第七話「見つけた」
おはよう、小野寺裕翔。ようこそ、くちあにの世界へ。
彼は声に気付いて目を開けるとそこには、長い髪の隙間から充血した目が覗いていた。恐怖のあまり叫ぼうとしたが、声が出ない。金縛り状態である。
裕翔は、暗い和室に寝かされていて、彼女は着物を着て、俺の布団の側でじっと正座をしている。裕翔がが目を開けると、彼女は彼の目を覗き込むように顔を近づけ、その冷たい手で彼の左頬に触れた。氷水、いや、ドライアイスを当てられたような冷たさ、もとい、痛さだった。
俺は叫びたいが、声が出ない。そして、彼女の顔は徐々に近づいてくる。その反面、彼女もまた、和風テイストの美しさがあることに気付いた。もっと、近づいてほしい。うそ、なんでもない。
彼女の動きが止まった。彼女にじっと睨まれている。妙な静けさを感じた。やはり恐怖しか感じなかった。
彼女の瞳から溢れた雫が裕翔の右頬を濡らした。
「(え……? なんでこいつ、いきなり……)」
次から次へと雫が落ちてくる。すると、彼は動けるようになったことを悟った。左頬に乗っていた手を退かして起き上がった。
「なんで、泣いてんだよ」
俺は彼女の瞳を覗き込んだ。彼女は目を髪の毛で必死に隠していた。すると何か生臭いものを感じた。
「え……」
「あ……」
「貧血にならないようにな」
「くちあに計画も、失敗。裕翔、もう帰ってよい」
「何なんだよ」
玄関の戸を開けると、通学路に出た。
「(何だここか)」
俺がいた場所は通学路の廃墟だった。この世界では、ここは廃墟ではなく、あいつの家だったのか。
部活帰りの中一の妹とその友達が通りかかった。
「うわ、おに……あ、裕翔……? 一人で何してんの」
「友達の家に遊びに……行ってた、よ?」
「そこ、廃墟じゃない?」
「は?」
「早く帰って受験生らしくしなよ」
「う、うぇ」
何だあいつ。うちじゃ全然こんな感じじゃないのに。友達の前だからか? それにしても、やはりここは廃墟なのだろうか。あいつは何者なんだ?
*
帰宅。玄関の扉を開くと、そこには妹と母がいた。
「裕翔、廃墟とか、何があるかわからないんだから勝手に入っちゃ駄目よ」
「そうだよ、お兄ちゃん。心配したんだから」
「人住んでるよ、俺の同級生が」
妹と母は向き合って目を見開いた。
「疲れてるなら、早く寝なさいよ。最近、私が起こしてばっかで大変なんだからね」
「親が朝起きてんのは当然だろ」
「親にならないとわからないことだってあるのよ」
妹は俺を指差して
「そうだよ! お兄ちゃん!」
俺は言い返した。
「お前は親になったことがないだろ」
妹は何か言いたげだったが、躊躇っているようだった。
「何だよ。はっきり言えって」
「私だって……」
母は割って入って
「はい、おしまい。部屋に戻りなさい」
と言って台所の方へすたすたと歩いていった。
「私だって……あるし。お兄ちゃんは、何もわかってない」
と言い残して自分の部屋にこもってしまった。
俺は数分立ち尽くした。
「ハァァァァア?」
*
学校の屋上は立ち入り禁止だが、佳奈に呼ばれて来てしまった。
佳奈は、俺に背中を向けて立っていた。俺は彼女のもとへ駆け寄った。佳奈は泣いていた。
「裕翔くん、またあの世界に戻ろうよ」
俺は彼女が何をしようとしているか悟った。
「だから屋上に来たのか?」
「……」
風の音が聞こえる。聞こえて欲しくない音である。
「あの世界に戻ってどうしたいんだ? スピカやフローラ達にまた会いに行くのか。あいつらが今、お前のことをどう思っているか、わかってるのか」
「知らないよ……そんなこと。でも悪いもん、あの子たちに」
「でも、ここから飛び降りたって、あの世界に戻れるかわからないぞ」
「ここにいるより、全然ましだと思う。そんなに止めるんだったら、私と一緒に……と、飛び降りてよ!」
彼女はそう言い放つと、フェンスの方へ走って行った。俺はそれを追いかけた。
彼女は少し躊躇ったが、遂に飛び降りた。俺は空かさず彼女を抱きしめて一緒に落ちた。
「裕翔くん、ありがと——」
彼女の声が遠ざかっていった。一緒に落ちたと思った。しかし、俺は、学ランの袖を誰かに掴まれていて、宙吊りになっていた。
「……!?」
彼女は少しずつ落ちていく。彼女の涙が彼女を追いかけるようにまた落ちていく。俺は、彼女を追いかけることができなかった。俺は目を背けた。
何者かが俺の袖を掴んでいる。今すぐ離して欲しかった。ただ、俺はショックのあまり、動くことはおろか、声を発することさえできなかった。
「小野寺裕翔、見つけた」
今回から若干短くなります。若干ね。