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エンドサナトリウム  作者: 八百万 円
9/14

ウォータープルーフ


 強弱も歩幅もバラバラの優柔不断な足音が、近づいたり離れたりを繰り返した末に、ようやく止まる。

 オレは首を傾け、ほとんど仰向けみたいになりながら、右斜め後ろ辺りを振り向いた。


「おい、だるまさんが転んだでも仕掛けてんのか? オレにそのテの遊びはハンデがデカ過ぎんだろ」

「っ…………タイヤついてるんだから、楽勝じゃないの?」

「楽勝? わかってねぇな、グレーテル」


 誰何の声にビクつきながらも、木の幹から顔だけ覗かせてこちらの様子を窺うのは、予想通りの人物だった。

 その様が、不覚にも人間と目が合ってしまったビビリなリスそっくりで、捕まえて頬擦りしてやりたいが、そのあとで力加減ができずに握り潰してしまいそうな気がした。


「確かに直進なら負けねーよ。そんかわり、方向転換と小回りは絶望的だぜ? いっそオレ用にまっすぐ鬼とか開発してくれたら、遊び相手になってやってもいいけどな」

「べつに遊んで欲しいなんて言ってないけど、まっすぐ鬼? なにそれ。どんな遊びよ」

「そうだな……カーブ禁止で、方向転換はアリな。昔あったゲームみたいに……こう十字キーで方向決めてから、別のボタン押し続けただけ決めた方向に真っ直ぐ進む感じで」

「アタシ、ゲーム機触ったことない」

「は? なんだよ、超分かりやすい説明だったのに知ららねーとか」

「悪かったわね。ていうか、それって……?」

「それ? あぁ、コレか?」


 コントローラーに見立て、頭上に伸ばした両手で握っていた円盤を片手に持ち変えて、8の字を描くようにひらひらと振る。

 この動き……果たしてグレーテルにわかるかどうか。

 アレだぞ、アレ。


「もしかして……」

「もしかして、そうだ。本物は初めて見たか? 見ての通り……」


 赤い糸が宙を舞う。

 これがいっそ羽ならなお良かっただろう。


「ジュリアナ扇子的手捌きな」

「ジュリ、アナ? なにそれ……穴? なんの?」

「なんの穴かって? ……まあ、時代の落とし穴でできた産物みたいなもんだわな」

「……そうなの?」

「そうだ。ま、知るわけないか。お望みとあらば、今度じっっっくり教えてやるよ」

「……自分で調べるからいい」

「さっすが用心深いねえ。……それじゃあ、やり直し、な。こいつぁ、見ての通り……」


 しかし、本当に子供の遊びに興じているようだ。

 前に向き直ると、途端に気配が近づいてくる。 

 それに向けて振り向かないまま円盤を差し出した。


「ししゅう枠だな」

「え……おばあ、ちゃん?」

「おい、誰がおばあちゃんだコラ」

「あ、そっか。おじいちゃんだ」

「そうそう、性別的にそっちが正解……っておい、そうじゃねえだろ」

「だって、だいたい本の中じゃ、刺繍なんておばあちゃんしかやってないもん」


 オレの完璧なノリツッコミをスルーして、グレーテルが偏見を披露する。

 とはいえ、そんなものより興味の方が彼女の警戒心に勝っているのは、確かめるまでもない。

 なぜならもう、オレとの距離は伸ばした腕ほどしかなくなっている。


「案外、暇潰しには悪くねえんだよ。言葉の響きも悪くないしな」

「ししゅう……どこが? ちょっと見せて」


 真後ろに立たれた気配がして、伸びてきた手が枠を掴む。

 すると、これはオレの自意識過剰でもなんでもない、何の衒いもない感嘆の声が上がった。


「凄い、上手! ……だけど……コレ、人形?」

「惜しいが不正解。タイトルは『死体、もしくは腐った人形』な」

「あー……『ししゅう』って、そういうことなわけ」

