第一章 6話 ここに来た記憶がない。これが目的を貪欲に負った結果なのか?
「ケイの能力は?」
「んふふ、順調に開花しているようです。ショック性が強かったのか、若干自己意識の分離が起こっているようですが、プロジェクトには差し支えない程度でしょう。んふふふ!もし、分離の存在に気づいた時が、完全なる開花と言っても誇張した表現ではないでしょうねぇ。」
「試験体61の方は。」
「しっかり戻ってきたようですよ。んふ…ですが…」
「中川沙樹、か?」
「そうですねえ。FTの結果、不明7人帰還3人。男2人、女1人。帰還者にいずれも異常なし。ですが、女…中川沙樹の情緒が不安定になっています。61、ケイはともに正常。」
「そうか。下がっていい。」
「んふふふふ、おやすみなさい。ーーー様。」
この笑い声はいつも気に触る。最期まで慣れることは恐らく無いだろう。
ドアを閉めて、真っ暗闇が残る。機械が低く唸る音と、一定の感覚でなり続ける電子音を聞いていると、随分昔のことを思い出してしまう。無駄な思考から引き戻したのはモノだった。
「…ズナ、の、い、のち…おいしい。減る。けど、お腹、いっぱい。うふふ。」
足元にいた黒いモノが蠢く。
「そうだ。わたしの命はもう長くない。“実験”のせいでこの半端な力を手に入れた。代償は命だな。」
乾いた笑みを零し、カプセルに潜る。
さあ、夢を見よう。
夢を見てしまえば、『こっちのモノ』なんだから。
※
橋の下で拾われた。
結局捨てられてしまったようだ。
橋の下から出てみると、顔に雨が当たる、苦しげな雲が立ち込め、あたりはどんよりとしている。
それからしばらくぼーっとしていた。痩せた四肢を見つめて、また空を見上げた。雨が止む気配はない。しばらくここにいることになるだろう。お腹がすいたことに気づいて、野良猫がくわえていたゴミを取り上げ、食べ物を漁る。
「んふ、んふふふふふふふふふふ。惨め、惨めですねぇ。んふふ…試験体61。」
聞き覚えのある声。
もうお迎えが来たのか。
「んふ?61。61、聞いていますかァ?」
こいつは不思議だ。“中身”がない。
近づいたら、持っていかれてしまう。
「夢操者になる方法は教えましたねぇエ?この状況を打開する方法も分かるはずですよ、61。」
こう言われたら僕達試験体は逆らえない。どんなに馬鹿な奴隷も、主人に歯向かうことはないだろう。
「…夢。夢操者に、なります。未来、のために、僕は…だから、還らせて、くだ、さい…」
満足げにあの特徴的な笑みを浮かべた科学者は僕に近づき、次の瞬間意識が遠のいた。
眠ったはずなのに、あの嫌な声は聞こえてくる。
「んふふ、従順なだけでは、何事からも逃げることはできないのですう、んっふふふふふ!よく覚えておきなさい。61。次に忘れてしまったのなら…その時は…んふ、んふふふふふふふふふふ!!」
耳を塞いで、完全に夢に落ちる。
まだ僕は、未完成らしい。
※
「明らかにおかしい。」
1人でぼやく。呟いて、何となく空虚になった。まるで何か他の誰かが自分を半分にして存在しているようで気持ちが悪い。あの不気味な笑い声は、今は不在なのだろうか。
サキはあれから疲れたのかショックなのか、反応がない。話す話題も特にはないから、放っておいている。
「ここに来た記憶がない。これが目的を貪欲に追った結果なのか?」
1人で考えても答えは出ない。
それもそうだ。恐らく僕は忘れてしまったのだから。
(とりあえず、彼らのことを考えよう。)
目覚めた時いたのはサキと男の子だ。ほかの7人はあちらの夢に取り残された…あるいは、夢の所持者ーこのような人達は後でなんと呼べばいいか、あの不気味な人に聞いてみるとするーが死んだため、消滅したかだ。
女の子はサキという名前であり、僕と一緒に歪みを裂いて、夢から戻った。その時男の子はいないはずだったが、僕が目覚めた時には、もう既に彼は目覚めていて、ただカプセルから目をそらすように地面を見つめ、ぼうっとしていた。男の子は何らかの手(個人のみに適応される)を使って、夢から出てきた可能性が有効だ。他の人は出てきていないのだから。
そして、カプセルの中の男の人が死んだ理由だが…つまり、夢は頭で見るものだ。
僕達が行ったのは、あの男の人の夢の中、つまり頭の中だ。その結果、イメージ的には僕達は彼の脳の中に作られた、バーチャル世界のようなものに強制的に連れていかれた。しかし、男の人はまだ夢を創るには早すぎた。結局歪みを見つけた僕達によって、その人は殺された。夢から、夢の中のモノが零れてしまったというのが、正しいのだろうか。
「ケイ、何も覚えてないの?」
下を向いたまま、聞かれる。
「うん。生憎ね。目的以外ほとんど思い出せないんだ。」
「…そっか。」
しばらく沈黙が続いたが、断ち切ったのは彼女だった。
「もしかして、角川さんの答え合わせって解いたもう1人ってケイ?」
「角川さん…?ごめん、全然分からない。」
「忘れちゃってるか…あたし達全員の担当だった人だよ。角川さん、首吊りの。」
「首吊り…いい思い出はないね。」
「あるわけないでしょ、そんな…」
ははっ、と渇き笑う彼女に不思議と、誰かを重ねた。
「僕って…」
「ん?」
「…なんでもない。ごめん。」
「そ。」
今のこの状況に戸惑ってばかりでは居られない。僕達には時間が無いんだ。元より、表向きは地震で復帰不可能な日本を救う国のプロジェクトである。日本が終われば確実に僕達もいなくならなきゃいけないんだろう。
だから迷わない。迷っても仕方が無い。今まで散々迷ったのだ。今更止まるわけにもいかない。
何度か口を開く気配があり、お互いに黙った。
沈黙を破ったのはサキだった。
「あたしの目的は地震で死んだ彼を取り戻すこと。」
目で促すようにされたので、僕も応える。
「僕の目的は、事故で失った妹を取り返すこと。」
「そしてその為には、僕らはプロジェクトを自らが成功させなければならない。」
彼女は静かに聞いていた。案外すらすらと言えた目的は、正しいのかは分からない。
しかし声に出して耳から聞くことによって理解する。
「それなら…僕の片方はどこにいるんだ。」
後ろで、誰かが囁く。
「忘れないで。あなたはケイ。忘れちゃダメ、本当は……」
懐かしい声。首に縄の跡、最後に少し、悲しそうな顔をして去った、あの後ろ姿を思い出し
「ええ、分かっていますよ。角川さん。」
呟いた。
「ふふっ、ケイ…ちょっと面白くなってきたね。」
サキが微笑む。
僕も素直に微笑み返した。