天才の腰巾着
天才。
スタンダールいわく「凡人がひいたレールに自分の思想をのせないことだ」
ユーゴーいわく「無限に突出している突起である」
フローベルいわく「賞賛にするにあたらない。一種の精神病である」
僕の幼なじみ、時任鈴は巷では天才と呼ばれているようだ。
20歳の若さで起業し、ソフトウェアを開発。優れたソフトをいくつも世に送り出している。「若き天才」と彼女を評する雑誌などが店頭に並んでいるのを見かけた。
今行われている10年以上前に卒業した小学校の同窓会の場でも話題は鈴のことで持ちきりだった。
もともとこの同窓会には来たくはなかったのだが、恩師である先生に来るように頼まれたので仕方がない。
同窓生たちが鈴とコンタクトをとらせて欲しいと、彼女との唯一のパイプである僕に頼み込む。
彼女の作るソフトは世界的にヒットしているから関係を持っておきたいということらしい。
何を隠そうこの僕、巽仁孝は鈴の経営する会社の唯一の社員であり、名目上は副社長、実態は雑用をしているのである。
だがそういったことは僕が取り持つことはできないからと言って断わっている。たいていの同窓生はここで諦めてくれる。
しかし、中には諦めの悪いというか自信過剰なヤツがいるものだ。
今、僕の目の前に立っている鴻巣という男はまさしくそれだった。
「あのね、俺はあのT大を出てるわけよ。三流大卒の君より、よっぽど役に立つと思うんだわ」
最初は丁寧な物腰だったが、僕が断ってから段々と態度が豹変して、こんな事を言ってくる。
正直なところ普段の付き合いとかならば、名刺くらいはもらっているのだ。
だけど、この場にいる小学校の同窓生だけは絶対に鈴と会わせたくなかった。
目の前にいる鴻巣も、周りで名残惜しそうにチラチラとこちらを見ている連中も覚えていないのかもしれないが僕は覚えている。
彼らは小学校の頃、鈴をいじめていた。
鈴は常識とはかけ離れていて、独特な言動をする子どもだった。やることが集団的でなく常にマイペースだった。こいつらは鈴のそういった行動をあげつらい、馬鹿にしてよってたかっていじめたのだ。
鈴は強かった。いじめる連中の前で泣かなかった。だから当時隣のクラスだった僕も、鈴がいじめられていることに気付けなかった。
ある日、鈴の母親に様子がおかしいから、ちょっと注意して学校での様子を見てやってくれと頼まれた。昼休み、ご飯を食べ終わった後に、ふと思い出した僕は鈴のクラスを覗いた。
男子が鈴にとび蹴りをしていた。それを周りの連中は止めもせず囃し立てていた。
僕はすぐに教師を呼び出し、授業できる状態ではないと判断した教師が鈴を早退させた。僕は教師にお願いしてそのまま鈴に付き添って早退した。
鈴の母親には教師が話をして、僕は鈴の部屋に入った。
鈴は泣いていた。僕は鈴の涙を見たときに、決して彼女が泣かさないと決意した。
それからというもの鈴からなるべく目を離さぬように、彼女をサポートしてきた。
そういったさなかで鈴はプログラマとしての才能を見いだした。僕は彼女のそばで世話をしたり、販売、宣伝をしたりした。そうして現状がある。
僕が少し過去に思いをはせていると、目の前の鴻巣は無視をされたと思ったのか、ますます攻撃的になっていて、僕にこんな事を言ってきた。
「お前みたいなのをコバンザメって言うんだよ。何もしないくせに利益だけ吸い取りやがって」
さすがにイラッと来たので、僕も言い返そうと口を開いたとき辺りがざわついた。
周囲の視線は会場の入り口の一点に注がれる。その視線の先にいるのは鈴だ。
鈴は辺りを見回し、僕を見つけるとこちらに向かって歩いてきた。それを遮るように立って話しかけるのは鴻巣だ。
「時任さん。失礼ですがあなたにはもっとふさわしい部下がいるのではないでしょうか?たとえばあなたの目の前にいるT大卒のこの私とか」
鈴はそれを無視して僕に話し出す。
「本当は同窓会に行く気はなかったのだけど。ヨシ君が他のやつにとられないか心配で来ちゃった」
「僕が他のやつにとられるって、どんだけ僕は信用ないんだよ」
そんな風に軽口を言って返すと鴻巣が割り込むように鈴に迫ってがなりたてる。
「そんな三流大卒の腰巾着なんかではなく、私のほうがよっぽど役に立ちますよ!どうして分からないんだ!」
鴻巣がそういった瞬間、鈴の目が怒りの色に変わった。
「お前の言う三流大卒の腰巾着って言うのは、私のシェフであり、執事であり、仕事のパートナであり、一ヵ月後には私の夫となるものだ。お前なんかとは比べ物にもならん」
ピシャリと言って、唖然とする鴻巣を鼻で笑い鈴は、
「ヨシ君、先生への義理も果たしたんだろうしもう帰ろうよ」
そう言って僕の袖を引っ張る。
「そうだね。帰ろうか」
チラッと先生を見てみるとニヤッと笑いながら手を振っていた。帰っていいということだろう。
僕と鈴は腕を組んで歩き出す。行き先は我が家。二人の家だ。