第2話 4
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藍実は、校門のところで友人と別れると家路を急いだ。
昨日の出来事を思い出す。
カノ以外に星の子がいたなんて驚いた。しかも、あのトリスという星の子はカノと知り合いらしい。
自分の願い事までばれることはなかったが、もしかしたら時間の問題かもしれない。
「ねぇねぇ」
「? ……」
誰かから声を掛けられたような気がしたが、気のせいだろう。
藍実は歩調を早める。
「望月さーん」
「!」
その声に振り返ると、そこには宮野 煌太がいた。
藍実は思わず顏をしかめる。
「……何ー?」
「うん、ちょっと後つけさせてもらって、二人きりになる機会をうかがってたんだけどさ」
「は? フツーにきもいんだけど」
藍実がそんなことを言っても、煌太はその穏やかな表情を崩そうとしない。
「そんなこと言わずにさぁ……」
「……」
「昨日はごめんね。急におしかけて」
煌太ははにかむ。
藍実にとって煌太は、「よく分からない奴」だった。同じクラスではあるが、今までまともな会話をしたことはない。
誰にでも優しい彼は、同性からも異性からも好かれているイメージがあるが、基本は一人で本を読んでいることが多いようだった。特定の誰かと仲良くするということが苦手なのかもしれない。
「……ってか宮野くんも星の子といたってことは、何か「願い事」をしたってことだよねー?」
藍実は自分のことを訊かれるまえに、とっさにそう訊いた。
煌太はそれに頷く。
「うん、でも僕の願い事は叶えてもらえなかったんだよね。残念ながら……」
「マジ? そんなことってあるんだ。一体どんな願い事……」
一瞬の間のあと、
「あ、やっぱりやめた!」
藍実はそう付け加える。
一つだけしか叶えられない願い事を何にしたかを訊くなんて、失礼以外何物でもない。それに、同じ質問で返されるかもしれない不安があった。
煌太は困ったような顏をする。
「あのさ、昨日家にいたお兄さんってさ、カノさんだよね……?」
「! 知ってたの」
心臓に一瞬、ヒヤリとしたものを感じる。
「うん、まぁ……ね」
煌太は気まずそうに目を伏せる。
「あっそ。口出しだけはしないでね! そーいうのホント無理だから!」
藍実は踵を返すと、歩き出した。歩調を早める。
目の前の信号が丁度、青に変わった様子が見えたのでその勢いで横断歩道を渡る。
自分が非常識な願い事をしたことなんて、承知済だ。だから、今さら他から説教をくらうなんてことしたくなかった。
「まってよ~望月さん」
「!」
藍実は歩きながら肩越しに振り返る。
そこには、煌太が必死になって追いかけてくる姿が見えた。
「は? ちょっと! ついてこないでよ!」
「だってまだ話終わってないよ~~」
「はーー、もう」
藍実は歩調を緩め、立ち止まる。
こんな街中で追いかけっこなんて、できるわけない。小学生じゃあるまいし。
煌太は肩で息をしながら
「ありがとう、待っててくれて」
「だって待ってなかったら、ずっと追いかけてくるつもりだったんでしょー?」
「うん」
当たり前のように頷く煌太に、藍実は深くため息をついた。
やっぱり煌太は「よく分からない奴」だし「おかしな奴」なのだと思った。
「外寒いし、中で話したいなぁ。そこに喫茶店あるし……」
煌太は、視線を藍実の向こう側に向ける。
藍実もつられて目を向けると、そこには藍実もよく目にする喫茶店があった(通学路なので毎日横を通る)。
「っていうのは、建て前でほんとはそこのお店のケーキが食べたいんだよね~……男一人じゃ入りにくいし、付き合ってほしいなあ」
「……は?」
藍実は眉をよせる。
おかしな奴にしてもほどがあると思った。
喫茶店でゆっくり話しでもしたら余計なことまで口にしてしまうかもしれない。
「ダメかなぁ?」
煌太は微笑み、ははは……と笑った。
「……男のくせに甘いもの好きなんだ」
「うん、好きだよ。コンビニとかスーパーならちょこっと買えるけど、可愛いお店は女の人が多いから入りにくいんだよね……」
「あ、そう……」
藍実は口ごもる。
実は藍実もそこのお店のケーキは気になっていた。最近、クリスマス限定のものもでているみたいだし。
煌太の期待の眼差しが異様に眩しく感じる。
