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エンドサナトリウム  作者: 八百万 円
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むらさき


「こんな場所で貴男みたいな人に需要があるとは思えないんですけど、狸でも相手に接待してらっしゃるんですか?」

 

 俺を自分のうしろに押し退けて、姉さんが車椅子の男を威嚇する。

 その庇って出された手をやんわり押し下げて、隣に立って様子を伺い見ると、道端の汚物でも見るような姉さんの横顔があった。


「きゃー辛辣ぅ。いいね。オレ、そういうの好きだぜ」

「……は? 気持ち悪いんですけど」

「直球いいね。もっと投げてきな」

「ドMかよ」

「姉さんそれ以上は」

 

 変態の火に油だ。

 姉さんの罵倒に、恍惚の表情で身震いする男に、殺意に似たものを覚える。

 ……できることなら今すぐにでもコイツを殴り倒して、姉さんを連れて帰ってしまいたかった。


「いいじゃん、お姉ちゃんグレーテル、オレ好みだし。サービスするぜ? もっとこっち来なって」

「行くわけない」

「行かせるわけがない」

「おお、ナイスシンクロ。いっそニ人まとめて来いよ」

「…………」

「……頭丸めて出直せば?」

「ええ〜、オレ守備範囲地の果てだからなー。どんな頭髪でも全力で愛せちゃうし、意味ないかもなー」


 態度以上に軽そうだが、豊かな金髪をかきあげて、男が流し目を寄越す。

 出家を促してはみたものの、檀家さんまで誑かそうとする画が容易に想像できて後悔した。


 ……ほんとうに、見れば見るほど、百害あって一利なしとしか思えない男だ。

 

 女受けしそうな甘ったるい顔立ちに、両耳にズラリと並んだピアス、

 着て往来を歩けば正気を疑われそうな、黒地で胸元に赤い薔薇の刺繍が施されたド派手なスーツ、

 足元は爪先の尖った、甲虫みたいな光沢の靴

 ……印象操作なら上出来だが、自分がどう見えるのかを自覚していないのなら、ただの無謀か大馬鹿だ。

 

 男はその格好で、自走式、リムのついた車椅子に両足と体を縛り付けられた状態で座っていた。

 ……座らされていた、の方が正しいのかもしれない。

 なにせ両足はそれぞれ左右のフットレストに包帯でぐるぐる巻きにされ、体は腰のあたりが背凭れに、同じく包帯で縛り付けられていたから。

 とはいえ、聞いて確かめる気はおきなかった。


「なんだ。オレのこと、気になってんの?」


 俺の視線に気が付いて、男が指先で手摺を叩いて挑発的に笑う。

 これは視線に慣れているどころではない。

 絶対にわざとだ。

 きっと、車椅子が本当に必要かどうかは、男には関係ない。こうして、人を釣るのに利用しているのだ。


「それをやった方の人間がね」

「そっちか。兄さん大人気な。世の中Sの需要が高まってんの?」

「兄さん?」

「そ。束縛系兄に顎で使われてんのよオレ。物理的にも精神的にも縛られてんの」

「それも趣味? いたいけな少年少女の前で特殊性癖晒すの。呆れる」

「あぁ、言われてみれば。見られてるのとそうじゃないのって、雲泥の差があるな。ほら、旦那に亡くなった奥さんの愛人ですって暴露するなら、俄然葬式当日だろ。衆人環視、堪んないな」

「……アンタ、TPOって聞いたことある?」

「ん? 知ってる知ってる。久し振りに名前聞いたなぁ。なんだっけ? 

