第八話「イセカイスリープは人を殺さない」
「小野寺裕翔、見つけた」
彼女は俺の袖を決して放さなかった。それどころか、俺を少しずつ持ち上げて屋上の床に叩きつけた。
「裕翔、そんなことすると思ってなかった」
くちあにの人だった。
彼は、驚く気力もなくなっていた。
「裕翔、佳奈ちゃんは何度死ぬと思う?」
彼はその言葉で身体が意思を持って動き、叫んだ。
「黙れ! 黙れ黙れッ!!」
息を切らし、再び地に伏せた。
「裕翔は、何回死ぬと思う?」
彼は応答しない。
「私は、もう死なない」
「だから……何だよ……」
「一回目の死は、魂が抜けた時。二回目の死は、忘れられた時」
「慰めのつもりか」
「最後の死は、自分が自分でいられなくなった時」
風が彼女の髪を揺らしている。
「イセカイスリープにも限界がある。だから、命は大切に、しないといけない。だから、私はもう死なないって、この世界に居続けるって決めた」
「お前……」
「出会った時から、別れが来るのは決まってる。私も、何度も別れを経験した。君も今、別れを経験した。そして、新しい人と出会った。私は、望月巴留。ということになってる。よろしく」
「空気読めよ、人が一人死んで……るんだぞ」
「読めないものをわざわざ読む必要なんてない。空気を読むなんて、顕微鏡覗いてもできない」
「お前とは付き合い切れねぇよ。でも、助けてくれるなんてことしてくれて、感謝するよ」
裕翔は投げやりにそう言った。
屋上に担任が来た。
「お前ら! 屋上は立ち入り禁止だって、言ってんじゃねぇかよ!」
恐ろしいほど、恐くなかった。
*
俺が佳奈を屋上から突き落としたという疑いも晴れ、午後6時半、ようやく解放された。
俺は、もう何も喋る気は無くなっていたが、巴留は彼女のなりの慰めの言葉を拵えていた。
「イセカイスリープは人を殺さない」
もう、何でもありだな……。
俺は、巴留に聞きたいことがあったので、忘れないうちに聞いた。
「お前、廃墟に住んでるのか?」
「人が住んでいる時点で、それは廃墟ではないと思う」
「めんどくせぇなっ! お前は何者なんだよ」
「質問に質問で返して悪いけど、あなたは何者なの」
裕翔は少し戸惑い、そして口を開いた。
「小野寺裕翔、元サッカー部、今は会社員、もうクビ確定だな。あとは、好きな食べ物は……」
「もういい。それは、不必要な情報。私が知りたいのは、君がどういう人間なのか」
「それは……実際に付き合ってみないとわからないだろ?」
「じゃあ君は私から何を得たかったの」
「お前が、どういう……人なのか、どういう生活をしているのか、何時に寝てるのか、何食べてんのか、何分歯磨いてんのかとか……全て」
「醜穢」
「そう言われると思ってたよ。でもマジでお前、謎」
「あなたが知る必要はない。知ろうとしていること自体、謎」
「じゃあ、お前はどうなんだよ、いきなり俺のこと指差して、実在した! とかなんとか言ってさ」
「私は君のことをもっと知りたい、でも、君は私のことを知る必要はない。知ってはいけない」
「なんでだよ」
「私は、『分裂』してるから」
「ハァ?」
*
「良いか、悪いかで言ったら、良くない」
「なんで、『良いか、悪いか』で言ってるのに『良くない』なの? 『良いか、悪いか』で答えなさいよ!」
スピカとルクスの攻防はまだ続いていた。それを必死に止めようとしていたケンジも今ではすっかり諦めきっている。
*
「俺、やっぱりケンジって奴知らない」
だってここには椛島健太がいるのだから。
俺とケンジが異世界で初めて出会った時も、俺は彼のことを健太だと思っていた。しかし違った。だがやはり健太だったような気がしていたのだ。ずっと。そして、今この世界に帰ってきた俺は、ケンジがいないことに気づく。そして、不登校の健太がいるということを俺は知っていた。この世界や俺の記憶が常に正しいとは限らない。俺の記憶は神的な存在によって改変させられているのかもしれないのだから。だが、何故だか俺はケンジの存在を否定しなくてはならないような気がした。そこには本物の「健太」がいるのだから。
——じゃあ、ケンジは何者なんだ?
そして、俺はもう二つ「謎」を抱えている。
一つは、妹が、親になったことがある(イセカイスリープの経験がある)可能性があるということ。
もう一つは、巴留が「分裂」しているということ。
俺は、この三つの謎が気になって昼まで寝てしまいそうだ。熟睡できそうだ。うん。
*
ケンジがいきなり立ち上がった。
立ち上がっただけなのにも関わらず、家全体が一斉に揺れひしめいた。
スピカとルクスは驚き、ケンジの影の長さに圧倒された。
「ケンジ、何よ、いきなり」
「俺、現実に戻って裕翔に会ってくる」
「何よ、現実って」
するとルクスは無慈悲にこう告げた。
「君には、無理だね」