⑥
よろしくお願いします!
「御待ちしておりました。私、香華瑠女学園で教頭を勤めさせて頂いております山吹と申します。今日はお互いに、実りのある交流会として参りましょう」
眼鏡を掛け、シワひとつ無いピシッとした女性用スーツに身を包んだ厳かな雰囲気の先生が現れた。きっと、生徒達に恐れられつつも、頼られるタイプの先生なのだろう。
俺達の先生も一言挨拶を交わして、山吹教頭の先導で俺達は敷地内を進んで行った。
「おぉ……全てが綺麗だ」
「ちょっと、あんまりキョロキョロしないでよね?」
都会に初めて出た田舎者みたいに、辺りをキョロキョロと見渡してしまう。綺麗な校舎や遠くに見える花が咲いている洋風庭園……それだけでも、最低限設備しか無い俺達の学校との差が垣間見えてしまう。
校舎の窓に香華瑠の生徒が歩いている姿を見付け、歩き方一つ取っても、やはり違うのだと思い知らされていく。
「……ヤバい。ちょ、トイレ行ってくる……」
「は、はぁ? もう体育館に向かってるのよ!」
緊張からか、そろそろ限界が近くなっていた。
隣に居る千夏に声を掛けたが、その反応は微妙で「我慢しなさい」と目が訴えていた。
「いや、ほら、向こうの教頭先生が何か説明しながら行ってるし……少しくらいなら時間もあるだろ?」
「……遅れても知らないからね? 弁当持っとこうか?」
「いや、大丈夫だ。すぐ戻る」
トイレの場所は分からないが、この広い敷地な訳だからある程度の間隔で置いてあると信じて俺は動き出した。
列から飛び出してもほとんどの生徒に気付かれなかったのは、俺達が最後尾付近に居たからである。一番後ろに居る先生への説明は千夏に任せ、俺は直感を信じてに洋風庭園のある方へと静かに走り出した。
――結果から言うと、まだ漏らしてはいない。だが、トイレも見付かっていない。
間違いなく漏らすまでの限界は近付いていた。
「くっ……そうだよな。女学園だもんな、基本は女性専用だよな!」
予想通りに近くにトイレを見付けられたのだが、そこに男性用マークは無かった。印してあったのは女性用マークだけだ。
女子高とはいえ、男性教諭も居るだろう。ならば、きっとトイレは端の方だと予想を立てて来たのだが……俺は賭けに負けたらしい。
漏らすまでの猶予はギリギリあるが……このまま体育館に入ると、いろいろと決壊する自信がある。つまりは、マジヤバイって事だ。
「もう戻らないとヤバイのにぃぃぃ!!」
急いで別の場所へ向かう為に方向転換して、足を踏み出した――その瞬間だった。
ぐぅ~~~。
とてもお嬢様学校では聞こえて来ないだろう音が、耳に届いた。
近くから聞こえたその音源を探して辺りを見渡すと、噴水の裏にあったベンチの上にその音のヌシを確認できた。
女の子が一人、横長のベンチにグッタリと横たわっていた。
「うぅ……うぅ……」
何か呻いている様子で気になるが、俺も俺で自分がピンチな状況なのだ。手を貸す事は難しい。
「お腹……空いたっすよー……むむっ? 何か食べ物の匂いがするっすね!?」
仰向けに寝ていた、ロングでもショートでもない中間の長さの髪をした女の子がバッと起き上がり、すぐ近くに居た俺と視線が合う。そしてその視線はどんどん下がり、お弁当を持っている手で止まった。
「男子が居ることよりも、飯なのか?」
「あはは、自分は成り上がり組っすからね! モノホンじゃねーんですよ」
「うん。とても残念な話だな。出来ればそんな裏事情は聞きたく無かった」
会話をしていても、このお嬢様の視線が俺の弁当からは離れない。心做しか、口元から涎が垂れ始めている様にも見える。
同年代だと、相対した時の微妙な空気感で自分より学年が上か下かがなんとなく分かる事がある。このお嬢様は、なんだか下っぽい気がした。語尾がそう思わせるのかもしれない。
だが、楓ちゃんという例外を知ってから、そのセンサーを信じきれなくなっている自分が居るのも事実。聞いてみるのが早いかもしれないな。
「っと、その前に……ちょっと、男子トイレの場所を教えて欲しいのだが……」
しかし、何をするにしても今は尿意との戦いが優先だ。
ここに来るまでも、何故か人の気配が無かったし……このお嬢様と出会えた事は、ある意味幸運だったのかもしれない。
「オシエテアゲテモイイッスヨー」
あからさまなカタコト。とても意地悪な目が俺を捕らえている。
「……背に腹は、か。冷凍食品がほとんどだし口に合うかは分からんぞ」
「やったっす! 男子トイレは遠いので、そこのトイレ使って良いっすよ。自分が見張っててあげるっす」
――なるほど。女子トイレ、とな。……ゴクリ。
女子トイレに入って社会的に死ぬリスクを背負うのと、シンプルに漏らして社会的に死ぬという二択が目の前にある訳だな。
(よし、入るか女子トイレに!)
