第四話「眠りから覚め、現実を見る」
晴れてネタ製造機になった俺は、スピカにネタを提供しなければいけなくなった。
「一つぐらいパッと思い浮かぶものは無いの?」
「お前だって、ネタを探しにうろついて、一つもいいネタが見つからないのか?」
「うるさいわね、何かなければあなたをうろつかせるわよ!」
それはそれで色々とまずいが。
俺は閃いた。あの事を話そう。うまく話せるか、うまく伝わるかはわからないが、今はとにかくネタを提供しなければ!
「俺がここに来た経緯を話そうじゃないか」
スピカは、自分が思っていたより必死に聞いてくれているようだった。彼女の半開きになった口は、俺の言葉の一字一句を逃さず取り込んでいった。
「うん、わかった。いいよ、ありがと」
彼女の反応は意外にも薄く、関心があったのかと疑問に思ったが、そう言い残したと思うと既に机に向かっていた。
うろつかされることにならなくてよかった。
*
いつの間にか寝ていたようだ。部屋の雨戸は閉まっていて光は入ってこないが、外から微かに聞こえる小鳥のさえずりが俺たちに朝をもたらしてくれる。
机の上のライトはまだ灯っている。彼女の引きずる鉛筆の音が、壁にぶつかっては跳ね返り、床に積まれた本に吸収されていく。
俺は薄眼を開けてスピカのその横顔を見つめた。ろくに寝てない癖に肌はやたらと綺麗で、髪はサラサラで、瞳は透き通るような海色をしている。コツコツという鉛筆の音が気持ちよくて俺はまた眠りについた。
…………。
「お姉ちゃん、“朝”ごはん」
扉越しのフローラの声で寝覚めた。
扉の向こうから「コトン」というご飯を床に置いた音が聞こえた。
「私、朝要らないからあげる」
スピカが低めのテンションでそう言った。
だが俺は、寝ずに働くスピカの姿を目にしてしまったが為に、なかなか承知ができないでいた。
「スピカさん、お願いだから休んで」
「休むって?」
「休むんすよ」
「それは無理」
「どうして」
「私にとって小説が何なのかという事を、あなたはわかってない」
「わからなくていいじゃないか。他人のことなんだし。取り敢えず飯は食えよ」
スピカは皿をゆっくりと引き寄せた。
「ふぅちゃんの料理は好きだけど、たまごスープだけは好かないのよね」
*
扉を叩く音がした。
「お姉ちゃん、誰と話してるの?」
スピカと俺は焦る。
「独り言よ。ちょっと疲れてるみたいだわ」
スピカは扉に向かってそう言った。
ドアノブが動いた。
「ちょっと入るよ」
フローラが扉を開けようとする。スピカは、俺をベッドの下に転がした。するとスピカは開きそうなドアを抑え、扉を勢いよく叩き始めた。扉が割れてしまうのではないかというくらい大きな音だ。
「きゃっ! 何事!? お姉ちゃん大丈夫なの?」
扉越しにフローラの悲鳴が聞こえる。
「ちょっと、虫が! ゴキブリがっ!」
スピカはそう言ってなんとかフローラを部屋に入れないようにした。
スピカはしばらくしてから扉を叩くのをやめた。
「これでもう安心ね」
スピカは俺に向かって引きつった笑顔を見せた。
「ゴキブリ終わった? 安心?」
スピカの声が扉の向こうから聞こえた。
「(まだいたのかよ!)」
スピカは扉の前に笑顔で座り続けている。
「ふぅちゃん、ひとりにさせてね……」
*
ようやく瞼が開いた。
ここはどこだ。俺は何をしていたんだ——
「お目覚めのようだな、ルシウスの友よ」
裕翔、この世界でいう“ルシウス”の悪友だ。彼らに俺は捕まってしまった。
俺は硬い椅子に縄で締め付けられ、薄暗い部屋に閉じ込められていた。
包丁を片手にリーダー格の男が近寄ってきて言う。
「お前とルシウスはどういう関係だ! 言え!」
俺はしばらく黙り込んだが、応えることにした。
「あいつはルシウスじゃない。裕翔だ」
「どう言うことだ!」
「俺と裕翔は異世界から来た!」
流石に阿呆だと思うだろう。しかし、いっそのこと阿呆だと思われて、さっさと帰ろう。
「俺と裕翔はこの世界の住人ではない!」
俺は思い出した。フローラに禁止されていたことをやってしまった。俺はこの世界の人間として生きなければいけなかったのだ。
「お前、宇宙人か?」
男は俺より阿呆だった。当分帰れそうにないということに気づいた。
次の瞬間、男の「殺せ」という合図で、他の男らが俺の首を絞めた。苦しかったが抵抗できなかった。そして思った。殺すならお前の持ってる包丁で殺せよ、と。
目の前の景色は色彩を失い、虫が湧き、視界を奪った。やがて星が瞬き、稲妻が落ち、俺はあらゆる世界を旅した。そして俺は長い眠りから覚めた。
「ケンジさん……?」
知らない人が俺の顔を覗き込んでいる。俺の鼻の穴まで覗き込んでいるのではないかと思うくらいに。
病院だ。俺の名前を知っているということは……ここは、現実か?