「今にも漂ってきそうだろ」

「下らな……。いっそポエムも作ったら?」

「詩集? いいね、お前もなかなかハイセンスじゃねーの。なあ、お姫様っ!」

「あっ……」


 枠を受け取るふりで、彼女のフリルで飾られた手首を掴まえる。

 そのまはま膝の上へと引きずり出せば、少女はたったそれだけで耳からうなじまで真っ赤に染めて、捕まった虫みたいにじたばたと暴れた。


 新品のローファーが車椅子のタイヤを蹴飛ばして、タータンチェックのスカートの裾が捲れる。

 とんだじゃじゃ馬だ。

 オレは彼女の背中に両肘を付き、上半身の体重を乗せて押さえ込んだ。


「おい、落ち着けって。綺麗なおべべが台無しになんぞ」

「うっさい! これは、仕方なくよ! 起きたら私の靴はないし、靴下もない。あの格好でこれを履くのもおかしいし、絶対変だけど、鏡だって無かったんだから、仕方ないでしょ!」

「へいへい。オレ、何も言ってねぇだろ? 落ち着けって。じゃねーと、手足毟っちまうぞ」

「は? はなしてっ」

「あー、いや違ったわ。おら、そんな恥ずかしがんねーでも似合ってるって。つうか似合わないわけねーだろ、オレが見立てたんだからな」

「……は? ……嘘でしょ」

「ウソ吐く意味がわかんねえ。まあ、頼んできたのと金出したのは兄さんだけどな」


 どうにか大人しくなった少女の上から退くと、今度は不審もあらわな目を向けられる。

 だが、薄く染まった頬は満更でもないようにも見えた。


「なんで……」

「その『なんで』って、どれに対してのだ?」

「……全部よ。理由が不明なことが多すぎる」

「可愛かったから」

「は、ハァ?」

「そのブラウスにした理由な。スカートの長さは、それが一番ソソられる長さだから」

「……っ」

「下着は、言わずもがなってやつ」

「そんなこと! 聞いてないっ」

「ま、そうだろうな」

「なんで、そうやってふざけてばっかり! ちゃんと答えてよ」

「あのな『なんで』の一言で、全部に答えが返ってくるわけねーだろ。どんな販売機だよ。ボタン一つであったか〜い、からつめた〜いまで出してたら大赤字じゃねーか」

「うるさい!」


 まるで毛を逆立てた猫だ。

 これはこれで面白いが、このままじゃ話が通じない。


「そんなの最高じゃない! 大赤字? 知ったこっちゃ無いわよ! こんなに訳のわかんない目にあってるんだから、誰かがいっぺんに明確に答えをくれたって、バチは当たんないと思うわっ」

「シャアシャア言うなって。ほら、ちょっと来い。おぐしが乱れ放題だっての」


 一気にまくし立て、乳臭いガキみたいにイヤイヤと頭を振り乱す少女を今一度引き寄せて、みだれ髪に手櫛を通す。

 湿った感触に鼻をつけると、石鹸の匂いがした。

 じと、と潤んだ目に睨まれる。

 だが、抵抗はされなかった。


 となれば……


 ……ちゅ。


「は……」

「油断大敵だぜ? やわっこいな。流石ガキんちょ」

 ……ちゅっ。

「止め、この、色ボケ」

「ふはっ、いいぜ。それだよ、それ」

 ……ちゅ、ちゅっ。

「やめろって、ば!」

「言っても抵抗しないのな。なに、車椅子に気ぃ使ってんの? これ、ビョーキ関係ないぜ」

「そんなこと言って、突き飛ばして倒れたら、自力で戻れるわけ?」

「お、戻してくれるわけ? へぇ、さっきは滅茶苦茶に暴れたのに、どういう風の吹き回しだ? お前、倒れた自転車見かけたら直さずにはいられないタイプだろ」

「風のない日だけよ、そんなのは!」

「お優しいことで。しかしなぁ、優しいのはいいけどさ、お前、あんな風に据え膳はガツガツ食うし、シャワーも浴びて着替えたんだろ? 相手の思惑通りだって少しは思わねーの? 優しさ発揮してる場合かよ、マジで。心配になるわ」


