087 / 「お前は、最高の主人公だよ」
たしかに、そうだ。
考えてみれば、その通りだ。
巨大木人の中には、百を超える数の精霊が宿っていた。
ならば、その一体一体が木人を生み出したとしても、なんの不思議もない。
「──…………」
フェリテが立ち上がり、戦斧を構える。
「リュータ、治癒薬を。あたしは時間を稼ぐ」
「あ、……ああ……!」
脳が揺れている。
吐き気が止まらない。
恐らく、脳が損傷している。
俺は、震える手で、腰の袋へと手を伸ばした。
治癒薬の小瓶は、運悪く割れていた。
「らあああああッ!」
フェリテが、俺を殴り倒した木人を、戦斧の一撃で破壊する。
早く。
早く。
早く。
えづきながら、背負い袋を開く。
無数の木人が迫る。
フェリテが戦斧を横薙ぎにし、数体を破壊する。
だが、数が多い。
あっと言う間に取り囲まれてしまう。
治癒薬を飲む前に、こいつらを一掃したほうがいいのではないか。
そう考え、脳内に命令文を走らせる。
「……あ、が……ッ」
痛苦が俺を苛む。
火炎呪の命令文が脳内で霧散し、形にならない。
思った以上に脳が深手を負っているらしい。
ダメだ。
まずは、治癒だ。
「──だ、……ッ!」
フェリテの悲鳴が聞こえる。
「あぐ、……うあッ!」
早く、
早く、
早く──
粘性のある治癒薬を、なんとか飲み下す。
頭蓋の中に熱が沸く。
脳が煮えたぎる。
熱いとか、痛いとか、そんな言葉では片付けられない、純粋な責め苦だ。
十秒が永遠にも感じられ、やがて──
「……ふはッ、……は、……はッ」
一瞬で意識がクリアになる。
脳の損傷にすら、問答無用で効くのか。
恐ろしい薬だ。
「──ッ、フェリテ!」
我に返り、顔を上げる。
そこに、フェリテがいた。
襤褸切れのように傷ついて、それでも、俺をかばうように立っていた。
「フェリ、テ……?」
戦斧を支えにしてようやく立っている彼女は、とうに意識を失っているようだった。
木人の一体が、フェリテの横顔を痛打する。
フェリテは、痛みにうめくこともなく倒れ、そのまま動かなくなった。
「──…………」
嗚呼。
嗚呼。
嗚呼。
俺が、不甲斐ないせいで。
木人が俺に飛び掛かる。
どうでもよかった。
このまま殴り倒されても、それはそれで罰となる。
だが、フェリテが救ってくれた命だ。
失うことはできない。
「──死ねよ」
脳内に命令文を走らせる。
茶番は、もういい。
問答無用だ。
周囲五十メートル圏内、俺とフェリテ以外の動くものすべてを塵と化す。
当てるとか、
避けるとか、
燃やすとか、
火炎呪の完全な理解の前には、なんの意味も成さない。
フェリテが俺の火炎呪に頼りすぎないよう、加減していただけだ。
俺は、知覚できる範囲の熱エネルギーを、完全に支配することができるのだから。
かつて木人だった無数の黒い塵が、ほのかな風に霧散していく。
「……フェリテ」
その手に治癒薬を握り、フェリテを抱き起こす。
わかっている。
意識を失っているフェリテに、治癒薬を飲ませることはできない。
だったら、こんな粘っこい液体に、なんの意味がある?
「フェリテ……」
吐息が、か細い。
すぐにも止まってしまいそうだ。
俺のせいだ。
俺が、油断したせいだ。
何が、極大呪と大呪は使わない、だ。
本末転倒にも程がある。
涙が溢れる。
傷を負い、血まみれのフェリテの頬を、俺の涙が汚す。
俺には〈ゲームマスター〉がある。
フェリテの死を防ぐ手段は、ある。
ずっと考えていた。
俺は、神ではない。
すべてを好きなように操ることは、俺自身が許さない。
死を覆すような真似は、決してすまいと。
だが、フェリテは死んでいない。
まだ息があるのだ。
ならば、俺がすべきことは一つだった。
羊皮紙と羽根ペンを展開する。
そして、フェリテの左手首を飾る真紅の腕輪を見つめた。
これでいい。
【第六層の宝箱から入手した真紅の腕輪は、"身代わりの腕輪"であった】
【装備者が、致死、あるいは死に準ずるダメージを負った際に、その傷をすべて身代わりに負い、砕け散るのだ】
「──これで、大丈夫なはずだ。なんとかなるはずだ」
羊皮紙を羽根ペンを収納し、フェリテの右手を取る。
怖かった。
不安だった。
〈ゲームマスター〉の能力は、俺が自らの努力で得たものではない。
借り物だ。
借り物の能力なんて、心の底から信じられるだろうか。
長い、あまりにも長い数秒が経ち、
──ぱきん。
フェリテの腕輪に、ヒビが入った。
その瞬間、フェリテの体が白く輝き、まるで時間が巻き戻るかのようにすべての傷が癒えていく。
血液で汚れた衣服すら、元に戻っていった。
「──……、ん……」
フェリテが、身じろぎをする。
「フェリテ!」
「リュー、……タ……?」
「よかった……!」
思わずフェリテを抱き締める。
「わ……!」
涙が溢れ、頬を伝っていく。
それが、くすぐったかった。
「あたし……」
「……守ってくれて、ありがとう。お前は、やっぱり、最高の主人公だよ」
「えへへ。ちょっと危なかったけど、ね」
フェリテを離し、親指で自分の目元を拭う。
「でも、前に言っただろ。いざと言うときは、絶対に、自分の命を優先すること。俺を守って死ぬとか、マジで勘弁してくれ……」
「……ごめん」
「やるなら、俺を守って、ちゃんと無事でいること。ここまでして、やっと、最高の主人公なんだからな」
「あれ、でもさっき、お前は最高の主人公だって」
「人の揚げ足を取らない!」
「は、はーい!」
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