⑧
よろしくお願いします!
――顔を上げると、そこにはお嬢様が立っていた。
「おーっほっほっほ! 私、楼王院麗華でございますわぁ」
澄んだ青空の下、お昼時。心地好い風が吹き、頬をソッと撫でていく。
目を閉じれば微睡みの中へと吸い寄せられてしまいそうで、でも、それはそれで良いと思える程気持ちの良い天気であった。
ただ――耳を劈く笑い声が、ベンチに座っている俺の正面から聞こえてくる。だが、普通に話す時の声はとても穏やかであり、優しい人なのだろうと予感させる。
見た目のインパクトだけなら、あの鳳千歳をも上回っているだろうか。
顔付きはハーフっぽく、背筋を真っ直ぐ伸ばした姿勢。毛先のロールが特徴の金髪ヘアーに、自信たっぷりなのが窺える大きな瞳。
可愛いと評するよりは、綺麗。でもそれは、まだもう少し将来的な話であり、今はまだ可愛いの範囲内だろうか。
それにしても……楼王院麗華か……。
本当に『○○院麗華』だった事に驚きを隠せない。
堂々と名乗りを上げた彼女は、体育館でお嬢様が現れた時の最後尾に居た人で、一瞬目があった金髪の子だ。
今もその時と同じように手には扇子を持ち、もう片方にはお弁当を手にしている。どことなくゴージャスなオーラが絶えず漂っていた。
《金髪お嬢様・楼王院麗華様イメージ図》
「お隣、失礼しますわね?」
「えっ、あぁ……はい」
名前よりも聞きたいのが、どうしてこの場所に居るのか……という事。
俺が悪目立ちに近い形で外に出てしまったが故に、同じく外に出ようとする人も目立ったはずだ。『まさか、アイツを追い掛けて……』なんて噂が立ってもおかしくは無い。
その証拠に、俺達の学校の生徒も香華瑠の生徒もは見える範囲には居ない。居るのは、何故かまだ立ったままの楼王院麗華のみである。
(なんで座らな……はっ!? そうか!! もしかするとアレか?)
俺はポケットから折り畳んでいたハンカチを取り出し、ベンチに広げる。
俺の行動が正解と言わんばかりに、楼王院麗華は隣に腰掛けた。
「えー……体育館から出る際、目立ったのではありませんか?」
「さぁ? 私は他者の目をあまり気にしませんので」
「そ、そう……ですか。どうして外……いや、ここに?」
「貴方を追い掛けてきましたの。真っ先に外に出られたのがとても気になりまして。何かあるのでは? と私の感が囁きましたの」
一問一答……いや、二答くらい楼王院麗華は返してくれる。そのお陰でここに来た理由も把握出来たのだが、きっとガッカリさせてしまうだろう。
俺がここに来た理由は逃げてきたからであって、面白い事も何も在りはしないのだから。
「それより、この私が名乗ったのに名乗らないとは……如何なものかと。庶民の方の間では、初めて会う時のマナーがないのかしら?」
庶民という言葉。遠慮の無い物言い。だが、彼女は至って真面目なのだろう。
聞く人によっては嫌みに聞こえたり、不快感を覚える人も居る言葉の選択。
俺にはゲームで鍛えたお嬢様対応スキルがある。そのお陰で、お嬢様の言葉遣いでいちいち腹が立つ事は無い。むしろ、そう在ってくれた事に感動するし、感謝したいくらいだ。
俺達を庶民と思うのは、お嬢様にとって普通の価値観であり感覚である。だがそれを、庶民がどう思うかはまた別の話になる。
自分達を卑下する為に自らを庶民と呼ぶことは良くても、他人から庶民と称される事には寛容になれない。
圧倒的な格式か、心に余裕を持っている人ならば笑って済ませる事かもしれないが、何事もピンキリだ。言葉一つで事件に巻き込まれる事だって可能性が無い訳ではない。
(なるほど……そういう部分を教えてあげる為の交流会なんだろうな)
座っている時もベンチの背凭れに凭れないくらいにはちゃんとお嬢様だ。お嬢様の中のお嬢様だ。
――でも、まだ油断はできない。
千夏や楓ちゃんというサンプルもあるし、楼王院麗華にも何かあるのでは無いかと、警鐘が頭に響く。
今は交流会だし、教えられる事なら何でも教えてあげたい。そういった気持ちはあるのだが、逆にお嬢様……延いては楼王院麗華について知りたいかと聞かれれば、答えはノーとなる。
かなり良い理想と出会えたのに、それを崩したくない俺が居た。
(こういうお嬢様を相手にする場合は強気に出るのがセオリーだが……どうするかなぁ。セオリーを無視するのは信条に反するが、優しく応対して様子を見るか?)
