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エンドサナトリウム  作者: 八百万 円
13/14

罪悪

 

 俺達は二羽の、脆弱な小鳥だった。


「しん、かわ……」


 震える声で名を呼んで、姉さんは男を凝視した。

 まるでその挙動を、一瞬たりとも見逃すまいとしているように。


「姉さん、雪が降ったのを覚えてる? 四月に雪が降った、あの日のこと」

「…………」


 姉さんは答えず、口を噤んで、自分を抱いた腕に爪を立てた。

 俺はその手をそっと外して、なるべく抑揚のない声で続けた。


「あの日、母さんが死んでから縁が切れたと思ってたのに、わざわざ俺達を見つけ出した神河が部屋まで押しかけてきた」

「うそ…………まさか、また?」

「そう。唯一違う点を上げれば、頼むって体でね。覚えてない?」

「……どう、だろう。覚えてるような気はするけど、コレってほんとうに記憶? 今までどうやって、想像と区別をつけてたんだっけ……。

 ずっと、あの日は何もなかったって、思い込んでたから」


 姉さんが髪を掻き乱す。

 混乱するのも無理はなかった。

 そういうふうに仕向けたのは、他ならぬ俺とあの人なのだから。


「話している神河の姿を、どこかの隙間から見ていた気がする。でも、気が付いたらアタシは眠ってて、目が覚めたらいつも通りにウチの布団の中だった。

 でも外に出たら日付が記憶と合わなくて、それなのに何事もなかったみたいに、その日も、その次の日も、普通に過ぎていって……『悪い夢』だって言われたら『そうだよね』って、疑いもなく頷けるくらい。だから何もなかったって、思い込んで……」

「そうだね。できれば、そのままでいて欲しかった。話さないで済んだらいいって。

 でも話さないと、ここまでついてきてもらった意味がない。それに、言わずにいたら、姉さんを説得できないだろうし」

「説得……?」

「そう。……順を追って話そうか。あの日……」


 あれは、酷く湿気の多い日だった。

 古い鉄扉をノックする音に立ち上がってドアスコープを覗くと、水っぽい雪を鳥打帽に薄く積もらせた、長身面長で糸目、三揃いで伊達男気取りの男が立っていた。

 見覚えのあり過ぎるその姿に息を呑み、動けずにいると、男はスコープいっぱいに顔を寄せ、口角を吊り上げて言った。


『やあ、久し振りだね』


 悪夢の再来。災厄の襲来。

 この男の登場に、これ以外の表現のなにが当て嵌まるだろう。


『開けてくれるだろう?』


 怖気の走る猫撫で声。

 煩く鳴る心音が、耳元で警鐘を鳴らしていた。


「姉さんには、押し入れに隠れてもらったんだ。それで、部屋に上げた。扉の外と中で話せるような内容じゃないし、あの団地じゃ誰が聞き耳を立てているのかわかったもんじゃないからね。

 そしたらコイツは土足でがり込んできて、御愁傷様だの何だのとどうでもいい話を始めて、あげく……」


『聞いたよ。お母さんが亡くなったって。

 二人じゃさぞ大変だろう。今の里親もロクに家にいないで酒浸りだそうじゃないか。

 嗚呼、苛立っているね。本題に入れってことかな? わかったよ。

 もしも、なんだが。君たちが私に力を貸してくれるなら、一晩五拾。もちろんチップは総取りでいい、どうだ、いい稼ぎになると思わないか?

 時折でいい。今まで通りの仕事だ。

 可愛い格好で、少しばかりいい声で鳴いて悦んでくれればそれでいい。

 後生だ、わたしを助けると思って一肌脱いでくれないか?

 なんなら、今夜一晩だけでもいい。これきりならば、なおさら報酬も弾もう。引き受けてくれるなら、二度と君たちの前に姿を現すこともない。

 どうだ? 悪い話じゃないだろう?』


「今晩限りでいいから、あの仕事を請けてくれって。報酬は弾むし、もう二度と顔は見せない。それに、困っている俺たちには、悪い話じゃないだろって」

「……まさか、信じたの?」

「ううん。でも少し、期待した」

「……え?」

「今夜だけ我慢したら、破格の報酬と客からのチップが懐に入って、この生活から抜け出す資金になるんじゃないかって。

 こんなゲス野郎でも、パトロンだと思えば耐えられるんじゃないかってね」

「そんな……」

「誘惑に負けたんだよ、俺」

「…………」


 自嘲気味に言うと、姉さんは俺のシャツの裾を掴んで、何度も何度も、頭を振った。


 なんにせよ、逃げ道がないのはわかっていた。

 扉を開けたとき、階段の陰で身なりとガタイの良い男が二人、煙草をふかしているのが見えた。

 断れば無理に、応じれば穏便に。

 それだけの違いだ。

 それならばと、俺は交渉に出た。

 こんなアングラな奴を相手に言質を取ることにどれだけ意味があるかは分からなかったが、従属するのも御免だったから。


『姉さんは今、アルバイトでいない。俺一人でいいなら、今晩だけ。アンタに同伴する』 

『本当かい? それは涙が出るほど嬉しいが、お姉さんと一緒のほうがいいだろう? そのほうがチップだって弾む。最後だと言うなら尚更、金糸雀は二羽揃っていたほうが特別感がある』

『なら、舌を噛んで死ぬ』

『おっと、待ってくれ。なにもそんな』

『出来ないと思ってるなら、大間違いだよ。噛みきれなくたって、死ぬには出血多量で充分なんだ』

『わかった、わかったよ全く。お姉さん思いのいい弟だ。そんなに心配しなくとも、取って食べたりしないさ。

 今までだってそうだっただろう? 

