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「フォレスト・ガンプ 一期一会」 無垢なる愚かさは神の道への唯一の通路なのかもしれない? マイ・ムービー・レビュー   

作者: 舜風人

「フォレスト・ガンプ 一期一会」 無垢なる愚かさは神の道への唯一の通路なのかもしれない    




この映画作品を簡単に言うと、、、、、、、、、、、、、完全なフィクションなんですが、、、




「「フォレスト・ガンプ 一期一会」1994年製作のロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演による、アカデミー賞作品賞ほか主要6部門を独占した傑作ヒューマンファンタジー。知能指数は人より劣るが、足の速さとその誠実さは天下一品という一風変わった主人公フォレスト・ガンプの半生を、時代を象徴する“事件”

とヒット・ナンバーで綴ったヒューマン・ファンタジー。 」

カッコ内引用




、、、、、、、、、、、、、、、、ということになります。




ですがこれでは簡単?過ぎるので?


わたくしがより深く?解説?してみたいとおもいます。




タイトルにも書きましたが


この映画のテーマは


「無垢なる愚かさは神の道への唯一の通路なのかもしれない 」ということなのではないでしょうか?


単なる愚かさは、、はっきり言って、神の道どころか、、、どこへもつながらないということです。


愚は愚でしかないからです、


では、、どういう愚が、、神への通路となるのでしょうか?




それは「無垢なる愚」です。


イノセントな愚は、、そのイノセント性によって、アウフヘーベンされて、愚の向こう側へぶっ飛んでしまっているからです。


それは例えば


宮沢賢治、描くところの「虔十公園林」の主人公にも通底する存在でしょう。

虔十という純粋無垢の愚が、時を超えて、究極の真理に通底していた。

というテーマがこの小説(童話)には流れているからです。


つまり、、、

大賢は大愚とイコールである。という両極の合一性が悟りであるということなのである。


なぜなら究極の英知とは、、究極のイノセント性でありそれは、究極の愚でもあるからです




もっと、俗っぽく?簡単に?言うと、、、




「本当に偉い人は偉ぶらないでまるでただのおバカさんみたいなんだよな」




ということです。




フォレスト・ガンプもまた、功利は名誉や物欲からはまったく、解離した


正に仙人?のような純粋無垢な存在です。


こんな人、、現実にはまあ、、、いないでしょうね。


純粋に彼は世界を見渡して、、イノセントに、判断します。


それが時に奇矯であり


それが時に期せずして莫大なかね儲けにつながったりりもしますが


彼にはどうでもよいことでしかないのです。




彼は優しくて厳しかったお母さんの言うとおりに


それを守って無垢のままに生きてきただけだからです。




お母さんはいつも言っていました


「人生はチョコレートの箱、開けてみるまでは分からない」




人生は風に吹かれるままに、それをを実体験するまでは「わからない」からだ


フォレストガンプの人生もまた、めまぐるしく転変してゆきます



彼は足の速さから大学にスカウトされてアメフトで大活躍します、

其の後フォレストは、、、落ちぶれてストリップ劇場で働く幼馴染のジェニーと再会しますが

ベトナム戦争に召集(応募)されてゆきます。


そこで、戦場でフォレストはなかまを救います、

また生涯の友人の「ダン中尉」と知り合います。人生の師匠?海老漁師のババにも巡り合います。


兵役後に、、両足切断で自暴自棄になったダン中尉を元気づけ


戦死した戦友のアフリカ系のババの生業の除隊後に、、するといっていたエビ漁師になります。



なれないエビ漁が盛行するはずもないのですが、、やがて、

エビ漁師が天の加護で大豊漁、彼は一躍大金持ちになります。

その巨額のお金を「リンゴの会社」だと思い込んでる(ベンチャー企業のアップル)に投資します、その後アップルは大発展して巨万の富豪になります。




そしてフォレストがいつもいつも気にかけていた幼馴染の、ジェニーの生涯も有為転変です、


ジェニーはガンプの近所の子で、健常者です、小学校で唯一フォレストに優しくしてくれた女の子でした、


酔っぱらいの父親の


DVで傷つき、、やがて、親戚に引き取られて去ってゆきます、


ジェニーはその後、家を飛び出し,歌手を目指すが挫折してストリップ劇場で働き、

薬物中毒になり

自殺寸前に


ボロボロになって、、やっとフォレストのもとに帰ってきます、


そうしてフォレストの好意をやっと受け入れて同居、しかしある日忽然と出ていくのです、


其の後、、テレビでフォレストが取り上げられてそれを見た


ジェニーから連絡が、、会いに行くとそこには小さな男の子が、フォレストの子だとつげられるのですが、、、、その時彼女のからだは


ボロボロで、、故郷で結婚式を挙げるのですが、やがて、、死んでしまうのです。


残された子供とフォレストは、だが


お母さんの言っていたように




「人生はチョコレートの箱、開けてみるまでは分からない」




風に吹くままに、、生きてゆくのです。


バス停でスクルーバスを待つガンプの足もとに白い羽がふわりと飛んでゆきます。



以上書いたほかにも、、これら以外にも様ざまな、アンビリーバボーな挿話が次から次に巻き起こり

フォレストを風のままに、ひきづりまわします、


ジョンレノン

ニクソン大統領

フォード大統領も出てきて、ガンプと交流します、そういうエピソードもあります、

(もちろんフィクションですよ)





そして、映画のラストシーンでは、やってきたスクール・バスに乗る


息子に、


フォレストは「愛してるよ」と声をかけるのです。



世間的なワル知恵?や


こすっからい、陰謀が


もろくも崩壊して

そのあとには

きっと


何も

たくらまなかった、フォレストガンプのような


イノセントな愚だけが、、多分?残っているのでしょうね?


そんな

聖なる?愚を描いた作品


それがこの映画


フォレストガンプ、、、なのでしょうね?














付記、


私の記憶のみによって書いていますので


万一、私の記憶違いがありましたら、お許しください。







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