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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第3部 その一歩を踏み出すためには
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84.伊織、心強さと緊張と、ぼんやりする努力

『山崎さん、さっきのお礼に、情報を提供します』


 神月悠からそんな電話がかかってきたのは、ちょうど白塚とともに神奈川県内の指定された「持ち場」に到着した頃のこと。

 私鉄の各駅停車しか停まらない小さな駅。駅前に小規模な商店街があり、その一本裏手はすぐに住宅地となる。創湘学館の教室は、商店街の外れに近い六階建てビルの、二、三階部分に入っている。その場所を一度確認し、周囲を少し歩いてみようと教室に背を向けた時、携帯電話が震えだしたのだった。


『こちらの指定する場所に、今から来てもらうことはできますか?』

「今からだって? 無茶を言うな。こちらは例の学習塾周辺の警戒中で、持ち場も決められているんだよ。きみが言っていたとおりにね。勝手に持ち場を離れるわけにはいかない」


 少し先を歩く白塚を気にして、山崎は声をひそめた。

 電話の相手はほんの一瞬だけ考えるような間をあけて、すぐに別の提案をしてくる。


『それじゃ、こちらから山崎さんたちに合わせます。山崎さんの持ち場はどこですか?』

「……なんだって?」

『いちいち時間を取らせないで、早く教えてください』


 苛立ちも侮蔑も感じられない事務的な口調だが、その言い方には腹が立つ。


「あのな……」

『創湘学館の、何教室?』


 抗議をぴしゃりと遮られ、仕方なく山崎は教室名を告げた。

 地図でも確認するような間があって、彼は再び口を開く。


『悪くない場所だな……周囲の教室との距離も適度に開いてますね。ちょうどいい『物件』もありそうだ。山崎さん、教室から少し離れて、これから言う条件に合う場所を探してください。その場所に、哲也くんを呼び出します』


「勝手に話を進めるな! いいかい? 俺は持ち場を離れちゃいけないことになっているんだ。自由に動くことはできないんだ。警察ってもんはな――」

『でも、そこで張っていても哲也くんは現れません』

「ああ、教室所在地はほかにもたくさんあるからな」

『どの教室にだって現れません。警察がいる場所に、哲也くんが進んで行くわけないじゃないですか』


「……なんだって?」

 昨日の話とは百八十度違うことを言う神月悠に、山崎は思わず間の抜けた声を上げてしまう。

「だって、きみが昨日そう言ったんじゃないか」


 分かってないなあ、とでも言うかのように、電話の向こうの少年はため息をついた。


『そこに現れるなんて一言も言っていません。彼の行動範囲が分かるって言っただけです。警察の皆さんに哲也くんのテリトリーを警戒してもらいつつ、哲也くんをちょっと焦らせて『呼び出す』場所を空けるための作戦です』

「な……なんだとおっ?」


 つい大声になり、前方の白塚を気にして口元をかばう。白塚は、注意深く辺りを見回しながらも何気ない足取りを装ってぷらぷらと歩いていく。距離が開いてしまったことに気づき、山崎は声をひそめながら慌てて追った。


「待ってくれよ。きみらの『作戦』とやらに、警察が全員踊らされてるっていうのか?」

『そういう捉え方もできますが、『踊らされる』って言い方は不適切ですね。それも重要な役回りですから」


 しれっと言う高校生に、山崎の苛立ちは募る。彼の言っていることが茶番や遊びなのだろうという疑念は、いつの間にか消し飛んでいた。


『山崎さんにだけ、先にお知らせしておきます』

 神月悠はその口調を幾分真剣なものに変えて、言った。

『哲也くんは俺たちが呼び出します。彼が本当にその場所に現れるかどうかは分かりません。正直、賭けです。だけど上手くいったら警察に彼の身柄を預かってもらうと思うので、近くにいてもらいたいんです。大勢駆けつけられて彼に警戒されるとマズいから、山崎さんたちだけで来てください』


「だから、ちょっと待てよ。教えてもらったって、勝手に行動するなんて出来やしない」

『連続放火殺人事件がいっこ解決するんです。後からどうにでも言い訳を考えればいいでしょう』

「無茶言うな。正規の手順を取らなければ、正しい解決にはならないんだ。捕まえりゃいいってもんじゃない。その後で――」


『山崎さん』しかし神月悠は、冷たい声でまた山崎の抗議を遮った。『まだ分かってもらえないみたいですけど、これは普通の事件ではありません。『正規の手順』も『正しい解決』も、ありません。この方法以外で哲也くんを捕まえる方法はない。山崎さんが嫌だと言うのなら、ほかの人に同じお願いをするだけです』


