召喚獣と一人の女
その日、主は朝から上機嫌だった。
普段から饒舌でおよそ黙っていることのできないこの少年を嫌ってはいなかったが、その挙動は少し五月蠅く感じられた。
何がそんなに嬉しいのか。
たかが赤ん坊が生まれたくらいで、大げさな。
「主、落ち着け」
「これが落ち着いていられるかい?落ち着いてなどいられないさ」
「そんなに赤ん坊が好きだったのか。意外だな」
「赤ん坊が好きなんじゃないよ。女だったからさ」
「女?」
「生まれた子は女の子なんだ」
主は立ち上がり窓を開けた。
やけに芝居がかった動きだが元々こういうところのある男だ。
まあ貴族と言うのはこう言うものだと理解している。
整った顔立ちなので見苦しくもない。
主はこらえきれなくなって笑い出した。
これだって歓喜に震える自分を演出しているに過ぎない。
人間と言うのはわざとでしか生きられない生き物なのだ。
「ああ、全く嬉しいよ。僕はずっと妹が欲しいと思っていたんだ。それも同じ腹から生まれたね」
「同じ腹から生まれた弟なら四人もいるじゃないか」
「男なんて何にも役に立たないよ。妹、女さ。女と言うものは酷く役に立つ生き物なんだ」
「そうか?」
「女無しに子は生まれないだろう?」
「男がいなくても生まれないが」
「ああ、お前の言う通りさ。でも産むのは女だろう?」
「ああ」
「その事実は僕を崇拝させるに値する。僕はね、女と言う生き物を心の底から尊敬している。男なんて何にも役に立たない。身体がでっかいだけだ。この世にはね女が必要なんだ」
嘘だな。
本当に尊敬していたらわざわざ言わなくたっていいんだ。
だが別段反駁する必要などない。
女は立派だ。
何時間も痛みに耐えるなど自分にはとてもできそうにない。
そのくせもう主の母は六度目の出産ともなれば慣れたものなのか、先ほどまでも人とも思えぬ絶叫などなかったことの様にいつも通り澄まし美しい顔でケロッとしている。
傍で眠る赤ん坊はこの美しい母親から出て来たとは思えないくらいしわくちゃでこの小さな塊が何年か経てば美しい女になるなど今は想像もできないがそうなのだろう。
人間とはそういうものだと長い時の中で嫌でも覚えさせられた。
「僕の母は美しいだろう?僕はこの国で母が一番美しいと思っているよ。我らが偉大なる先代の先見性たるや、ああっ」
成程。
確かに主の母上は美しい。
不思議なことに未だに少女のような可憐さがある。
そして頑強だ。
風邪一つ引いているのを見たことがない。
「そんなに女の子供が欲しいなら自分で作ればいいだろう。もう来年には花嫁を迎えるのだろう?」
「こんなことは言いたくはないが僕が貰うエミリア嬢は残念ながら器量と言うものを評価する物差しがあるとしたら少しばかり物足りない人であるのだ。まあ家同士のことだし僕はエミリア嬢をとても大切にするつもりだよ。いいかい?必要なのは女だが、女は女でも美しい女だ。それがないなら身分だ。だがね、僕は身分など超えて美が勝ると思っているよ。美しいものと言うのは権威や因習以上に心を動かさずにいられないものだ。王であるならば当然だ。美を得るのは王者の義務なのだ」
「そうか」
「僕はね、あの子を王に嫁がせるつもりだよ。この国ではね王の外戚にならないことには出世の見込みなんてないからね。僕は唯の魔術師の家系で終わりたくないんだ。必ずこの世の中枢に食い込んでみせる。そのための宝玉が今日僕の手中に収まったのさ。今日、今」
「長い話だな」
「お前でもそう思うのかい?時間など超越したお前が」
「あの赤ん坊が王に嫁ぐことができるのはまだまだ先の話だろう。その間に王朝の方がくたばるかもしれないぞ」
「言葉が悪いよ。なーに、まだまだ続くさ。それにね、十年なんてあっという間だよ」
「そうか」
「何を言っているんだ。これでは僕とお前が逆の様じゃないか。人間の僕がこれほど未来を肯定していると言うのに召喚獣のお前が悲嘆するなど」
「悲嘆などしていない。唯物事とはそう簡単に自分の思っている通りには行かないものだ」