 おぉ、トリアエズ、POPコーンでも、お食べ?」

「なんなのコイツ……アタシ、ムリなんだけど」


 さすがに我慢できなくなったのか、姉さんが俺の顔を見て苦情を漏らす。気持ちはわかる。全く同意見だ。

 だが、男はなおも軽薄な笑みを浮かべたまま続けた。


「オレはしがない人殺しで、死にたがりの病人さ」

「…………」

「いい加減にしてよ」


 あまりに芝居がかった言い方に、嫌悪を軽く通り越して、呆れの境地に至る。

 姉さんがため息混じりに嘆き頭を抱えると、男はあくまでも軽々しく

「他人の加減なんて知るかよ。事実ってのは、ただそこに存在してるだけだろ?」

言って、肩を竦めた。


 そのとき、


「きゃっ……」


 すっかり意識の隅に追いやってしまっていた紫色の蝿が、姉さんの鼻を掠め、男の右肩にとまった。

 その登場のタイミングが空気を読んでのものか、読まなかったのか、その加減は不明である。


「おー、ご苦労さん。しっかし見れば見るほど気持ち悪いなお前」

「…………当初の目的、忘れるところだったわ」

「え……あ、姉さん」

「あの、ちょっとお尋ねしたいんですが?」


 制止しようとしたが間に合わず、肩先の蝿と至近距離で見つめ合う男に、姉さんが慇懃に声を掛ける。


「お、なんだよグレーテル。突然あらたまっちゃって。キモいな」

「キモ……いだなんて。いえ、折入ってお願いが」

「いいぜ。けど、オレに頼みごとすんなら、二つ返事でオッケーするくらい喜ぶ言い方してくれないとな。お姉ちゃん?」

「姉さん、もういいって」

「いいから任せて。ねえ、千人斬りの殺し屋だかサイコパスだか知らないけど、まさかその蝿って貴男のペット?」

「ペット? シバエが? まさか! それに、オレの特技はどんな生き物でもイチコロにすること。殺した数競ってねーし、誇ってもねぇし。先天的なキラーでもないっつーの」


 言って、男は証拠とばかりに『シバエ』を、まるで小鳥でものせるように、人差し指の先にとまらせた。


「そうだ、ここで問題。オレの名前当ててみな? 正解はモチロン、面白かったらご褒美」

「わかるわけないでしょ。そんなことより、その蝿が貴男のじゃないなら、譲って欲しいんだけど」


 男の指先で頻りに羽をバタつかせるシバエを見て、姉さんが焦れた声を上げる。

 きっと、俺がそれを欲しいと言ったことを、まだ信じているのだ……。


「姉さん、もういいんだって」

「だよな、用済みだろ? 弟のヘンゼル。こんなもん、腹の足しにもならねえよ」

「え……あっ、ちょっと」


 ブチッ…………。


 それが、俺が勝手に視覚から捏造して効果音を脳内再生したのか、現実だったのかわからない。

 確実なのは、唖然とする姉さんの目の前で、男が指先にとまるシバエを親指の腹で潰すという、視覚的暴力を働いたということだ。

 クソ野郎……。


「似てるよなあ、これ。ヨウシュヤマゴボウって知ってるか? アレの実もこんな感じで潰すと赤いんだよ」


 親指と人差し指の隙間からじわりと滲み出た赤い滴が、上向けた手の平を伝う。

 男は潰したシバエを指先で弾いて捨てると、赤く染まった手の平をこちらに見せて、同意を求めるように首を傾げた。


「紫なのに、なんでだろうな? なんでだと思う?」

「知らないわ。なんてことしてくれるのよ。こんなとこまで追いかけてきたっていうのに」

「そう怒るなよ、死ぬわけじゃなし。それに、もう1匹いるだろ。お前の肩に」

「え……? ひっ」

「姉さんっ」


 なぜ今まで気が付かなかったのか。

 姉さんの肩に、見落とすには余りにも大きなシバエが乗っていた。それも、すぐ耳元に。

 咄嗟に叩き落とすと、加減ができなかったせいか、シバエは地面の上で痙攣し、動かなくなった。


「あーらら。でもまぁ、そんくらいで死なねーからソイツ」

「死なない? 潰さないと、駄目ってこと?」

「あー、違う違う。それも無駄」

「どういうこと?」

「どうって、そのまんまよ。よかったなぁグレーテル、弟くんに感謝しろよ? もう少しで入られるとこだったんだからな」

「入られるってなによ」

「入るんだよ。ソイツ、生き物の穴から入って悪さするんだ」