身体が動かなかった。どうやら俺は大怪我を負ったらしい。
*
辛うじて上半身は動いたが、下半身は完全に植物と化した。
懐かしい人がお見舞いに来たが、「久しぶりじゃないか」と言ったら怒られた。「何心配させてんだよ」と言われるのかと思ったが、「三日前くらいに会ったばかりじゃないか」と言われた。
なるほど、俺は階段から転げ落ちてそれから数ヶ月異世界へ行っていたが、俺が戻って来た現実世界では三日しか経っていなかったのか。随分と長い夢を見たものだ。
数週間後、俺は「一月二七日の悲劇(?)」を知ることになる。
*
俺は一月二七日、階段から真っ逆さまに落ち、首を捻った。幸運にも助かった。
だが、裕翔はというと、彼もその日に駅のトイレで気絶して、それ以来目を覚ましていないらしい。また、彼とその日に遊びに行った仲間の一人も“その日”に車に轢かれそうになった猫を助けようとして命を落とした。
俺はその話を中学の同級生に聞いた。その時俺は思った。俺が行った異世界は、死後の世界だったのかもしれない。臨死体験をしたのかもしれない。それでもなければ、これはただの夢だろうが、俺は初めて得体の知れない“異世界”の存在を信じてみたくなった、というより信じなければならないと思った。裕翔たちのためにも。
何を血迷ったのか、俺は階段から車椅子ごと落ちた。
階段から落ちることを恐れてはいなかった。むしろ落ちたかった。落ちれば異世界にまた戻れると思った。俺の居場所はここではない、異世界なのだ、とまで思った。そして「一月二七日の悲劇」を裕翔らに伝えなければ——
「いってぇーッ!」
失敗して思わず声が出てしまった。すぐに気づかれてこっ酷く叱られた。
やはり異世界は無かった。俺の単なる夢だ。異世界は異世界なのだ。
異世界に行くことは失敗し、ただの「迷惑たんこぶ野郎」に成り下がっていた。でもいつか異世界に行ってみせるという気持ちは変わらなかった。
*
「本当に殺しちゃったよ!」
男の中の一人は言う。リーダー格の男は動じない。
「そこらへんに捨てておけ」
ケンジは男達に担がれて近くの森に捨てられた。
裕翔がその森に逃げ込んで来た。すると彼は泣き始めた。
男達は遠くからその光景を見ていた。
「ルシウスが泣いてるぞ!」
「あいつそんなやつじゃねぇだろ……」
「あいつが本当にルシウスじゃないとしたら……」
すると裕翔の背後から女が近寄って来たため、男達は裕翔に絡むのをやめた。
女は裕翔を連れ去り、家へと入っていく。
こうして男達に彼らの居場所がバレましたとさ。
*
数日後、男達はスピカの家を訪ねた。
「ルシウス! いるんだろ! 開けろよ!」
男達は扉を叩く。フローラは扉を開けてしまった。
「どちらさま……ですか?」
男の一人は叫んだ。
「ルシウス!」
「を出せ!」
「人違いじゃないですか?」
「俺らは確かにこの目でルシウスがここに入っていったのを見たんだ!」
「そう言われましても……」
男達はフローラを振り払って家に入ろうとした。
「ちょっと待ってください!」
フローラの訴えを無視し、ズカズカと足を踏み入れた。
「隠れてねぇで出てこいよ」
「友達だよなぁ……。忘れちまったのかよ」
部屋は静まりかえっていた。彼らはスピカや裕翔がいる二階に行こうとした。
階段の前にはスピカが待機しており、二階には行かせないと言って塞いでいた。
男達は、「誰だ、お前」と言ったが、
「あなた達こそ誰よ」とスピカに言い返される。
スピカは男達の背後の何かに気づいた。
「あ! ケンちゃん!」
「ケンちゃん?」