「行くよ。僕は行く。あの子はこの国一番の美人になる。僕には輝かしい未来しか見えないよ。お前もせいぜいあの子を守ってやることだね」
「子を守るのは親の仕事だ」
「僕はやるよ。やって見せる。お前を召喚できたんだ。僕は天才なんだよ」
「そうだろうな」
こと魔術においてはそうだろう。
この少年は神獣である自分を召喚して見せたのだ。
十年前たった三歳の時に。
「これから忙しくなるぞ」
「そうか」
それから数年が経ち久方ぶりに主の母上に会うと齢三十を超えていると言うのに未だ少しも美貌に陰りのない腹を膨らませた女の傍に見事な蜂蜜色の長い髪を揺らした女児がいた。
どうやらあの時の赤ん坊らしい。
「初めまして。フィリスと申します。神獣様」
「大きくなったな」
「貴方の様に美しい人を初めて見ました」
「人ではないがな。だが褒め言葉だけは貰っておくぞ」
主が妹と庭に出て遊んでいてくれと言うのでそうした。
娘は小さな手で器用に花の冠を作った。
娘は上手にできたと満足げに微笑んだ。
その栄誉を俺に被せたがっているのはわかったが、生憎俺は屈むのが嫌だったので、気づかないふりをした。
「あのね、神獣様」
「何だ」
「お兄様はね、私に言うの。お前は将来国王陛下の花嫁になるんだよって。本当でしょうか?」
「主が言うのならそうなのだろう」
「そうですか」
「嫌なのか?」
聞いてから何を言っているのかと自分でも不思議だった。
この娘に自分の人生に対する決定権など存在しないのだ。
「嫌ではありません。そうなればいいと願っています」
「そうか。そうだな。お前はきっと王を産むよ」
「王を産む?」
「国王陛下の母になると言うことだ。それが主の願いだ。それはきっと叶う」
「そうですか。神獣様が言うならそうなのでしょうね」
数か月後遠征のため主と母上の所に行った。
娘は別れ際ご武運をと言った。
娘は習慣通り俺に口づけたかったのだろうが俺は屈むのが嫌だったのでさっさと背を向け歩き出した。
半年後遠征から戻ると娘は赤ん坊を抱え俺を出迎えた。
どうやら遠征中に生まれたらしいが、主の期待虚しく男の子だった。
怪我をされませんでしたかと聞かれたので人間じゃあるまいしと返した。
そうですねと娘は笑った。
主は着々と計画を進めていた。
どううまくやったのか知らないが国王陛下のサロンに出入りするようになり、遂には自分の魔術工房を見学していただくということになり国王陛下を屋敷に招待することになったのだ。
おかげで屋敷で働く者たちは数日間にわたって大変な作業を強いられることとなった。
主の計画通り国王陛下は魔術工房を見た後主の自室でお茶をしていくこととなった。
本来ならば国王陛下をもてなすのは、この家の女主であるエミリア夫人であろうが、妊娠中であり粗相があってならないと言うのでこの任は任せられなかった。
よってフィリスがこの役を引き受けた。
フィリスは未婚の娘らしい初々しい態度でこれに望んだ。
蜂蜜色の長い髪を結った彼女は大事にあたる戦士のそれに値するように凛としていた。
この勇敢と可憐さが同居する少女をこの王位を継いだばかりの若き王は一目で気に入ったらしい。
主の計略通りフィリスは国王陛下に嫁ぐこととなった。
召喚獣である自分と共に。
フィリスと共に献上された俺は国王陛下のサロンに侍るようになった。
戦もなく毎日は酷く退屈で、女官と懇ろになるくらいしかすることがなかった。
国王陛下はフィリスの他にも沢山の妻がいた。
フィリスは所詮愛妾の一人でしかなかったが、類まれなる美しさで国王の寵愛を一身に受けていた。
「貴方の言っていた通りになりましたね」
「何がだ?」
「私は王を産むと」
大きくなったお腹をまるで水晶のように撫でる女は生まれた時のしわくちゃの塊だった名残すらなく別の人間の様だった。
女は特に何もすることがないので毎日庭に出ては花冠を編んでいるので、仕方がないから傍にいた。
昨日は雨だったので花冠から雫がしたたり落ちる様がやけに美しい。