 柔らかくてしょっぱい頬を食む。

 すると即座に頭突きを食らって、思わず笑い声が漏れた。


「だったら、何か盛ったってワケ? アタシ、聞こえてたんだけど。眠っちゃう、直前の会話」

「会話? あー、アレな」



 カシャン……。

 と、食器が音を立てるのが聞こえて、窓の外を見ていた目を向ける。

 すると、無言のまま、姉弟がテーブルの上に倒れ伏しているのが見えた。

 背中が一定の間隔で上下していたので、眠っているのだとわかる。

 二人とも、飢えて、疲れきった子供だ。

 満腹になって睡魔に襲われるのも、ありえないことじゃない。

 だが、どこかそこはかとない違和感を感じて、オレは兄さんに聞いた。


『もしかして、なんか飲ませたか?』

『そう思うのか?』

『まあ、そうだな、ベラドンナあたり』

『それならば、少し、この異常な現状を受け入れやすくしてやれただろうな』

『本気かよ』

『さあな。毒入り紅茶よりはプラシーボの方がよほど安全で効果があるかもしれないが』


 否でも応でもない、なにも明確にはしない答えだった。

 兄さんはそれきり口をつぐんで、順に姉弟を用意しておいた部屋へと運んだ。

 かくいうオレは、テーブルの上の片付けを命じられて……。


 まさかあの状況で、会話を聞かれていたとは驚きだ。


「プラシーボって、偽物の薬ってことでしょ」

「あ? ああ、まあそれは正解」

 ……ちゅ。

「うっとーしいってば!」

「くくっ、だーいじょうぶだって、感染るビョーキでもねーし」

「……じゃあ、どんな病気なのよ。アンタここの患者なの?」

「患者? うーん、まあそんなとこか。お前ここ入るとき、見たか? 病院の名前」

「え……確か、終末療養所って」

「エンド・サナトリウム」

「エンド?」

「そ。エンド、又は死病な」

「シビョウ?」


 オレの手を引き剥がして、少女が一歩退く。

 その顔は、踏み込むことに気が咎めるのか、なんだか少し気まずそうだ。


「不治の病……ってこと? ここは、ホスピスみたいなものなの?」

「似て非なる、だな。確かに不治の病だし、死を待つ場所かもしれねーけど、それでも死ねないって事実を患ってんのが、ここの患者だな」

「死ねないを、患う?」

「あぁ。死ねないし、死なない奴が集められてんだよ。ここにはな」

「集めるって、他にもいるの?」

「患者か? 居るぜ、わりと。まあ狂ってるから大概閉じ込めてるけどな」

「そんなこと、していいわけ? そもそも、なんで、狂ったりなんて」

「死ねなくても体は腐るからな。不老不死なんて無いって嫌でも実感させられたら、狂いたくもなるわな。だからここ以外じゃ精神病棟に放り込まれるか、彷徨ってホームレスか、そんなとこ。だから閉じ込められてるほうが良い、とは言わねーけど」

「なにそれ、どういうこと……? 腐ったまま生きてるなんて、ゾンビじゃない。ふざけないで!」

「おぉ、ゾンビ! 言われてみればそうだな……ウケる」

「揶揄うのも大概にしてよ!」

「いやいや、お前が面白いこと言って脱線させたんだろ」

「っ…………ああぁもうっ」


 オレがふざけていないのがわかったからか、それが気に食わないのか、グレーテルは苛ついた様子で髪を掻き乱した。

 そして足音も高らかに傍の倒木まで移動すると、どさ、と腰掛け、そのまま何か考えるように俯いてしまう。

 

 オレはその旋毛あたりに、話しかけた。

 

「なぁ、お前なんでオレの所に来たんだ? あの様子じゃ、いの一番に弟のこと、捜しに行くかと思ったけどな」

「……アタシだって、迷ったわよ。でも、多分一緒にいるのは先生でしょ」

「先生、ね。兄さんてば信頼厚いのな」

「通りすがりの他人よりは信用してる」

「それのどこが信用してんだ? つうか、だったらなんでこっち来たんだよ」

「……アンタに、先に聞いておこうと思ったから」

「なにを? つうかなんで?」

「ここの話とか、聞けることはなんでも。先生と弟の話と、比べるために」

「あー、なるほど。頭っから兄さんと弟の話を信じないようにってことか。本当は、誰も信じてないってわけだ」

「勘違いしないでよね。弟のためならなんでもするって決めてるだけ」

「へぇ?」


 そう言って顔を上げたグレーテルは、実年齢より随分と上に見えた。

 ……あれ、実年齢?