「悪さ?」

「死にたい、死にたいって、四六時中、頭ん中で唆すんだよ」

「は? なにそれ、冗談……」

「いやいや。そんじゃあ試してみるか?」


 口調は軽いのに、なぜか嘘だと思わせない男の口調に、姉さんの顔から血の気が失せていく。

 小刻みに震える手を握ると、冷たいそれに痛いほどの力で握り返された。


「ほら見ろよ、仲良し姉弟。面白いぜ?」


 からかい混じりの声に促され、男の指差す方を見る。

 そこにはついさっき男に潰されたシバエが落ちていた。

 それは、どこにそんな力が残っていたのか、びくびくと痙攣するように蠢いていて、まるで死ぬ直前の最後の足掻きのように見える。

 だが、それにしてはどうにも不自然で……。

 嫌な予感に、うなじの毛が逆立った。


「出てくるぜ? どうする?」

「出てくるって……中から、まさか」


 ついさっき見たばかりの光景を思い出す。

 そして、自分の言葉を。

『出てくるよ』


「シバエ……」

「正解。察しがいいなヘンゼル」

「襲ってきたり……しないでしよ?」

「いいや、襲うが正解。コイツはな、どうにも穴があったら入りたい、恥ずかしがり屋みたいなんだよな、グレーテル」


 ボコボコと、シバエの体が波うっている。

 まるで幼虫が卵膜を破って出てこようとするように、体の内側で何かが暴れまわっているようだ。

 その『何か』が、その頼りなく潰れた体を突き破って出てくるのも、時間の問題に思えた。


「もう一回潰したら、どうなる?」

「無限ループだな。もちろん、時間稼ぎにはなるけど」

「ねえ、どこか近くに避難できる場所はないの?」

「あるぜ。じゃあそろそろ行くか? 兄さんがキリンになる前に」

「……どこかに連れ込む気?」

「そんな目で見んなよお姉ちゃん。安心しな、オレはお前の弟を取って食う気なんて毛頭ない。

 なーんか、食中毒おこしそうだしな。頼まれなきゃお前をハメる気もない。まあ、信じるかどうかは好きにしてくれよ。ただ、ここにいても埒が明かないのはわかるよな?」

「…………」


 チラ、と俺に視線を寄越して、男が口角を吊り上げる。


「お菓子の家じゃないだろうな」

「おかしな家ではあるけどな」

「じゃあ、さっさと行こう。ここじゃ、落ち着かない」

「…………」


 物言いたげに、姉さんが俺を見る。

 不安そうだが、それを拭えるような真当な選択肢がないのも事実だ。


「グレーテル、シバエが怖いってんなら、オレの膝の上に来いよ。着くまで目も口も閉じて耳塞いでな。

 ああ、もちろん足もな。なんならそっちはオレが」

「おい、俺がアンタの喉を、舌切って詰めて塞いでやろうか」

「うわ、こわー。弟くんの本性ヤバくない? 舌切り雀になったらお見舞いに来てね、グレーテル。看病してくれたら、全身全霊で体で返すからな?」

「黙って案内しなよ。管切り雀になりたいの?」

「おぉい! そんなことしたら全国各地にいるオレのファンが嘆き悲しむだろうが! もちろん性的な意味で」

「……酷い思い込みだね」


 ジャリ、と音を立てて、足元で蠢き始めたシバエを踏みにじる。

 それを見て、男は車椅子の向きを反転させながら、一度、二度と、先程指で潰したシバエをタイヤで轢き潰し、こちらに背を向けて片腕を上げた。


「それではいざ行かん、オレと兄さんの愛の巣へ」

「姉さん、行こう。不本意でしかないだろうけど」

「……うん。あ、先に謝っておく……後ろから殴り倒したらごめん、アイツのこと」


 引き攣った笑みで頷いて、姉さんが俺の手を強く握り直す。

 不安や疑念が手に取るように合わせた目から流れ込んできて、俺はどうしようもない気持ちを持て余し……。


「どうしたの?」

「ん? お腹、空いたなって」


 姉さんの肩に額をつけて、下らない嘘を吐いた。


「どんなメンタルしてんの」

「頼もしいでしょ」

「はいはい」


 姉さんが微かに笑うのが肩から伝わって……俺はなんだか、ここから動きたくなくなってしまった。

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