12、デートのような
ついにやってきた収穫祭の朝。
支度を終えたあとも、わたしはかれこれ小一時間ほど鏡の前に立ち尽くしていた。
「やっぱり成長薬でも飲んで、一時的にでも年相応に見せるべきかしら……」
「なに言ってるの! オードリーはそのままですっごく可愛いんだから。それに、フテルクくんから誘ったのよね。文句を言ってくるようなら思いきり叩いて帰ってきちゃえ」
ネンネはにこやかに過激なことを言う。
収穫祭は祝日で、アカデミーもお休みだ。この日の街は食べ物の屋台に埋め尽くされる。作物の無事の収穫を女神ゲルニカさまに感謝しながら、採れたての野菜を食べて食べて食べまくることで祝福する。それからオバケカボチャの大きさを競ったり、屋台を出している人たちによるお料理コンテストがあったり、とにかくお腹のふくらむお祭りだ。
毎年ネンネと遊びに出かけていたけれど、人混みの大半は恋人たちのようだった。クォーツがあんなことを言ったのも、収穫祭が定番のデートイベントだと知ってのことだろう。
のぞきこんだ鏡の中、珍しく不安そうなハシバミ色と目が合う。いつもの三倍時間をかけてとかした真っ赤なくせっ毛は、そのわりにいつもと変わらず元気いっぱいに背中まで波打っている。ああでも、リリアナが貸してくれたブルーのワンピースが、なかなか似合っているような気がする。ちゃんとお化粧をしているおかげで血色もとてもいい。うん、悪くないわよオードリー、自信を持って。
ようやく見慣れた笑顔が戻ったところで、わたしはネンネに激励されながら部屋を出た。
あの男が酒飲み妖精ほど赤くなる想像はできないけれど、みんなにあれほど協力してもらったのだから、なにかしら戦果はほしい。
待ち合わせ場所の校門で塀にもたれかかっている姿を見つけて、こっそり深呼吸する。
ネンネやメルヴィのような守ってあげたいかわいらしさも、リリアナやレディ、エリカのような惚れ惚れしてしまう色気もない。それでも今日のわたしは、ヒロインなのだ。
背筋を伸ばす。
「クォーツ、おはよう」
こちらに向けられた青い瞳がそのあとどんな動きをするか、じっと見つめてしまう。
……わたしに都合のいい錯覚じゃないなら、わずかに目を見ひらいた彼は動揺したようにその瞳を揺らした、ような気がした。
「……どうかしら、デートらしくおしゃれしてみたのだけれど。少なくとも初等学校の子をつれさってきたようには見えないはずよ」
彼の言葉を待てずにまくしたててしまったのは、沈黙のあいだにみっともなく頬が染まってしまわないためだ。余裕ある女は早口にならないものだとリリアナに教わったけれど、余裕などかけらもないのだから仕方がない。
「言えよ。俺ももうすこしマシな服で来た」
グレーのシャツに黒いズボンという格好を見おろして、クォーツは頭をかいた。
「ちゃんとしてると思うけれど」
「つりあってない」
どこか拗ねたような口調は、はじめて聞くものだった。
かわいいとかきれいとか、直接言葉にされたわけじゃないけれど、これは褒めてもらったということでいいのだろうか。
でも、もう少し欲張りたい。
わたしがなにを言ってほしいのかわかっているはずなのに、クォーツは言わなかった。
壁を見つけても、見なかったふりで踏みこんでしまう勇気がヒロインには必要らしい。これはエリカからの助言で、ネンネも大いにうなずいていた。
つまりあざとくあれ、と。
「あなたのためにめいっぱい着飾ってきた女の子に、言うことはそれだけ?」
甘えてみるようにと言われていたのに、いざ飛び出したのはそんな憎まれ口だった。
クォーツは改まったようにわたしを見つめると、引き結ばれた口をもう一度開く。
「……青、似合うな」
なんだそれ。
クォーツは首の後ろをシャツの袖でぬぐっていた。たったそれだけのことを言うのに、汗までかいてしまったらしい。
初対面で言えた「かわいい」はどこへいったの?
なにより意味がわからないのは、わたしの首の後ろまでうっすら汗がにじんでいることだ。
せっかく鼻が赤く染まっていたのに、結局わたしは「酒飲み妖精」を言いそびれてしまった。
校門を出たわたしたちは、しばらく互いに黙ったまま起伏のある崖道を並んで歩いた。
クレメール魔法アカデミーは海ぎわを隔てるように切り立つ岩山のてっぺんにそびえる。
高所が苦手な人はこの崖道の途中で気絶してしまうというが、森の鮮やかな紅葉や街のとんがり屋根が望める景色はわたしのお気に入りだ。眺めているうちに、ようやく口が軽くなった。
「もちろん聞き込みもするけれど、どうしても食べておきたいものがあるの。スイートポテトでしょ、アップルベリースティック、それからなんといっても豊作ごろごろシチュー!」
「好きなだけ食べろよ。そういう祭りなんだから。聞き込みなんて腹がふくれてからでもできる」
「でも、満腹になると思考が鈍るじゃない」
あと、ワンピースのお腹部分がぽっこり目立ってしまう。こちらのほうが深刻だ。
とりとめのない話をするうちに、崖道から紅葉の海へと沈む。なんとなく動物たちも収穫祭に浮き足立っているような。そう長くもない森の道を抜けてしまえば、旗飾りに彩られる銀色のアーチが見えて、クォーツより背のある巨大なオバケカボチャが出迎える。
すでに美味しそうなにおいが漂っている。
朝ごはんを抜いてきたせいで、わたしのお腹は切なそうに鳴いた。
「クォーツ、クォーツ! なにから食べよう!」
「まずは食事ものだろ。スイートポテトもアップルベリースティックも、ひとまず後回しだな」
「豊作ごろごろシチューは夜にならないと食べられないのよね。ああ見て、わたぐもパンのずっしりハンバーグ包みですって」
「行こう」
そう言って、クォーツは当前のようにわたしの肩を抱き寄せた。
「ちょ、ちょっと! なに!」
「この人混みじゃふつうにしてたらはぐれるだろ。……ほんと、すぐ赤くなるんだな」
これ、絶対にさっきの仕返しだ。
けれど彼の言うとおり、どうにかして身体を密着させていないと簡単にはぐれてしまいそうではあった。ネンネと来ていたときは意識せず寄り添っていたので気づかなかったけれど、なるほど、収穫祭にやたらカップルが多いのもこういった理由なのかもしれない。
「いらっしゃい、ハンバーグわたぐも包み二つね。ちょっと待ってて」
さいわいにも列はできていなかった。
聞き込みの絶好のチャンスだ。
「おにいさん、この辺りで杖狩りにあったなんて話、聞いたことありますか?」
「杖狩り? ああ、アカデミーの子が標的になってるっていう」
その言いぶりだと、やっぱり街の人に被害者はいないのかもしれない。
屋台の男性は手早くハンバーグをわたぐもパンで包みながら続けた。
「そんな怖がることはないと思うぜ。ありゃたぶん、アカデミーの先生なんかがやってることだよ」
「先生たちが? いえ、けれど襲われた子たちには怪我をしている子もいて」
「教育的指導ってやつだろ。杖売りなんかから杖を買うから」
へいお待ち、とハンバーグのわたぐも包みが二つ。わたしとクォーツはそれぞれお金を渡しながら、ちらと視線を合わせた。