「おぉ~、躊躇わないその姿勢……尊敬するっすよ!」
「フッ……。あの、本当に誰も来ないよね? 出た瞬間を見られたりしたら死ぬからね?」
念を押しつつ、さっきの女子トイレへと近付いていった。堂々と歩いて行ったのだが……やはりいざ入る瞬間となると、おずおずとビビりながらになってしまう。
トイレの中は個室が二つあり、扉が開いた状態で人が居ない事が確認できた。壁も手荒い場も真っ白で、学校の外にあるトイレとは思えない程の清潔感がある。
「ふぅ……ギリギリぃ~~」
スッキリとして手を洗い、前髪をちょっと気にしてから外に出た。ちゃんと見張っててくれたのか、トイレから女の子と目が合った。
お陰で危なげなく用を足せたのだが、何だかイケナイ事をしているみたいな気になってくる。
「助かったわ」
「うぃっす。あのですね、今日のこの時間は他校の生徒が来るから、生徒は立ち入り禁止になってたのを忘れてたっす」
「そうかそうか……ほほぉ。美味かったか、弁当は?」
「美味かったっすぅ~。懐かしい味にちょっと泣きそうっすよ」
もう既に半分以上が食べられている俺の弁当。もう、全てくれてやろうと諦めがついた瞬間だった。
「折角だし自己紹介でもしとく……か? 俺は北上椋一、交流会に来た二年だ」
「知ってましたがパイセンっすね。自分は一年の白角愛理っす! 気軽にノアちゃんとでも呼んでください」
「ノアちゃんだな、分かった」
自ら呼び方を指定してくるタイプは珍しいんじゃないだろうか。普通は仲良くなってから、呼ぶ側が何となくで決めたりするものだと思う。
だけど、それはそれとして呼んでくれと言うのなら呼ばない理由は特に無い。それに歳下と言うことなら、精神的にも余裕が出るから緊張もあまりしないし。
「…………ほわぁ~っす」
「ど、どうしたの?」
「い、いえ! この学校では『パイセン』呼びしたら怒られるっす、気軽に『ちゃん』付けもして貰えないので……新鮮なんすよ」
お嬢様学校として、生徒一人ひとりがマナーや礼節を重んじているのだろう。
お嬢様として生まれ育った人なら当然の事だろうが、さっき言っていた『成り上がり』組……ノアちゃんみたいなタイプもおそらくは一定数が居るのだろう。
そのタイプのお嬢様からすると、この学校を少し窮屈に感じているのかもしれない。
美味しい物は食べれるし、良い服も着れるのだろうが、たまにはそんな生活を崩したいと思ったりするのだろう。
白角愛理十五歳――ギャップ『庶民派系後輩お嬢様』
「それはまぁ、お嬢様の責務として頑張るんだな」
「パイセンくらい厳しい事は言わないで欲しいっすよ……」
「まぁ俺は……お嬢様はお嬢様で在って欲しいと願っている側だからな」
少し話し込んでしまったが、そろそろ戻らないといけない。
歩くペースから考えても、そろそろ体育館に入っていてもおかしくないぐらいになっている。
遅刻なんてしたら双方に迷惑が掛かるだろうし、とりあえず急がなければ。
「ノアちゃんよ! 後で取りに来るから、その弁当箱はここに置いといて。あと、体育館の方向だけ教えてくれっ」
「……取りに来るっすか? 了解っす! 体育館はアッチっすね」
ノアちゃんが指差す方へ、俺は走り出した。大きい建物だし、見失うこと無く一直線に向かっていった。
体育館に着いた時、まさに最後の生徒が入ろうとしていた所でギリギリで合流する事が出来た。
ここに到着するまでに失った物は大きいが、守れた物とは比べられないだろう。
千夏の横に戻り、先生達に促されるまま女学園側で準備していた椅子に次々と座っていった。
「ほら、やっぱりギリギリじゃない」
「間に合ったんだからセーフだろ? 男子トイレが……なかなか見付からなくってな」
「なによ今の微妙な間は。ん? 椋一、アンタ弁当は!?」
「フッ……迷える子猫ちゃんにな。腹が減ったらお嬢様との会話もままならないが、背に腹は変えられない」
「はいぃ? 何を言ってんの?」
千夏から冷めた目で見られたので、途中で止めておいた。
そのまま千夏と反対側を見て、空席になっている椅子の数を数えてみた。
その数がつまり、女学園側の二年生の生徒数となるのだろう。椅子の数からすると、俺達の半分どころか三分の一くらいだ。
もう来るとは思うのだが……主役は後からというこの学園の校長から俺達へ、粋な計らいなのだろうな。たぶん。
「おい、あれ……」
誰かが上げた声に話し声は消え、静寂が訪れる。どんどん近付いてくる足音に、視線が誘導される。
(……来た。あれが、お嬢様!)