 嗚呼そうだ! 貞操帯を用意するというのはどうだろうね。もちろん君たちふたり』

『決まったんなら、さっさと行こう』


 神河が、その下卑た思い付きがさも素晴らしいことだとでも言いたげに、悦に入った表情でまくし立てる。

 俺はあまりの胸糞の悪さに、そのナルシズム全開の横面を殴って黙らせる代わりに、遮って先に玄関に立った。

 神河は格好どおりの、頭の悪い道化みたいに大きすぎる仕草で肩をすくめ、


『仰せのままに』

 

 大仰に言って俺の肩に腕を回し、部屋を後にした。


「俺は姉さんを残して、神河についていった。そこからは、おおむねいつもと変わらないかな」


 都心のビル街が形成する摩天楼の、とある一棟の地下駐車場。

 それを下へ下へと螺旋状に下り、行き着いた場所に、そのプレイルームはある。

 扉を潜ると、まず賭博から始まる非合法な遊戯は、奥へと進めば進むほど悪化し、俺達がいつも連れて行かれるのは最奥の部屋。

 そこで行われている品評会に、俺達はいつも見世物の愛玩動物として参加させられていた。

 

 この部屋で、俺達二人は神河の金糸雀に成り下がる。

 参加の皆々様は各々、それぞれにデコレーションした愛玩動物を見せ合い、ありとあらゆる方法で試し、品評し合う。


 あの日も、狂った宴は鞭が撓って叩き付けられる音で始まり、阿鼻叫喚と嬌声、興奮しきった変質者共の荒い息が混ざり合って、混沌としていた。

 いつもどおりに。

 ただ、姉さんがいないことだけがいつもとは違っていて、それだけが俺を誇らしくさせていた。


「でも、何かあったってんでしょ? どうしてアタシ、一緒にいなかったの! 一人にするなんて」

「俺が姉さんを閉じ込めて、何もなかったって刷り込んだんだ。姉さんは悪くない。それに、上手く行ったと思ってたけど、ほんとうは違う」


 男を見下ろす目が、動揺に揺れる。

 そうだ。わざわざこんな思い出したくもない話を蒸し返したのには、理由がある。


「姉さんは、連れて来られたんだよ。あの場に……」


 振り下ろされる鞭。

 縦横無尽に膚をのたうつ熱い刃先。

 嗜虐者を満たすための、下らない従順の言葉。


 思い出したくもないあらゆる暴力が、体外、内といわず、思考にすら入り込んで侵し尽くされる。

 俺は何度も、何度も、なんどもなんどもなんどもなんども……一人ではなおのこと死にたくなるような責苦に、ただただ鳴き声を上げ続けた。

 ひとえにこの男と観客の愉悦を満たすためだけに。


 俺達はいつだって、蹂躙される二羽の小鳥だった。

 鳴けば泣くほど、好事家どもを悦ばせる慰みもの。

 そう自分でも理解していた。

 だからこの日が来るまで、俺は知らなかった。


 歪んだ眼差しに愛でられるのは刹那、ほんとうの価値は唯一無二の最期、断末魔にこそあったのだと。


『今宵のドルチェは、血肉を分けた二羽の金糸雀のティラミス。なんと、滴る西瓜ソース添え

 おや皆様、興奮はわかりますがどうか落ち着いて。ティラミスには私を元気にして! という意味があるのをご存知でしたか?

 なんということでしょう、これは正にお気に入りの小鳥の巣立ちを迎えた神河パティシエの心中を反映し、且つストレス社会で戦う皆様に一時の癒しと興奮を提供しようという趣向を存分に凝らした一品ではありませんか!

 では皆様、スタイの用意はよろしいですか? これより皆様の目の前で、神河自ら垂涎のドルチェの仕上げと参ります。

 さあ、純白のウェディングドレスを纏った片割れの入場です。まずは、目覚めの口づけから……』



「姉さんは、眠らされたまま連れて来られた。真っ白いドレスで」

「え……」

「それで俺、キレちゃったんだよね。後先も何も考えずに……姉さんと心中しろって言われて」


 どうにかそこまで口にして、俺は姉さんから目を逸らした。

 口にする割愛した内容と、嫌というほど反芻した事実の齟齬が酷くなるに連れて、目眩に襲われる。


「渡されたのは、縄と剃刀」


『さあ、お前のために眠らせてやったんだよ。何を躊躇っているんだ? 心置きなく思いを遂げるといい。大好きな姉さんの、最初で最期だ。

 それとも、やり方がわからないか? 私が手取り足取り教えてやろう』

 

