第1話 2
……いや、正気だろう。青年の目は何処までも穏やかで曇りの一つも見当たらない。
星の子の能力を使えば、その願いを叶えることも可能だ。
けれど……。
「却下ね」
トリスの言葉に、青年は唇を尖らせる。
「え~~何でも叶えてくれるって言ったのに」
「……そんな突拍子のない願いごとだと、さすがに叶える気にはなれないから。そもそも願い事が叶った時点で死なれたら、「幸せエネルギー」が集まらないし」
トリスはそう言いつつ、手の中にビンを現しそれを青年に見せる。
青年は興味深そうにそれを観察すると、
「ここに入ってる、光る水みたいなのが幸せエネルギー?」
「そうよ」
「へぇー……あ、あと少しで一杯になるね? もしかしてさ、僕の願い事を叶えれば目標達成ってことだった?」
青年は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
……のんびりしているように見えるが、なかなか鋭いやつだ。トリスはそれに「そんなところよ」と言うと
「だから、別の願い事にしてくれない?」
「えー他には思いつかないんだよなぁ~……」
青年はより一層、申し訳なさそうにする。
「あなたね、人間は百年も生きられないのよ?どうせすぐ死ぬんだし、別の願い事にしておいた方がお得よ??」
トリスは必死だった。
こうも願い事のチャンスを棒に振る人間なんて見たことない。
この少しおかしな青年のことをどうにかして、説得したくなった。
「うーん、そんなこと言われてもなぁ……ほんとにそれしか思いつかないんだよ」
「……はー」
思わずため息がこぼれる。
青年の表情は相変わらず穏やかで、その意見を変えてくれる気はさらさらないようだ。
自分が思っていたより、説得することは難しいと実感してしまった。
もう諦めよう。
「分かった、他をあたるから。ほんとおかしな人間ね」
トリスは地面を蹴りその場から浮き上がると、青年を見下ろした。
自分のことを殺してだなんて、どんな生き方をすればその発想にいくのだろう。本当に不可解だ。
青年は浮き上がったトリスの方を見上げると、少しだけ不思議そうに目を見開き再び微笑む。
「ごめんね、トリスさん、いい願い事浮かばなくて」
「……別に謝ることじゃないから」
「あと僕の名前言ってなかったよね。煌太っていうんだ。宮野煌太」
青年、煌太の発言にトリスは眉を寄せる。
「何を言っているの? あなたの名前を認識することなんて、何の意味もない。ふざけないで」
「そんなこと言わずにさぁ~覚えてほしいなー」
トリスはそれを無視すると「さよなら」と言葉を投げて、この場から姿をかき消した。
++
数日後。
「どうして一杯にならないの!?」
ここは街中から、少し離れたところにある住宅街。
トリスは、その一角にある民家の屋根の上でそう叫んだ。
あのおかしな青年と別れてから、いろいろな人間の願い事を叶えてきた。それにも関わらず、ビンの中の幸せエネルギーが一杯にならないのだ。
あと、ほんの少しなのに。
トリスはその場に寝転がり、空を仰いだ。
ビンを空に透かしてよくよく見てみるが、やはり青年と会ったときから幸せエネルギーは増えていないように見える。
「あーどうして? さすがにもう限界よ……疲れた……」
願い事を立て続けに叶えると、疲労がたまる。
しばらくこうしていた方がいいかもしれない。
今は爽やかな青色をしている空だが、もうじき日が沈むだろう。夜空街では、空の色は一定なので、地上界の空色の変化を忙しなく感じずにはいられなかった。
そういえば……収穫祭に参加した星の子たちは、今どのぐらい地上に残っているのだろう。そんなことを考えつつウトウトしていると、
「おーい、トリスさーん」
「?」
聞き覚えのある声に、トリスは体を起こす。すると、すぐわきの道に見覚えのある青年が立っていることに気付いた。
トリスは屋根から道に着地すると、彼を見上げじっとその顏を観察する。
「あなたは……あの時の。確か、コウタって名前だったような」
「あ! 覚えててくれたんだ。嬉しいなぁ~」
煌太は、はにかむ。
彼はまえ会った時と同様、学校の制服を着ていた。もしかしたら、この近くにその学校があるのかもしれない。
