにクォーツが杖を取り出して先端を光らせると、海の底の星々が一斉に流れだす。どんな式を立てたらこんな奇跡を起こせるのか——。水面からときおり勢いあまって光が飛沫を立てるのを、幼いころおばあちゃんの魔法をはじめて見せてもらったときのように、ただただあっけにとられてながめていた。
「あんたが校長に俺をつきだしたら、見せてやれなくなると思って」
彼の声で、ようやく我にかえる。
夜の街の良いところ——あんな悪そうに言うからどんなところにつれていかれるのかと思えば。
「……つきだされるなんてみじんも思っていないでしょう。いいえ、そのみじんの不安を解消するためのご機嫌取りかしら」
「かわいくないな。ほだされとけよ」
彼のずるいところは、そうして自然体にふるまうことがわたしをほだすのに一番効果的だとわかっているところだ。あえて好かれるような演技をしていたのなら、きっとわたしは早々に彼をマクレガー先生につきだしていただろう。
彼が杖狩りかもしれないと疑いを持ちながら、そんなことをする理由がわかるまではと追求を後回しにしていた。
そんな思考になっていた時点で、とっくにわたしは〝ほだされて〟しまっていた。
彼もそのことに気づいていたのだろう。告げたときこそ動揺したようすがあったものの、いまわたしと彼とのあいだには杖狩りの真実をそのまま先生に明かすことはないと了解があった。
「……前々からそうじゃないかしらとは思っていたのだけれど、あなたの魔臓って一つじゃないわよね。そのことが杖狩りと、それからお腹の傷痕となにか関係しているの」
「二つ」
ひらかれた手のひらに、もともとあった白い杖のほかにもう一つ杖が現れる。暗がりのせいで色や形までははっきりわからない。
「もともと契約していたのが青。あとから植えられたほうと契約させられたのが、赤」
さらりと告げられた言葉のおそろしさに、心臓が凍る。
「植えられた……?」
「気持ち悪い話かもしれないが、聞いたのはあんたのほうだからな。生まれてすぐのころ、さらわれて無理やり植えつけられた。俺の腹に刻まれたこれはそのときからずっとある」
魔臓は魂の宿るところと言われている。
肉体と魂を切り離せば、もろとも死んでしまう。まして移植だなんて、医者でないわたしでも断言できる——そんなのは不可能だ。
つまりクォーツをさらった何者かは、医療からかけ離れた手段で彼の身体を蹂躙した。
目の前に火花が散って、真っ赤になる。
「俺は、そいつらに魔臓をつき返すために探してるんだ」
記録を読むように淡々とした口調だった。
けれどそれは、余計な感情を見せないためにとりつくろっているようでもあった。
「黒の森につれていくわ」
小指をつきつけながらわたしは言った。
「そのかわり課題のこと、あなたの問題、二人で解決するわよ。わたしたちもう一蓮托生なんだから」
ややあって熱い小指が絡められた。
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