強気なお嬢様に対する時は、弱い振りをしてもその先に展開は無い。強気なお嬢様には強気に応じ、反発しあいながらも認めあっていくのがよくあるゲームでの展開だ。
それをこのお嬢様にしても良いのだが……その理論が必ずしも当たるとは限らない。下手をすれば、ただ喧嘩になるだけだ。
出会ったばかりの今、別に喧嘩をしたい訳じゃない。それに、元々俺が気の強いタイプでもないから、人に強く当たろうとしてもぎこちなくなるだけだろう。
優しくする方が、まだ俺は気楽に接する事ができる。
改めて、尊敬した。いろんなキャラクター相手に対応できるゲーム主人公の偉大さを、ひしひしと感じた。
「ちょっと? 聞いていまして!?」
「あぁ、はい。思わずその綺麗な髪に見蕩れてしまい……申し訳ありません。俺は、北上椋一です」
「あらぁ? あらあらぁ~? よぉーくお分かりですコト! おーっほっほっほ」
高笑いしながら、上体を少し後ろに反らせる楼王院麗華。胸も態度もデカく、優しくするとすぐ喜ぶチョロさ……だが、笑っている顔は年相応にあどけなさを感じる。
自分の視線が一点に留まっている事に気付いて、俺は慌てて目線を横に逸らした。だが隣という距離だ、普通にバレてるかもしれない。
「……あら? 北上椋一、どうして前屈みになっていますの?」
「――――。いえ、気にしないでください。ホントに気にしないでくださいね」
不能ではなく可能。……そういう問題は早めに頭から消し去る必要がある。だが、もうしばらくは太股の上に肘を置いて背中を丸め、考える人を演出しておく必要がありそうだった。
千夏以外の同年代女子が近くにいる状況に、柄でもなく緊張しているのかもしれない。
楼王院麗華からフワッと運ばれてくる花の香りとか理想に近いし、高笑いも慣れれば悪くないと思い始めた。……ちょっと楼王院麗華にハマりそうな自分が居て、怖くなってきた。
「今はお弁当の時間でしたね。楼王院麗華さん、どうぞ食べてください」
「北上椋一、貴方は食ないのかしら?」
楼王院麗華が扇子とは別の手に持っていたお弁当。今は膝の上に乗っていて、話題を変えるには丁度良かった。
まさか楼王院麗華と一緒に食事を取るとは、夢にも思っていなかった。これもまた、運命的な事なのだろうな。
「俺は……これです」
良い感じに具合も落ち着き、上体を起こせるようになってから楼王院麗華にポケットから取り出した俺の昼飯を見せた。
ノアちゃんがかき集めてくれた、クッキーやビスケット類の詰め合わせ。
「まぁ! 庶民の方はお昼にお菓子を頂きますのね!? 初めて知りましたわっ」
「いや、そういう訳じゃないですよ!? お弁当はお腹空かせた子にあげまして……代わりにお菓子を頂いたんですよ」
「あら、そうでしたの。まるで童話やお伽噺みたいねですわねぇ」
「……ですね。さ、遠慮せずに食べてください。どうやら一般人の事を教えないといけないみたいですが……それはお昼の後でも大丈夫でしょうし、まずはお腹を満たしましょう」
俺はビスケットを袋から取り出しながら、楼王院麗華が弁当箱が入っている包みを解いていく様子を見ていた。
それは単純に、普段どういう弁当を食べているのかが気になったからである。
「あまり見ないでくださいまし。お弁当作りなど初めての事で……あまり上手くはいきませんでしたの」
「それは……えぇと、もしかして今日は各自で作るように学校から言われたんですか?」
「えぇ……よく分かりましたわね。普段は食堂でシェフの作るランチを頂くのですが、今日はお弁当という話でしたので……」
他のお嬢様も含め、みんなお弁当を持参していたのはそういう理由があったのか。