すると煌太は、トリスが手に持っているビンに目を向ける。
「あれ、まだ一杯にならないの? この前会ったときから、一週間以上は経ってるよね……?」
「う」
今まさに気にしていたことを指摘され、トリスは言葉につまる。
「わたしも不思議で仕方ないのよ、これでもかってぐらい願い事を叶えてきたのに」
トリスは思わずそう言葉をこぼした。
……自分の収穫祭は、順調だったはずなのに。最後の最後でつまずいてしまった。
一体どうしたらいいのだろう。
「……うーん」
煌太は再び考えるような仕草をする。
その表情は真剣そのものだ。
すると、煌太は口を開いた。
「もしかしてだけどさ、そのビンの中にはみんなの幸せの他に、トリスさん自身の幸せも入ってるんじゃないかな」
「!」
「みんなの願い事を叶えて、みんなが嬉しそうにしている姿見ると、少なからずトリスさんも幸せを感じたでしょ?」
「……言われてみれば」
願い事を叶えたとき、人間たちはみな幸せそうだ。その姿を見て、不快になった覚えはないし、むしろ居心地がいいという感覚が正しかった。
煌太は言葉を続ける。
「いくら願い事を叶えても一杯にならないってことは、きっとトリスさんの幸せが足りてないんだよ」
「……」
「人の願いを叶える時ってさ、自分も幸せじゃないと悲しいよ?」
煌太は口を結んだトリスの前に腰をかがめると、目線を合わせる。そして言った。
「今度は僕が訊くね。……君の願い事は?」
「! ……何を言っているの? 煌太にはわたしの願い事なんて叶えられないでしょう?」
「確かにそうかもしれないけどさぁ……力になりたいと思ったんだ。それじゃダメかな?」
どうして解ってしまうんだろう、トリスはそう思った。
そして、解ってくれたことが嬉しい、そう感じてしまった。
人間たちは皆、自分のことばかりでこちらには一切興味をしめさない。それを悪いこととは思っていなかったし、当たり前のことだと思っていたから。
そう、収穫祭に参加を決めた目的は他にもある。それが叶わないと夜空町には帰れない、心の何処かでそう思っていたのかもしれない。
「わたしの願い事……そうね……」
「……」
「姉さんに会いたい! 百年前の収穫祭の日、地上から帰ってこなくてそれっきりだったから」
トリスはそう言葉を並べる。
夜空町から地上へ降りて行ったアトリアの後ろ姿が、目に張り付いて離れない。
幼かった自分は、追いかけることもできなったけれど。
「へぇ~お姉さんか……」
煌太は少しばかり驚いているようだ。そして、明らかに困惑している。
あー、そうか。人間の煌太からしてみれば、願い事を叶える存在である自分が、願い事を口にするなんておかしい。
ここはやはり、願い事なんて無いと言っておいた方がよかった。
「あーー、余計なこと言ったかも。今のは忘れて!」
トリスは慌てて訂正するが、煌太はその言葉なんて一切気にしていないようだ。
「じゃぁ、僕も一緒に探すよ!トリスさんのお姉さん」
煌太は、何の躊躇いもなくそう言った。
「?? 何でそうなるの? イミ分からない」
「え~だって、トリスさんには恩があるし!」
煌太は何かを思い出したように、肩掛けカバンの中から何かを取り出す。
白のビニール袋から取り出したのは……
「それは何?」
「これね、コンビニで買ったお菓子だよ。まぁ昨日も買ったんだけど、めっちゃ美味しくてさーまた買っちゃった」
そのお菓子はトリスが図書館で勉強した情報ではみなかったものだ。
透明なカップの中に、スポンジやらクリームやらチョコレートやらが重ねられて詰められている。
「あの時トリスさんに殺されてたら、これは食べれなかった! 昨日でたばかりの新作だしね」
「……は? へ、へ~……」
「よかったー死ななくて。ってことで一緒に探すよ、お姉さん」
煌太は瞳を歪ませ微笑む。
それぐらいの理由で?と疑問を抱かずにはいられなかったが、どうやら煌太のその気持ちは本気のようだ。
もしかしたら、彼と協力すればアトリアに会えるかも、そうとも思えてしまった。
「っ……本気なの?」
「もちろんだよ」
「……ありがとうね、煌太」
思いのほか、自分の声は弱々しい。
一人ぼっちで地上にいることは、自分が思った以上に不安なことだったようだ。
煌太の言葉で、改めてそう実感してしまった。