俺達が入って来た入口とは別の出入口から、香華瑠女学園の生徒達が体育館へと入って来た。二人ずつ列になり、一礼してから入ってくる。
――その佇まいに目を奪われる。
お嬢様達の背筋がピンと伸びた歩く姿、艶のある髪やシワ一つ無い制服から上品で清楚さを感じる。
この後にお昼タイムに入るからか、皆一様に手提げバッグを腕に掛けていた。
高嶺の花と言える存在が次々と現れ、見た目の格の違いを見せ付けられる。なんか……自分を卑下してしまいそうになるな。
――その中でも特に目立つ存在が居た。最初に体育館に入って来た黒髪の女子生徒。
おそらく、先頭に立っていたあの生徒に見惚れた男子は多いに違いない。俺も、その一人だ。
前だけを真っ直ぐ見ている大きな瞳。艶のある黒髪や焼けていない綺麗な肌。遠くから見ても、モデルや女優さんと言われて納得できるレベルの容姿をしていた。気軽に触れてはいけないという雰囲気さえ漂っている。
これぞお嬢様。これぞ、清楚系お嬢様代表……という存在に目を奪われる。
(喫茶店に客としてでも来てくれれば、それだけでかなりの集客力がありそうだなぁ)
……頭の中ですぐお金の勘定してしまう。
もう後ろ姿になってしまったが、それでも存在感は人一倍放っている。
「椋一?」
「お、おう!? 集客力があるとか考えてナイヨ?」
「あーはいはい。よく分からないけど、アンタああいう分かりやすい子が好きだもんね……どうせ、あの最後の子でしょ?」
「は?」
千夏が検討違いな事を言い出した。
俺のギャルゲー論を一番……というか千夏しか聞かせていないが、詳しく知っている奴ならば先頭の子と言うべき所だ。
それなのに千夏は、最後の子と言った。先頭に立つお嬢様よりもお嬢様をしている子が居るとでも言うのだろうか。
俺は……流れていくお嬢様の列の最後尾に視線を向けた。
――結果から言うと、居た。これぞお嬢様。これぞ、お金持ちお嬢様という金髪縦ロールが。
まるで『◯◯院麗華』みたいな名前が付いていそうな、これぞという見た目をしている。
一人だけ扇子を口元に当てている。実際には聞こえて来ないが「おーっほっほっほっ」とでも笑っているかの様だった。
まるで、レッドカーペットの上を歩くかの如く、体育館を移動していた。一人だけとても優雅である。
(――くっ。でも千夏の言う通り嫌いじゃない。……って、ヤバい。なんか目が合った気がするんだが)
他の男子生徒が先頭の黒髪の子を目で追っている最中、俺は千夏のせいで金髪の子から目が離せなくなっていた。
視線が重なった瞬間、なるべく急いで視線を戻したから実際に目が合っていたのはほんの数秒のはずなのだが……金髪のお嬢様からの圧を、継続して感じている。プレッシャーが凄い。
「おい、千夏のせいで金髪お嬢様と目が合ったじゃないか」
「はいはい、自意識過剰も程々にするのよ? 勘違い男ってのは、それを見ている周りの人すら居たたまれなくするんだから」
「ほーん? やけに説得力あるけど、勘違い男の知り合いとか居るの?」
「……身近にねっ!」
いつの間に俺以外で千夏に身近と言わせる男友達が出来たのだろうか……。
俺がギャルゲーで「コイツ俺の事好きすぎだろぉ」と盛り上がっている最中も、千夏は千夏で現実の交遊関係を広げていたらしい。
全く嫉妬しないと言えば嘘になるが、それは俺が家でダラダラしている時に千夏が頑張って作った友達である訳で……嫉妬はお門違いってやつだろう。
「そうか……どんな人かは知らないが、暴力は振るわない様にしろよ? 俺は慣れてるから良いけど、普通の相手なら幻滅されるぞ?」
「はぁ……。アンタはいつも思考が斜め上で、たまに理解が追い付かないのよね。とりあえずアンタを殴れるなら、アタシはそれで良いって感じ」
深い深い、とても深い溜め息を千夏が吐いている。こういう時は下手に触れない方が良い。経験的には。
俺と千夏のお喋りが終わる頃には、香華瑠の生徒も椅子に座って待機の状態に入った。
そろそろ交流会が始まりそうな雰囲気が体育館中を伝播していく。マナーのある香華瑠の生徒は静かに待機しているのだが、俺達側の生徒からは、ひそひそ話が所々で交わされていた。
香華瑠女学園の生徒が座ってから約一分、壇上に先程の教頭先生がより厳かな雰囲気を纏って現れた。
「皆様、ご起立下さい」
その言葉に従って、全生徒、全教師が立ち上がった。
立ち上がる時に出てしまう雑音。人数うんぬんの問題ではなく、香華瑠の生徒側から聞こえてくる音は極小だった。
小さな部分でも、分かってしまう育ちの良さ。気にしても仕方ないのだろうけど、やはり際立って見えてしまう。
「それでは、各校や生徒個人の見識を広げる為の学校行事『交流会』を今年も始めたいと思います。礼」
一気に場が静まり返った所で全体を代表して交流会の始まりを宣言した。
一同が深々と礼をする。合図に従って着席すると、そのまま教頭先生が交流会について話し始めた。
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