もうカノのことは、バレていて隠す必要もなくなったわけだし、別にいいのかもしれない。この煌太のことだ。藍実のことを追い詰めるような、嫌な質問はされないだろう。
「……わかった。あたしも丁度そこのケーキ食べたかったんだよねー」
藍実は表情を緩めると、そう言った。
その後……。
取り留めのない雑談をしつつ、ケーキを味わった2人は喫茶店を後にした。
そのまま自宅に帰るため、駅に向かう。
「おいしかったね~。入ってみて正解だったよ~」
煌太は上機嫌な様子で、藍実に微笑みかける。
「次は望月さんが食べてたのにしてみようかな」
「あは、また行く気? ほんと意外。本を読むことにしか興味なさそうだったのに」
「あれ、僕っていつも本読んでるイメージなんだ?」
「ってか、それしかイメージなかったけど??」
藍実は苦笑する。
カノのことについて一切話題を振られなかったことに、藍実はほっとしていた。
そして、それが逆に不思議で仕方なかった。
どうして、何も訊いてこないのだろう。
「じゃ、あたしは夕飯の買い出ししてから帰るから」
藍実は駅周辺まできたとき、隣を歩いてる煌太にそう言った。
すると、煌太は表情に影をおとす。
「……望月さん、願い事は取り消した方がいいよ。きっと後悔するから」
「!……」
突然、雰囲気が変わった煌太に藍実は思わず口を結んだ。
周囲の雑音が遮断されるような感覚。今まで見たことのないその表情に、目が釘付けになる。
「は? 後悔する? そんなのするわけないじゃん」
藍実が何とかそう言いかえすと、煌太は
「そうかなぁ。ただ、望月さん、寂しそうな顏してるから。せっかく願い事が叶ったのに、不思議だなぁって」
「……」
「まぁいいや……今日はつきあってくれてありがと。またケーキ食べに行こうね。じゃー明日学校で~」
煌太は表情を緩めると、藍実に向かって手を振った。
藍実はすぐさま背を向けると、歩調を早めることに意識を集中させた。
「っ……ありえない、ありえないっ!」
どうして気付かれてしまったんだろう。
必死に気付かないフリをしていたはずなのに。
「あれ~、ふられちゃったかなぁ……」
煌太は降っていた手を下ろすと、ため息をついた。
近くの外灯の上から二人の様子を見ていたトリスは、煌太の隣に足をつく。
「別に気にしなくてもいいのでは? で煌太、今日何か収穫はあった?」
「んー、特にはないかな。トリスさんは?」
「……もしかしたら、カノ、もう自我が完全になくなったかもしれない」
そう信じたくないが、トリスは今日カノと会って感じたことはそれだった。
煌太はトリスの言葉に、驚いたように目を見開きそして、悲しそうに目を伏せた。
「そっか……」
「カノは不器用な奴だけど、誰よりも優しくていい子なの。このまま見捨てるなんてしたくない……」
トリスが震える声でそう言葉を並べると、煌太は慰めるようにトリスの頭に手をおいた。
「大丈夫だよートリスさん」
トリスが顏を上げると、煌太はにこりと笑う。
「まだ人間になって日が浅いなら、どうにかなるよ。やっぱり願い主である望月さんを説得した方がいいってことかもしれない……また僕から話して……」
「ホントにおかしな奴ね。人間のくせに」
トリスはこの場から、浮き上がると煌太を見下ろす。
それと同時に、街を行き交う人々の姿が目に入った。近くにある駅の出入口からは、絶え間なく人々が出入りしており、それに周辺に立ち並ぶ店も同じだ。常に人々のざわめきで溢れかえっている。
この街の人々は皆どこか忙しないし、余裕がないように見える。けれど、仕方ないのだ。人間は自分たちと違って、命の期限が短い。
そして煌太もそのうちの一人。
「ねぇ煌太、ホントはわたしに構っている余裕なんてないのでは?? 人間はみんな忙しそうだものね」
「……」
「だったら、別にいいのよ。無理しなくて」
煌太はトリスを見上げると、首を左右に振った。
「無理はしてないよ?」
トリスはそれに思わず眉を寄せる。
「別にこれで、あんたに見返りがあるわけじゃないケド」
「あはは……用心深いね。僕はただ、トリスさんの助けになりたいだけなのにな」
「……」
「まぁいいや。トリスさんに何て言われようと、僕はこの件に関わるよ」
煌太はそう言うと、トリスに向かって手を振る。そして、駅の中へ姿を消した。
トリスはそんな煌太を見送ると、小さくため息をつく。
想像していたよりずっと、煌太の意志は固いようだ。
