101 / 彼女を縛るすべてのものから
フェリテが寝入ってから数時間ほどが経った頃、地上へと伸びる階段から、コツコツと足音が響いてきた。
一人分だ。
アーネだろうか。
「──おい、フェリテ。起きろ。誰か来たぞ」
「んに……?」
フェリテが手の甲で目尻を擦る。
「アーネだったらややこしいことになるから、離れろ離れろ」
「……はふ……」
あくびをしながら、俺からすこし距離を取る。
密着して汗ばんでいた胸元が、ひどく涼しく感じられた。
しばらくして現れたのは、アーネではなかった。
彼女とよく似た髪色を持つ、淑やかな女性だ。
女性は、しずしずと鉄格子の前に立つと、じっと俺たちを見つめた。
──いや、違う。
正確には、フェリテを見つめていた。
「……え、と?」
戸惑うようにまばたきをしながら、フェリテが女性へと視線を返す。
「──…………」
女性が、唐突に、その場に片膝をついた。
「お久しゅうございます。フェリシア=フェテロ=エレウテリア殿下」
「あれ、あたしの名前……」
それは、フェリテの本名だった。
「以前に一度だけ、王城にてお会いしたことがございます。わたくしの名は、スフィア=テト。こちらの神殿にて神官長を務めております」
「テト──って、もしかして!」
「アーネのお母さん、ですか?」
「ええ、その通りです。リュータ=クドウさま。迎えに来るのがたいへん遅くなりまして、申し訳ありません。夫から事情を伺うのに、少々手間取ったものですから……」
フェリテが不安そうに尋ねる。
「えっと、アーネは今、どうしてますか……?」
「夫の手によって軟禁状態にあります」
「軟禁、……って」
そこまでするかよ。
「冒険者になる。この言葉を取り消すまでは、外へは出してもらえないでしょう。夫はひどく心配性です。本当は、アーネが神都を出ることすら認めたくはなかったの。あのときは、わたくしがなんとか取り成したのですが……」
「……スフィアさんは、どう思ってますか。アーネのこと」
「正直に申しまして……」
スフィアが、真剣な眼差しで答える。
「わたくしも、娘には、冒険者になってほしくはありません。あの子が昔から冒険譚の主人公に憧れていたことは知っています。ですがそれは、あまりに危険で苦難の多い道。神官としてそれなりの幸せを掴んでくれれば、親としてそれ以上は何も望みません」
「そう、ですか……」
「ですが、今回の件に限っては、わたくしはアーネの味方です。夫はやり過ぎました。知らなかったとは言え、王族であるフェリシア殿下を投獄したのです。この件が表沙汰となれば、国と神殿との蜜月にヒビが入ることは間違いないでしょう」
「えっ、そんな! あたしはぜんぜん気にしてないです!」
「そりゃ、あんだけぐーすか寝てればな」
「言わなきゃバレないのにー!」
「ふふ」
スフィアが、くすりと笑う。
「フェリシア殿下が王族の一員であることは、夫はまだ知りません。私が思う最善は、フェリシア殿下に夫を説得していただき、"冒険者になる"以外のアーネの要望をすべて受け入れさせることです。そうすれば、あなたたちは、今まで通りの関係を保つことができるでしょう」
「──…………」
「──……」
フェリテと顔を見合わせる。
きっと、同じことを考えている。
その着地点では、俺たちは納得できない。
「スフィアさん。申し訳ないけど、アーネはもらっていく。彼女は一人の人間だ。俺たちは、友人として、彼女の意志を尊重する。たとえ両親を──あなたたちを敵に回しても、だ」
「……そう、ですか」
スフィアが小さく息を吐いた。
覚悟はしていた。
そう、言外に告げるように。
「いずれにせよ、わたくしにできることは、そう多くはありません。お二方をこの牢獄から解き放つこと。そして、フェリシア殿下が本物の王族であると、夫に伝えることです。あとは、委細お任せいたします」
「ありがとう、スフィアさん!」
「いえ。こちらこそ、夫が申し訳ありませんでした」
スフィアが、無骨な鍵で以て、鉄格子の扉を開く。
「では、参りましょう」
「ああ」
俺たちは地下牢を後にする。
することは、最初から決まっている。
ボーエンを説き伏せ、アーネを解放するのだ。
神官という役職から。
父親という枷から。
そして、彼女を縛るすべてのものから。
その先にしか、俺たちにとって納得の行く結末は存在しないのだから。
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