「まだ男と決まったわけじゃないだろう」
「そうね。ねえ、なら言って。生まれてくる子は男の子だと。貴方が言ったらきっとそうなるわ。神様だもの」
「俺にそんな力なんかないぞ。俺は神様、じゃない」
「そうかしら。私にとって貴方はずっと神様よ。だって貴方ほど美しい人を私は知らないもの」
「人じゃないがな」
「そうね。神様ですもんね」
女は望んだ通り男児を出産した。
国王陛下にとって初めての男児だった。
当然フィリスの待遇も違ったものとなった。
勿論フィリスの実家である俺の旧主の待遇も。
四年が経つと国王陛下が暗殺された。
下手人は不明。
フィリスが産んだ男児が王位を継ぐものかと思われたが、国王陛下の異母弟が継ぐこととなった。
そんな時フィリスの兄であり俺の旧主が謀反の疑いを掛けられ、遠島という処分を下された。
謀反人に遠島という処分は寛大だ。
そのためにフィリスは夫の異母弟の傍に侍ることとなった。
俺も当然の様にフィリスと共に用意された離宮に移動した。
フィリスは一年後またしても男児を産んだ。
三年が経ちフィリスは再び夫を失った。
新たな国王はフィリスとその息子達を幽閉した。
「この王宮を焼き尽くしてやろうか?」
「そんなことしなくていいわ」
「一生このままでいいと?こんな狭くて暗い所に押し込められて」
「ベッドがあれば十分よ。子供達に会えないのが寂しいけれど」
フィリスはみるみるうちに弱っていった。
「食事をとれ」
「受け付けないの」
「無理しても取るんだ」
「ねえ、どうして今でも傍にいてくれるの?」
「他に行くところもない。俺は美術品と同じだ。そして今の国王には見せびらかす習慣がない。質実剛健と言うのだろうな。国民からしたら立派な国王なのだろうな。自分は贅沢せず、愛妾も持たず、偉いもんだ。
だがつまらん男だ。美しいということを知らない。楽しいと言うことを知ろうとしない。じゃなければお前をこんな所に押し込めたりしない。この世には生活をするという以上に価値のあるものがあるはずだ。恐らくお前の夫どもと兄上は知っていたんだ。美を知らない人間はこの世に何も残せはしない。この世にずっと残っていくのは純粋に美しいものなんだ」
女は笑った。
少女時代の最後の名残のような儚さだった。
「今日はやけに喋るのね」
「いつもはお前が喋っていたからな。喋る必要がなかっただけだ」
「そう、貴方の声好きだわ。貴方声まで綺麗なのね」
「そうか、なんなら歌ってやろうか?」
「歌はいいわ」
「なら何が欲しい?何でも持ってきてやるぞ」
「花」
「花?」
「花冠を編みたいわ」
「そうか。すぐに持ってきてやる」
「ええ」
数日フィリスが花冠を編むのを唯見ていた。
「貴方はこれからどうなるの?」
「どうもならない。俺は王家へ献上されたんだ。今の俺の主はあの何もしない国王だ。戦争もないし何もすることなどない。どの召喚獣も皆そうだ。唯のお飾りになった。喋る骨董品だ」
「そう、貴方の言う通りよ。貴方の価値を何もわかっていないわ。治世者としては至極立派なんでしょうけどね。でも、ああ、そうね。この国で生きる人々にとっては理想の王ね。私達こそ間違いだったのだわ」
「間違い?」
「可笑しいわね。私今の方がずっと落ち着くわ。これくらいで良かったのよ。全て夢だったのだわ。王に嫁いだこと。王を産んだこと、あの贅を尽くした王宮での全て」
「そんなわけないさ」
「私、王を産めなかったわね」
「まだわからない。王家の血を引いていることは確かなんだ。政情は変わっていく。お前の産んだ子が王になる日がいつか来るかもしれない。そうしたらお前は王の母だ」
「お兄様可哀想だったわね」
「そうだな。でもああいう男だから島で楽しくやっているかもしれないぞ」
「だといいわね」
俺は屈みこみ、子供の頃戯れですらやってやらなかった無邪気な戴冠を彼女から受ける。
「似合っているわ。貴方はいつまでも本当に美しいのね。特にその銀髪。赤い薔薇が映えるわ」