「なぁなぁ、お前幾つ?」

「は? なんなの、17だけど」

「若いじゃん。そのわりに、頭使ってて偉いじゃねーの」

「馬鹿にされてるのか褒められてるのかわかんないけど、答えたんだから、そっちも答えてよ」

「知ってることならな」

「先生は、弟をここへ呼んだみたいな口振りだったけど、どうして? なんのために?」

「呼んだのは本当だな。理由は想像はつくが、何も聞かされてない。オレと兄さんって、こう見えて全然信頼関係ないからな」

「それはなんとなく、見ればわかる」

「ま、確かなのは、ここに住人が一人増えるって言われたことくらいだな」

「……そう」


 もう一度俯いて、グレーテルがじっと地面を見つめる。

 そうして、どのくらいが経ったのか……。

 手元の刺繍を再開して、人形の腹部から飛び出した大腸後半から数センチ進み、直腸へ差し掛かった頃、彼女は顔を上げて言った。


「もう少し聞いてもいい?」

「知ってることならな」

「アンタはどうして腐ってないの?」

「腐ってないって、どうしてそう思うんだ?」

「普通に触れたし、腐った臭いもしない。だったら、なんで? さっきの話のどこが嘘?」

「決めつけるなよ。オレ、昔から嘘は好きじゃない。だから『その方法がある』とだけ言っておく」

「…………あとは自分で考えろってこと」

「そうそう。脳味噌はある内に使っとけ」

「わかったわよ。…………ねぇ」

「なんだよ。そろそろ行くんじゃねーの?」


 立ち上がったグレーテルが、なぜか歩き出さずに逡巡した様子でオレを見る。

 そして何を言うのかと思えば、他愛のないことで……。


「鏡、持ってない?」

「は? 鏡? あのな、こんなに美しくても、オレは男だぞ?」

「ナルシストなら持ってるかと思った……」

「誰が自分の姿に惚れた絶世の美少年だよ」

「覗き込んだ水面に映った自分に、だっけ」

「死に方は諸説あったっけな」


 ギリシャ神話のナルシズムの語源になった美少年ナルキッソスは、経緯は省くが水面に映る自分に一目惚れして、そのまま身動きもとれずにやせ細って死んだとか、キスしようとして泉に落ちてそのまま溺死したとも言われている。

 それで後には水仙の花が咲いていたなんて話のせいで、水仙はナルシスと呼ばれる羽目になったのだ。


「おい、何してんだ。水仙なら、そこには咲いてないぞ」

「わかってる。ちょっと、鏡の代わりにするだけ」

「一応言っとくが、足滑らせて落っこちたら凍死するからな。見ての通りオレは泳げねーし、沈んでる奴らの仲間入りしたくなかったら気をつけろよ」

「え……きゃっ」


 しゃがみ込み、水面を覗き込んでいたグレーテルが、短く悲鳴を上げる。

 たが、立ち上がってゆっくりとオレを振り返ったときには、そんなことは初めから無かったかのように、目を吊り上げていた。


「ここは難波の川か!」

「サンダースと太郎、安らかに沈んでたか?」

「悪趣味!」

「そうだろ? その名もマネキン池だしな」

「最悪ね!」


 そう言い残し、グレーテルは早足で病棟の方へと走っていった。

 向きを変え、姿が見えなくなるまで見送ると、地響きに似た微かな機械音が、池の方から聞こえてくる。


「今時の化粧品の防水加工って凄いのな」


 次はファストフード店のキャラクターにでも化けさせようか。

 とはいえ、なるべく次が、色白であればの話だ。

 もしも剥がれたときに『色黒のマネキンだ』と言い訳するのは、少し苦しい気がする。


「次の買い出しには、おしろい頼むかな」


 その前に今は、しばし直腸の刺繍を完成させることに集中するとしよう。

 完成品をグレーテルにプレゼントだと言って渡したら、どんな顔をするだろうか……。


 考えただけで、作業は驚くほど捗るのだった。

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