漆
更新が遅くなり気味ですね……最近暑いからですかね(´ω`)
では、よろしくお願いします!
今日も目覚めたこと、外の明るさに目を細められることにホッとしながら上体を起こす。
「いま何時だろ……たしか朝の診断が八時からだったな。うん、昨日の事もバッチリ覚えてる」
メモした事をメモ帳を見ずしてちゃんと覚えている。念のために確認しようか迷ったが、大丈夫だと、伸ばした手を引っ込めた。
昨日会った人達や思ったこと……とりあえず、新しい事を覚える脳の機能は損なわれなかったらしい。ちょっと安心だ。
「よしっ! 今日からリハビリ頑張るぞ!」
気合いを入れて、布団に潜る。きっと山神ナースが起こしに来てくれるだろうし、まだ眠気があるから眠っていたい。
――だが、俺の二度寝はシンプルに防がれた。
早起きしていたと思っていたのはどうやら気のせいらしく、もう起床時間なのか、ドアノックから一秒未満に山神ナースが部屋に入ってきた。
「入るわよ。おはよう北上君」
「……おはようございます。いま何時ですか?」
「もう七時半よ。本当はもっと早く起きて欲しいんだけど、先生が今は自然な流れに任せるって仰ってね」
「そうなんですね。……あれ? でも、ならどうしてですか?」
「北上君が起きるまで部屋で待ってる訳にもいかないでしょ? だから三〇分起きに見に来てるだけよ」
なるほど。あまりのタイミングの良さに、俺が起きると何か報せがいくシステムでも組んであるのかとも思ったが……アナログな確認の仕方なだけだった。
たしか昨日眠ったのが消灯時間後すぐで、もう七時三〇分ならだいぶ眠っていた事になる。
前の自分がどれくらい寝る人物だったのかは知らないが……流石に十時間も寝てなかったとは思う。高校生だったらしいし。
「えっと、八時からですよね?」
「あら! 記憶の調子は良さそうね?」
「あはは……まぁ、良さそうです」
記憶に調子の波があったら怖いんだが、本当にあるかもしれなくて……山神ナースの笑顔をどう捉えていいのか迷った。
自分が何を覚えているのか、定かじゃない。
自分が何を忘れているのか、定かじゃない。
今は思い出せないだけで見れば、触れれば、聞けば思い出すのかも定かじゃない。
とりあえず、昨日会った人達の事は見ても何も思い出せなかったけど……。
一晩経って、何をどうすれば良いのか余計に分からなくなってくる。落ち着いた思考がアレコレと考えて、全部を放り出したくなってくる。
何かひとつでも、これだけってものがあれば良いのに――そう思う。
「北上君、朝ごはん持ってくるけど食べれる?」
「えぇ、まぁ……アレですか?」
「胃が弱ってるんだからしばらくは諦めてね」
味は薄く、噛みごたえの無い流動食。あれは食事ではなくて、ただの補給の部類に入ると思っている。
仕方がないとはいえ、早く何かちゃんとした料理が食べたい。何を食べたいかと聞かれると困るけど……。
山神ナースが部屋を出て、十分後には朝食も済んだ。味気無い食事シーンに、山神ナースも居たのに会話一つ無く終わった。
「じゃ、行きましょうか診察に」
「まだちょっと早く無いですか? 十五分くらい」
「大丈夫大丈夫。北上君が最初の患者さんだから、少し早くても問題ないの。あと、トイレとか行っておきたいでしょ?」
病院側に問題がないなら、俺に拒む理由は無い。さっそく車椅子に移って山神ナースに押して貰う。
今日からリハビリも始まるし、はやく一人で歩き回れるくらいに回復したいものだ。じゃないと、しっかり者だったはずの北上椋一が、堕落した駄目人間になりそうだし。
「あっ……トイレは一人で行けますからね!」
「何の心配してるのかな、北上君?」
「あ、いえ、山神ナースなら付いてくるかも……と」
「まぁ……患者さんの怪我によっては排泄の世話もしますけどね」
看護婦さんも大変な仕事だと、こうしてお世話される側になると考えさせられる。自分の事ですら手一杯な俺には、難しい職種だ。
「お、お世話になってます……」
「一日でも早く良くなって退院しなさいね。それが一番なんだから」
「はいっ!」
トイレに立ち寄ってから、屋武先生の居る診察室へとやって来た。
昨日も来た部屋で、屋武先生の事もちゃんと覚えている。
「おはようございます椋一君。よく眠れましたか?」
「おはようございます。グッスリ眠れました」
「それは良かったです。とりあえず健康状態のチェックからさせて貰いますね」
眼球を覗かれ、口内を覗かれ、心音を聴かれてから体調の良し悪しを聞かれた。全体的にまだ弱っている事以外に特別おかしい部分は無いらしく、今日のところは問題無いそうだ。
「では、この後はお昼までリハビリを頑張ってください。それで、次は記憶の方ですが……」
「あ、はい。昨日の事ならバッチリですよ。この部屋に来たことも母親にあったことも覚えてます」
「そうですか。ですが、何かを忘れてしまった時、それを思い出す手段として日記を付ける事を推奨したく……あぁ、もちろん! それは自分用で提出しろという事ではないですけど」
「あ、それならやりました! 一応昨日の事は、部屋にあったメモ帳に書いてしまってあります!」
別に先生に対して隠し事する訳ではないが、お医者さんの言うとこを先んじてやってた優越感で言わなくて良い事を言った気がする……。
日記ならばまだしも、纏まりのないメモ書きを見られるのはちょっとばかし気恥ずかしい。
「そうですか、ならばそれは是非とも継続してください。とりあえず今日はこんなところで……何か異変があれば私でも山神クンにでも伝えてくださいね」
「はい。ありがとうございました!」
一礼して、診察室を出ていく。もちろん帰りも山神ナースに押して貰ってだ。
「山神さん。リハビリってこの後すぐですか?」
「このまま直接行っても良いけど……どうする? 部屋に戻る?」
「あー……いえ、このままで大丈夫です」
部屋に戻っても持ち物は特に無い。ただ、屋武先生の言っていた「何かを忘れた時……」の部分がちょっとだけ気になって、メモ帳を見に行くか迷っただけである。
たしかに、と思った。自分が何かを忘れてしまった時、その何かが分からない以前に何を忘れてしまったのかすら考えようも無い。それは、身に染みて分かっている。
俺は、たまたま自分の事を思い出せないでいたから何かを忘れていると考えが至った。それはある意味、不幸中の幸い的な事だ。一〇〇の俺が九九の俺になったとして、それに気付けるかどうか……たぶん難しい。おそらく難しいと思う。だから、一〇〇になるにはキッカケが必要になる。
昨日何したか、何を言ったか、何を発信したかのデータ。もちろん、人は昨日より何かを覚えて一〇〇を越えてプラスになる事もあるだろう。けれど、完全記憶能力でも無い限り何かを忘れてマイナスになる事もあるはずだ。
より大事な記憶を残して、自分を形成していくのが普通の営みだと思う。
そういう意味では、今の俺は……普通では無いのかもしれない。昨日の俺を何一つ失わないで明日を目指している。何かを忘れる事に対して過敏になっているのが自分でも分かる。
だからこそメモを取ったのだ。昨日の事を書き連ねたメモ帳を見れば、失わないで済むと思って。
「……あ、やっぱりごめんなさい。一度部屋に寄って貰って良いですか?」
「そんな畏まらなくて良いわよ? 別にそのくらいなら迷惑にもならないし」
「ありがとうございます」
メモを取りに部屋まで戻った――そこで俺は、自分の怪我の副次的な病を知ることになった。
◇◇
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