「そうか」
「いつまでたってもずっと同じ姿なのね。ずうっと美しい青年のまま」
「フィリス?」
「私これからどんどん年を取るわ」
「いいじゃないか」
「どこがいいの。貴方には見られたくないわ」
「俺は見たいぞ。お前の腰が曲がってよぼよぼになったら背中に乗せてどこまでも連れてっいてやろうと思っていた」
「そんなこと考えていたの?」
「ああ、だから長生きしろ」
「そう、そうね」
フィリスは一向に良くならなかった。
もう花冠を編むことすらできなくなり目を閉じていることが多くなった。
俺は唯傍にいた。
「もう駄目ね」
「そうか。また生まれて来い」
「また?」
「ああ、また人間に生まれて来い。俺はずっといるからいつでも見つけてやる」
「そうね、今度は立派な魔術師になって生まれてくるわ。一緒に戦場を駆け回りましょう」
「それは嫌だな。また非力な人間に生まれて来い。何にもできない人間に」
「何にもできなくていいの?」
「何もできなくていい。どんな姿になっても見つけられる。俺は神獣だからな」
「花や、虫でも?」
「当たり前だろう。神様だぞ、俺は」
「そうね、そうよね」
「俺はずっといる。だからすぐ死んだって大丈夫だ。その都度会いに行けばいい。千年だって万年だって待ってやるぞ。俺はこの王国が滅びようとも滅びやしない。人でないとはそういうことなんだ」
「そうね。人間は滅びるわ。城だって庭だって朽ち果てるわ。でも人が作ったものでも美は死なないの。だって美しいものは永遠だから。見る人がいなくなっても平気よ。朽ち果てた王宮で風に吹かれてる貴方が見える」
「その肩に一匹の蝶が止まる」
「私が蝶?」
「お前以外に誰がいるんだ。別に猫でもいいぞ、犬でもな」
「ええ、生まれてくるわ。できれば非力な人間に。ねえもっと近くに来て。顔がもうよく見えないのよ」
フィリスは最早息をしていることすら苦しそうだった。
俺はひざまづき初めて彼女の手を握る。
「暖かいわ」
「そうか」
「私幸せよ」
「そうか」
「貴方を初めて見た時から貴方以上に心を動かされたものなどないわ。貴方がいなかったら私一度も心臓が早鐘を打つことを知らなかったわ。いつもね、貴方と二人でいると恋人のような気持ちでいたの。小さな時からずっとよ」
「そうか」
「私酷いわね。二人も夫を持ったのに。いつもね夫は貴方な気がしていたの。貴方といる時だけが私、時を感じていた」
「時?」
「このまま時が止まればいいといつも思っていた。二人だけで時間に乗り遅れて閉ざされてしまいたいって、でもいいの」
「何でだ?」
「今もう時は止まっているわ。ねえ、貴方。召喚獣を泣かせた女なんて私だけよね。きっと」
「ああ、本当に世界一可愛い顔してなんて女だ」
「ずっと愛していました、貴方を」
「そうか。なあフィリス。お前はこれから眠るだけだ。もう何も苦しくなんかない。俺はあの時お前が王を産むと言ったな。その時こう付け足すのを忘れたんだ。お前は必ず幸せな生涯を終えるよと、永い眠りから覚めたらそこには幸せだけが待っていて俺はそこに必ずいるから。お前を幸せにするのは俺だけだ。だからゆっくりお休み、フィリス」
かつて栄華を極めた王朝の城の発掘調査が開始された。
城の最奥では色とりどりの薔薇が咲き乱れ、一匹の白き龍が固く瞳を閉ざし動かない。
白き龍は何かを守るかのように身体を丸めている。
調査隊が調べようとしたが辺りに散らばる無残な人骨を恐れ調査は打ち切られた。
現在もそのあたりは立ち入り禁止のままで、白き龍は身体を丸めたまま動かない。
白き龍が隠し持つ財宝は王朝末期二代に渡り寵姫となり最後の国王を産んだ女性のものだという伝説があるが定かではなく、圧政を強い栄華を極めた王朝を儚き美の終焉と捉えられるようになるほど時が経ったことの証であろう。
何しろ千年前の話である、もう憶えているものなどいまい。
白き龍の背に一匹の白い蝶が止まり、優雅に舞う。
動かないはずの龍と互いを追いかけ合うかのように。