「俺が姉さんを殺さなきゃ、俺が自殺したあとに、ここにいる皆で好きにするって」


『ほら、どうしたい? まずは服の上から撫で回すか? それとも一気に引き裂くか』

『さあ』

『次は?』

『どうする?』

『そうだ』

『いいぞ』

『あははははははは』


「俺は、縄を握って……コイツを殺そうと決めた。あとのことなんて、考える隙間がなかった」


 歓声が上がる。

 下卑た笑いが地下のフロアに反響して充満する。

 拍手喝采。

 うるさい。

 うるさい。

 うるさい。

 うるさい。

 黙れ……。

『……ね』


「そうしたらふいに、耳元で聞こえたんだ。俺を名指しにして、照明が落ちる、目を閉じろって声が」

「……どういうこと。神河が?」

「まさか。知らない声だったよ。だから一瞬迷って、その間なにも起こらなかったから、一か八か目を瞑った。

 直後に照明が落ちたのが瞼越しにわかって、しばらく待ってたら、その間にそこら中から悲鳴が上がって」

「暗くなったせい?」

「あとの惨状を考えると違うかな。よく覚えてないんだけど、目を開けて、俺はすぐに暗闇で罵声を上げるコイツの首に縄をかけて、締めた。思いっきり。

 暴れられて、体中どこかにぶつかってたのは覚えてるけど、あとはもう、何がなんだか。

 気が付いたらコイツに馬乗りになって、返り血を浴びてた。我にかえって見回したら、いつの間にか明かりは戻ってて、フロアは血の海。ほとんど、死んでたんじゃないかな。

 俺も、血だらけだった。腹を刺されて」

「え……」


 驚いた顔の姉さんに、シャツを捲くって左の脇腹を見せた。

 隠していた瘢痕に、悲しそうな姉さんの視線が刺さる。


 そんな目で見ないで……。


「これが原因で、俺は死にかけてた。だから、姉さんの無事を確認して、人を呼びに外に出たんだ。でも限界が来て、歩けなくなって、意識が遠のいて……。そのとき、誰かが俺の顔を覗き込んで言ったんだ……


『お前には、選択肢を用意した。今すぐ後悔しながら死ぬか、死なずに後で後悔するか。

 俺はその死が妬ましい。お前はまだ生きてやりたいことがあるか? その死を俺に売ればまだ生きられるが、どうしたい』


 世迷い言だ。

 今わの際の、幻聴だろうとを思った。

 だからこんなにも都合がいい。


 だったら、いいかって思ったよ。『じゃあ買ってくれよ』って言って、そのまま意識を失った」


『姉さんを……たす』

『あの子は死なせない。お前はどうする?』


 再度問われて、俺はその声を思い出した。

 今しがた耳元で俺の名を呼んだ、その声を。


『俺は、死ねない』


「それから俺は、死ねなくなった。アルコールをバカみたいに摂ってみても、母さんのクスリを飲んでも死ななかった。

 だから、やってみようと思ったんだ。やられたら、やり返すってやつを、クラスメイトに。覚えてる? 俺が大怪我して帰ったの」

「あれは、死んじゃうかと思った」

「死なないよ。肉体に限界が来れば腐るけど、それまでは普通の人間と変わらないんだって。

 だからって、腐っても死ねないんだけど」

「それって……」

「そう。俺とコイツは同じなんだ。不老じゃないけど、不死なんていう厄介な体」

「そんな……冗談でしょ?」

「残念だけど、冗談じゃない。俺は、この場所に倣って言えば『死病』を患ってる。ほっとけば老衰か寿命、肉体の死で腐って、狂った挙句に死蝿がわいて、腐りきって肉体を失うと、蝿に宿って死にたがりに寄生する」

「嫌よ……そんなのイヤ! 治す方法は? あるんでしょ? ないなら、わざわざこんなところにまで来ない。そうでしょ?」

「姉さん、泣かないでよ……!」


 泣きながらすがり付いてくる姉さんに、繋ぎ止めていた理性が吹き飛んだ。

 俺は思い切り両腕で姉さんを抱き締めて、その首すじに顔を埋めた。


「治す方法は、ないよ。ただ、コイツらみたいに、モルヒネ打たれてる気になって、腐り始めるまでの時間をこの病棟の中で引き延ばすか、腐る前に、少しずつすげ替えていくか」

「……っ……。それって、体を?」

「そう。血を抜いて……詳しいことは、先生がやってくれる。そのためにここに来た」

「…………そんな」

「待って……。離れないで」


 たじろぐ体をいっそう強く抱きしめて、両腕に閉じ込める。

 一番肝心なことを、まだ言っていない。

 言えていない。

 とても、顔を見て言うことなんて、できないから。


「姉さん、俺はもう死なないんだ。だから、泣くことないよ。もう、無理して守ってくれなくていい。好きなことをして、生きてよ」

「なに言って」

「死んだっていい。知ってたよ、俺。ずっと我慢してたの」


 ただ、一つだけ……。

 お願いだから、


「だからさ、夏休みの残りは俺と目一杯一緒に過ごしてよ」


 俺の目の前で、死なないで下さい。


 だって俺にはもう、後を追うことはできないから。

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