第十話「蟻」
扉が開いた。
その姿は、ケンジとは似ても似つかなかった。
先生の言う通り、普通に暮らしているようだが、何か違和感を感じる。
違和感を、感じる……。
裕翔は部屋に入った。普通だ。もっと、こう、病んでいるイメージを持っていたのだが、特に病んでいる人の部屋でもなさそうだ。
しかし、裕翔は自身の変化にも薄々気づき始めていた。昔だったら、もう立ち直れないだろうということも、今となっては、次の日には忘れてしまっているという具合である。彼は、その変化を恐れていた。そのうち、人の為に涙が流せなくなるのではないかと思う時もある。だから、彼の目には普通に見えていても……ということもあるかもしれない、と彼は悟っていた。
健太は言う。
「で、何しに来たんだよ」
裕翔は少し、間を置いたが、優しめの口調で厳しく当たった。
「健太は何してるの」
健太は胸に手を当てて、「ああ」と声を発した後、布団に戻ってしまった。
「ごめんよ」
裕翔は布団に向かってそう言うと、
「出てけよ」
と布団に言われた。
布団はモゾモゾと蠢き、やがて動きが止まった。
「俺はどうせ皆から忘れられてるんだ。皆よ、私のことなど忘れるがいい。私はそういう運命を背負っているんだ」
布団からはこもった声が漏れていた。
「俺は、いても、いなくても、変わらない。誰からも、必要とされていない。俺はね、いじめられている人を見ると、羨ましくなるんだ。皆に相手にされてるからね。俺は……? 皆、俺のことを人間だと思ってないのか? 俺はそうやって誰からも相手にされないまま、道の真ん中に取り残された蟻のように、知らない間に踏み潰されて苦しみ、踠き、死んでいく運命——」
「やめろよ!」
裕翔は思わず叫んだ。
布団がざわっと音を立てて震えた。
「お前は一人じゃないだろ。今ここに俺がいるじゃないか」
布団の隙間から潤んだ瞳が覗いている。
裕翔は「ごめんよ」と言って、健太に背を向けた。
「……?!」
そこには巴留がいた。
「なんで、ここにいるんだよ……!」
巴留は裕翔を無視し、健太の方へ近づいていった。
布団が小刻みに揺れている。健太は息を殺そうとしているようだったが無駄だった。
「健太……くん」
——巴留。
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