急遽決まった話だとかで、普段から料理をしている人以外はとんでもない事になっているのだと楼王院麗華は教えてくれた。……自分もその一人だと。
一応、今日一日の授業は調理室を解放して、先生によるお弁当作り講座をしていたらしいが、流石に数時間では厳しかったらししく、さっきまで自信に満ち溢れていた楼王院麗華も、今は少しだけ恥ずかしそうにしていた。
「慣れない事に挑戦していく姿は素晴らしいかと。誰でも、最初は初心者です! 例え下手でも笑いませんよ、俺は」
「北上椋一……。貴方、思っていたよりも素敵な殿方でしたのね。私とした事が、少し弱気になっていたみたいすわ!! おーっほっほっほ!」
「楼王院麗華さんは、それがよくお似合いです」
お弁当の包みとして使っている布の結び目を解き、二段になっている黒の重箱が姿を現す。お弁当にしては、少し大きい様な……。
良い値段がしそうなお弁当箱の蓋が、楼王院麗華の手でゆっくりと開かれていく。
中は――無惨な程、ぐちゃぐちゃになっていた。
お弁当作りで初心者がやってしまいそうな、配置ミス。もしくは、隙間の多さ。箱に入っているから油断してしまいがちだが、手で持って歩くだけでもお弁当箱は結構揺れるものだ。
その結果が、今の中身。俺も初心者の頃はよくやったミスで、だからこそ気持ちは少しばかり理解出来る。
「卵焼きと唐揚げとウインナーに野菜……一般的なお弁当を作ろうとしたのですね」
「その、つもりでしたのに……」
「言ったでしょう? 楼王院麗華さんはまだ初心者なのですから、大丈夫です。俺だって、最初はこうなりました」
「北上椋一もですの?」
「モチのロンですよ! 庶民はですね、失敗出来ることは何度も失敗しながら、成功を諦めずに挑戦していくんです。少し落ち込む気持ちは分かりますが、大丈夫です。大丈夫なんです」
楼王院麗華を励ます。心配だからとか、下心でとかではなく純粋に思った事を言っているだけだ。
料理を作っている経験者として、言えることを言っているだけ。
それを、楼王院麗華がどう受け取るのかは知らない。料理を諦めるも続けるも本人次第であり、そこまでの強制をするつもりは無い。
「そうですわよね。見た目は……アレですが、問題は味ですもの! 北上椋一、貴方に名誉ある仕事を申し付けますわ!」
「断ります」
「ま、まだ何も言ってないでしょう!? どうして断るのですかっ? 断るなんて……そんな事は財力を用いてでも許しませんわよ!!」
シンプルな脅迫であった。だが、思ったよりは精神面の回復は早いタイプみたいで助かった。落ち込んだままの女子に掛ける言葉は、残念ながら持ち合わせが少なかったところだ。
料理初心者の手料理。レシピ本のレシピ通りにつくってあるのなら安心できるが、弁当箱のチョイスが凄い人は、味付けのチョイスも凄いという持論がある。
大味な弁当箱を持ってきた楼王院麗華の料理の味付け、それもまた大味だろうと予想ができる。
名誉ある仕事で、死にたくはない。名誉を取って死を選ぶほど、俺はまだ成熟しきってないし、そもそもは楼王院麗華のお昼御飯だしな。
「おーっほっほっほ! さぁさぁ、私の手作りは世に一つしかありませんのよ? 遠慮などせずにお食べくださいませ」
「いや、高笑いされてもですね……」
誤魔化し方すらも、とても優雅な楼王院麗華さんだ。そして、俺の膝上にお弁当を置いて代わりにお菓子類をぶん取られてしまった。
……お嬢様の手料理を食べなかったら、何か大問題に発展したりするのかなぁ。
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