100 / フェリテと冷たい牢獄で
「さーて、ここからどうすっかな……」
檻を壊すことも、逃げ出すことも容易だ。
だが、〈ゲームマスター〉では、人の心は操れない。
ボーエンを説得したいのであれば、あくまで己の力で行わなければならないのだ。
「──……えへへ」
フェリテが、くすくすと、嬉しそうに笑う。
「どうした、フェリテ。疲れたか?」
「大丈夫だよ。嬉しかっただけ」
「嬉しかった、か」
その点に関しては、俺もまったく同じ気持ちだった。
「アーネ、ずっと、俺たちのこと心配してくれてたもんな。あんなこえー親父さんに逆らってまで、俺たちと共に冒険したいって言ってくれたんだ」
「……叶えないとね、絶対」
「ああ」
冒険者は、常に危険と隣り合わせだ。
いつ死んでもおかしくはない。
だから、ボーエンの心配は、親として当然のことだと思う。
だが、それでも──アーネの意志を、決意を、踏みにじるような真似だけは、絶対にさせてはならない。
アーネは一人の人間なのだから。
「とは言え、具体的にどうするか考えないとな。仮に、このまま食事も与えられなければ、アーネが決意を曲げて助けを懇願してしまう。あの子は、優しいから」
フェリテがあっさりと言う。
「なら、脱獄する?」
「脱獄は、まあ、余裕でできる。ただ、するにしても今すぐは不味いだろうな。ボーエンの頭にのぼった血が多少なりとも下がるまでは、大人しくしてるのがいいだろ」
「そうだね。ボーエンさん、すっごく怒ってたから……」
「子を持つ父親として当然の反応だけど、それに権力が伴っちまってるのがいちばんの問題だよ。誰もボーエンを止められない。だから、どんどんわがままになる。自分を正してくれる人がいないんだ」
「私たちが、それをするんだね」
「ああ。アーネは、ボーエンの娘である前に、一個の人間だ。その決意を貫き通す手伝いをする。それが友達の役目ってもんだろ」
「うん!」
ボーエンを説得するのは、きっと困難だ。
だが、俺たちは、アーネを諦めるわけには行かない。
彼女が待望のヒーラーだからではない。
大切な友達だからだ。
「……ひとまず、昼寝でもするかな。時間潰しに」
「だね。朝からちょっと慌ただしくて、疲れたかも……」
「こういうとき、冒険者やっててよかったと思うよ。いつでも、どこでも、わりかし眠れるからな」
「わかるー」
石畳に腰を下ろす。
「──つめてッ!」
晩夏とは言え夏だと言うのに、地下牢の床は驚くほど底冷えしていた。
「これ、ちょっと、眠るの無理かもしれないぞ……」
俺の言葉を確かめるように、フェリテもその場に座り込む。
「……あ、これダメなやつ。横になったら風邪引いちゃうよ」
「壁に背中を預けて、座りながらなら、行けるか?」
「どうかなあ。立ってると肌寒い程度なのにね」
「まさか、夏場に凍えるとは思わなかったよ……」
石壁に背中を預ける。
床よりは随分ましだ。
触れた部分も、しばらくすれば、体温で温まるだろう。
「……まあ、我慢するか」
「あ、前みたいに火炎呪で暖めるのは?」
「たぶん、一時しのぎにしかならないと思う。暖かい空気はみんな上に行くから、床は結局冷たいままだよ」
火炎呪の範疇において思いつく限りの現象を起こすことができる俺だが、さすがに眠りながら魔法を維持するのは無理だ。
「フェリテが先に寝るか? 俺が起きてさえいれば、室温操作は可能だし」
「えー……」
何故に不満げ。
「ここ、ダンジョンじゃないんだよ。魔物もいないんだよ。交代で寝る必要、ないもん」
「それはそうだけど……」
「──あ、そうだ!」
何事かを思いついたのか、フェリテが四つん這いで近寄ってくる。
「リュータ、もうちょっと足開いて」
「ん?」
言われるがまま、両足を開く。
すると、
「おじゃましまーす」
フェリテが、その隙間に体を滑り込ませてきた。
「──って、待て待て待て!」
身をよじり、フェリテから離れようとする。
「逃げるなー!」
ぎゅう。
「ぐえ」
馬鹿力に締め上げられて、思わず床をタップする。
「あ、ごめん……」
「……逃げない。逃げません、はい」
逃げたら絞め殺される。
「ほら、くっついたらあったかいでしょ」:
「──…………」
フェリテの甘い香りが鼻孔をくすぐる。
そりゃ、人肌は温かい。
暖かいけどさ。
これは不味いだろ。
俺が渋い顔をしていることに気付いたのか、フェリテが恐る恐る尋ねる。
「……ダメだった?」
「前も言ったけど、自分が年頃の女の子だって自覚を持ちなさい。あんまりよくないぞ、こういうの……」
「持ってるってばー」
「いーや、持ってないね」
「持ってるもん」
「持ってたら、寒いからって無防備に男にぴっとりくっつかないの」
「それ、凍死しそうなときでも言える?」
「極端な例を出して論点をずらすのはよくないと思いまーす」
「むー……」
フェリテがむくれる。
「……でも、あたし、あったかいでしょ?」
「──…………」
「あったかいよね」
「……黙秘します」
「ほら、あったかい。リュータの体もあったかいもん」
「──……はァ……」
思いきり、これ見よがしに溜め息をついてみせる。
どうあっても離れそうにない。
「わかった。わかりましたよ。もう好きにしてくれ……」
「やったー!」
フェリテが、まるで犬か猫かのように、俺の胸の中で居心地のいい姿勢を探す。
一分ほどして位置が決まったのか、そのままじっと動かなくなった。
「ふー……」
「いかがですかね、お姫さま」
「満足じゃー……」
「さいですか」
背中と尻は冷たいが、胸元は暖かい。
たしかに、体温を失わないためには、合理的な方法だ。
フェリテは何も間違っていない。
だが、こう、譲ってはいけない一線というものがあるのだ。
「……おやすみ、リュータ」
それだけ告げて、フェリテが目を閉じる。
俺は、その鮮やかな赤い髪を、無意識に撫でていた。
「……?」
目をぱちくりさせながら、フェリテがこちらを見上げる。
「……大型犬ってこんな感じだよなって思って」
「もー……」
子供っぽく頬を膨らませながら、フェリテが再び目を閉じる。
もう邪魔しないでおこう。
ただ一つ言えるのは、こんな状況で俺が眠れるはずもないということだった。
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