星の子に関わろうとする人間だって珍しいのに、その中でも煌太は飛び抜けて珍しい存在なのだと実感した。
まるで、命の期限のことを気にしていないみたいに、自分のことを気にかけてくれている。
実際、煌太の助けがないとカノを助けるのは難しい。だから正直ほっとしていた。
「ほんとありがとね、煌太……」
+
自宅に帰った藍実は、キッチンに立つ兄の姿が目に留まり思わず口を開く。
「お兄ちゃん、今日はあたしが夕飯作るって言ったじゃん!」
「今日は家にいたし、これぐらいはやるって」
「はぁー、せっかくカレー作ろうと思って、材料買ってきたのに」
「はは、んじゃ、カレーは明日な」
藍実は材用の入ったビニール袋を、食事用のテーブルの上に置いた。
兄の方に歩みよる。
「……ねえお兄ちゃん、もう「ごっこ遊び」はやめておく?」
「……何のことだい?」
彼は何の躊躇いもないように微笑む。
「っ……何でもないし!」
藍実は、そう言葉を投げると二階へ駆けあがり、自室へ駆け込んだ。そして、その場にうずくまる。
涙が止まらなかった。
……本当の兄は、五年前に死んだんだ。そんなこと分かり切っているではないか。
けれど、もし兄が生きていたら、そう考えない日はなかった。
きっと、あたしの「願い事」はこんなことじゃなかった。
煌太に言われて、実感してしまった。
偽りの兄を再現しても、ただ虚しいし寂しい。これではただ、カノとトリスに暴力を振るった身勝手な人間になってしまう。
じゃあ、あたしの本当の願い事って一体なに?
どう願うことが正解だったの?
でも、これだけは解った。きっと自分は大切なものを失うことを恐れている。
「当たり前だよ」そんな顏で皆あたしの隣にいるから、今まで全然気づかなかったんだ。
+
次の日の朝。
トリスは煌太と共に、家近くの電柱の影に身を潜めていた。
時々通りすがる人々は、こちらを不審な目つきで一瞥するが煌太は一切気にしていないようだ。
「……で、煌太。何をしているの?」
「待ち伏せ。学校行くとき、望月さんここ通るはずだかさ」
煌太は得意げにそう言った。
「へ~……相変わらずやるじゃない、煌太」
そして、数時間後。
「なかなかこないのだけれど……」
トリスはブロック塀の上に腰かけつつ、そう呟く。
待っている間、愚痴の一つもこぼさない煌太は、きっと辛抱強い奴に違いない。
煌太はそれに、カバンからスマートホンを取り出すと時刻を確認する。
「そろそろお昼だね。望月さん、どうしたんだろ。風邪ひいたのかなぁ」
「もしかして! 別の道で学校行ったのでは?」
「この道以外だとだいぶ遠回りになっちゃうし、それはないだと思うんだけど……」
トリスは塀の上で立ち上がると、周囲を見渡す。
すると、藍実の姿が遠くの方に見えた。
「あ! あの人間じゃない?」
煌太はこの場から移動し、トリスが指差した方向に目を凝らす。
「あ、そうみたいだ。じゃぁ行ってくるよ」
「……わたしは行かない方がいいのよね?」
「うん、きっと僕一人の方がいいと思う」
「そうよね」
トリスは煌太の後ろ姿を見送る。
自分も何かできたらいいが、ついて行っても事を荒立ててしまうだけだろう。
+
「はー……最悪の気分」
藍実はやっとの思いで自宅からでると、歩みを進めていた。
昨日は考え事を巡らせていたせいで、ほとんど眠ることができなった。明け方になってやっと眠気がきたが、こんな日に限って午後テストがある。
そんなことを考えてフラフラ歩いていると、前方から見知った人影が。
「望月さん、顔色悪いね。大丈夫?」
「……宮野くん、どうしてこんなところにいるわけ? 学校は?」
今、一番対面したくない相手に会ってしまった。
藍実は思わず顏をしかめた。
「ん~……、望月さんのこと待ち伏せしてたら、遅れちゃったんだよね」
「はぁ!? 今度は待ち伏せ? 信じられない」
藍実は踵を返すと、早足でその場を離れる。
「ちょっと待ってよ! きいてほしいことがあるんだ」
煌太がそう叫ぶのがきこえたが、藍実は構わず歩調を早めた。
やはり煌太は、どこかおかしな奴だ。
クラスの誰にも話したことがなかったにも関わらず、兄が亡くなっているのを知っているし、それに、自分の家の場所も知っている。
煌太は今年の春、藍実の高校に転校してきたばかりなのに。
どうしてそんなことまで知ってるの?
