再来
アガルタにも雨が降る。
そういう日は客足が遠のく。僕は憂鬱な溜め息をついた。
立地の悪い喫茶店ならなおさらだった。
「あ、レインの幸せが一つ逃げた」
「何だいそれ、リリィ?」
「知らないの?溜め息って幸せを追っ払っちゃうんだよ?」
ムッときた僕は目の前の少女の髪をくしゃくしゃにしてやる。
「あ、なにすんのさ!1時間かけたのに!」
そう言って少女、リリィは唇を尖らせる。
流れるような金髪、あの頃の面影。僕はもう一度溜め息をつく。
「それは大変申し訳ありませんでした。我らが女王陛下」
「やめて、それ」
リリィの……いやリリアナ・ブラッドムーンの声は頼りなく心細さを露呈していた。
年相応。12、3の子供が出すそれだった。
「知らないよ。女王陛下なんて。記憶にない人のことを言われても仕方がないじゃない」
「この場合記憶がない……だね」
「どっちでもいいよ!!」
座っていたカウンター席から立ちあがり背を向ける。僕は黙々とグラスを磨く。
沈黙がしばらく続いた。
やがて切り出したのは僕の方だった。
「ごめんね。リリィ」
「いいよ。レイン」
そういって二階へ上っていく。表情は見せないままだった。
僕はもう一度溜め息をつく。我らが女王陛下にあの日、何があったのか分からなかった。
僕は足止めを食らっていて、ただ気が付いたら女王陛下はあの有様だった。
幼い、弱い、記憶がない。負けたのは確かだった。
これでいいのかもしれない。平穏と言えば平穏だ。
ただブラッドレインはあの日大きな打撃を受けた。それはもう根本から芯が崩れてしまったのだ。組織のナンバー1と2が抜ける。(1と2の間の差は雲泥だけれども)
大きく揺らいで揺らいで、みんな頑張ったらしいが今では閑古鳥が鳴いているようだ。
ちょうど僕の店みたいに。
はははは。笑えねえ。
ん?組織のナンバー2って誰のことかって?そりゃ僕のことだ………。
気配を察知する。僕は身構えた。
チャリン。呼び鈴の音。そんなもの聞こえないくらい、向こうの相手は強い。
相手が入ってくる。
僕は『血衣』を展開しようとして、寸前で体の力を抜く。
入ってきたのは二人の女性だった。しかも厄介な常連。なるべく笑顔を作る。
「なんだ。ラピスとメノウか。久しぶりだね。ご注文は?」
ラピスが口を開く。
「ブラッドムーンに帰って来てくれませんか?」
僕はもう一度口を開く
「ご注文は?」
ラピスは溜め息をついた。後ろのメノウも苛立っているのが伝わってくる。
「単刀直入に言います。リリアナ様が見つからない以上、ナンバー2である、あなたがトップです」
「君たちで上手くやっているんだろ?僕には無理だね。ラピスはリーダーに向いていると思うよ」
僕は二人にお冷を出す。
「けどあなたほどじゃない」
メノウがささやいた。
「ブラッドムーンは大きく傾いているわ。他のチームへ移った子もたくさんよ」
僕は両手を上げた。
「メノウ、ラピス。本当に力が無いんだよ。僕には今やらなきゃいけないことがある」
そう言って二階を首でしゃくった
「そう、でしたね。子供を拾ったとかなんとか」
ラピスは気を落としてお冷をすすった。
「すいませんでした。けれど諦めません。あなたが戻ってきてくれるのを私は待っていますから」
そういってメノウともども席を立つ。
「あ、注文は……」
こちらの売り上げも死活問題なのだ。
メノウが振り返る
「じゃあ一つだけ」
「はいはーい!」
手刀。
首に向かったそれを僕はすんでのところで避けて、片腕で関節を極める。
もう片方の手でこぶしを振り下ろす。
ズドン。
ラピスの『血衣』
吸血鬼の防御装束が僕の拳を防いでいた。パラパラと薄氷のように零れて解けていく。
遅れて、音はやってきた。店の中が大きく揺れる。
気が付くとラピスの頬に冷や汗が伝っていた。
「ねぇ!今のなにぃ!?」
「ゴジ●がそこ通っただけだから気にしないでぇ!」
興味津々のリリィに生返事を返す。
「ふふふ……」
気が付くとメノウが笑っていた。
「何を守っているのかしら、いや、こういう聞き方が正しいかしら」
おいおいおいやばいやばい。やばい予感。
「誰を拾ったのかしらね」
ラピスが首をかしげる。こいつは気が付いていないようだがいずれ時間の問題だろう。
メノウが前と同じようにささやく。
「来てもらうわ。レイン・スコットマン」
僕は天井を見上げて……溜め息をついた。ああ幸せ逃げちゃったなぁ。
両手をあげる
「分かったよメノウ。ただし条件つきでね」
「分かったわ」
ニッコリと我らがブラッドムーンの参謀は微笑んだ。毒蜘蛛みたいだなと僕はぼんやりと考えた。