そう考えを巡らせていたら、いつの間にか藍実の歩調は、ほぼほぼ走るような速さになっていた。
とその時、後方から手首を掴まれる。
「!」
「よし、捕まえた。もう逃げないでね」
煌太はにっこりと笑った。
「分かったから! 手離してくれない?」
「うん」
煌太は、あっけなく藍実から手を離す。
……思ったより足が速いし力強い。正直怖かった。
「カノさんのこともとに戻してほしいなー……」
「またその話? 嫌に決まってるじゃん。折角叶えてもらったのに」
「え~……」
煌太は困ったように眉を寄せる。
「望月さんさぁ、本当は気付いているんじゃない? ホントの願い事は別にあるってこと」
「!」
「生きることは寂しいよね、失うことばかりだ。それに、一度失ってしまったものはもう二度と取り戻すことはできない……君のお兄さんのようにね」
「……宮野くんにあたしの何か分かるっているわけ!? 知ったようなこと言わないでよ」
思わず声を上げてしまったが、煌太は相変わらず穏やかな表情だ。
藍実はその顏が、嫌でイヤで仕方なかった。
「んー……いろいろと解っちゃうんだよね、それなりに長く生きてると」
「は?」
「僕、こう見えて百年以上生きてるんだよね……信じられないかもしれないけど……」
「あは。今って冗談言うシーンじゃなんだけど。空気読んでよ」
「……やっぱり信じてもらえないよね……まぁいいや、僕が望月さんの本当の願い叶えてあげる」
その言葉と同時に、煌太の目つきが変わった。
光の筋が入ったような鋭い眼光。
白目部分も全て黒で塗りつぶされ、まるで人間味がない。
頬や首、手に黒い傷のようなものが広がっていく。
「!?」
煌太がその手を上に掲げると、傷口から黒い星々が現れた。それらはまるで流れ星のように彼の周りをグルグルと回る。
そして、星々は藍実に向かって目にもとまらぬ速さで襲いかかった。
「!」
それらは、藍実の腹や足、腕に突き刺さり、その体を大きく空中に吹き飛ばした。重力にされるがまま、藍実の体はアスファルトの地面に落ちる。
視界が歪むような猛烈な痛み。
生暖かい血だまりが広がっていくのが分かる。
イミが分からない。
自分は、煌太に殺されてしまうのだろうか。
「えっと……まだ死んでないよね、ちゃんと急所は外したし」
煌太は藍実の首を片手でつかむと、軽々と持ち上げた。
歪む視界の中で、すっかり姿が変わってしまった煌太が見える。
彼は、微笑んでいた。
「……望月さん、君の願い事は?」
「……」
「さっさと言ってよ。あるでしょ?」
煌太の怒りに満ちた声色に、藍実は思わず
「っ……死にたくない!……し……死にたく……ない!」
そう声を絞り出すと、彼は満足げに微笑み「うん、そうだよね」と言った。そして、藍実から手を離す。
力なく横たわる藍実の横で、煌太がカバンの中から何かを取り出したのが分かった。
それはまるで夜空のような黒の液体。試験管のようなものに入っている。
煌太はキャップを外すと、その液体を藍実の口の中に流し込んだ。
「ちゃんと飲んでね、大丈夫だから……それにしても、よかったよ~目を付けてたかいがあった」
煌太は空になった試験管をバッグの中へしまうと、その姿を「人間」に戻す。
「ね、藍実。これでもう寂しいことなんてないよ、僕と一緒に永遠を生きようね」
煌太はにっこりと笑った。
+
煌太は意識を失った藍実のことを見届けると、スマホからとある連絡先に電話をかける。
「……あ、もしもし。新しい人口星が増えたよ。そのうち一緒にあいさつに行くから……うん、よろしくね」