 その声色にぞくりと肌が粟立って、この自分の半分以下の年月しか生きていない少年に、昨日から徹底して主導権を握られていることを思い出す。そのことに大いに不満を抱きながらも、山崎は怒りを腹の底に押し込めて、一応相手の要求を聞くことにする。


「……それで?」

『ええ。条件に合う場所を探してもらいたいんです。その駅から北西に五百メートルくらい行った場所に、川があります。住宅も少ない。その川の近くで、できるだけ大きな鉄筋の廃屋を探してもらいたい』

「大きな鉄筋の廃屋?」

『はい。倉庫、工場、ボーリング場。そんな、内部に広い空間がある建物です。誰もいなくて誰にも見られない場所。中に燃えそうなものがないところが理想的。周りにほかの建物もなければベストです。周辺に聞きこんでもらっても構いません』

「きみね……そんなこと……」


『大丈夫』きっぱりと言い切る少年。『山崎さんに迷惑は掛けません。後から問題になることもありません。一時間後に電話します。それまでに探しておいてください』


 一方的に言って、通話を切る。

 どういう根拠があって、後から問題にならないなどと言っているのか。迷惑ならばすでに掛けられている気がする。第一……。


 山崎が電話にかまけて遅れていることに気づいたらしい白塚が、振り返って不穏な目でこちらを睨んでいる。

 第一、この頑固な相方をどう説得すれば、神月悠の依頼を遂行できる?


 大きなため息をついて、山崎は小走りに白塚に追い付いた。

「白塚さん。お願いがあります。どうかこれから一時間だけ、何も聞かずに俺に付き合ってもらえませんか?」


 頭を下げた山崎に、案の定、白塚は不審そうに眉を顰めた。








 学校からバスと電車をいくつか乗り継いで、伊織は神奈川県の私鉄の駅に降り立った。

 島式のホームにはベンチが二つ。自動販売機がひとつ。そのほかは何もなく、フェンス越しにロータリーとその向こうの商店街まで見渡せる、小さな駅だった。フェンスの脇には菜の花の群れが断続的にホームの先まで連なっていて、散りかけの黄色い花が風にそよいでいる。電車を降りる人は少なかった。


 一緒に来たキョウは、電車の乗り換えのたびに電話をかけ、乗っている間は何やら忙しそうにスマートフォンを操作するばかりで、ほとんど話しかける隙がなかった。一言、伊織の頼みを聞いてくれてありがとう、と伝えたいのだが。


(それに……)


 思い出して、少しばかり恥ずかしくなる。


 友達になってくださいって。勢いで思いっきりいろいろぶちまけてしまった気がするが、その後でその件に関してキョウとは何も話していない。キョウは伊織の一方的な告白を、どう思っただろう。


(むしろ変な奴だって思われてるよなぁ……)


 ホームに降りて立ち止まり、また真剣な顔でスマートフォンをいじっているキョウを横目で窺う。

 その視線に気づいたのかどうか。キョウは伊織に向かって目を上げる。まともに目があってしまい、思わず姿勢を正す。キョウは構わずに、

「こっち」

 と改札を目で示し、進みだした。


 駅前のコンビニでネットプリントを利用してA四サイズの一枚の紙を印刷すると、キョウはそれを数秒の間じっと見て、コンビニを出たところで伊織に手渡した。

「ここに書いてある道順どおりに進んで、丸印のとこで待て」


 紙には地図が印刷してあり、今いる駅から目的の場所までのルートに線が引かれていた。

 いよいよ「自分の仕事」が始まるのだと、緊張を新たに伊織は唾を飲み込む。


「で、もしも哲也が現れたら、たぶんこの――」地図上の、長方形の大きな建物らしき印を指さして、「建物の中に連れ込もうとする。哲也のほうから言い出さなかったら、お前から誘導すんだ。『人のいない場所で話したい』とかなんとか言って」


「わ、分かった」

 出来るだろうかと不安には思うが、哲也を説得するのだと大見得を切った手前、伊織は頷かざるを得ない。


「俺は、後からついてく」

 キョウはわずかに声をひそめるようにして、少しだけ伊織に顔を近づける。

「ハルも次の電車でこっち向かってる。楠見も来る。お前、とりあえず一人になるけど、俺はずっとお前が見える場所にいるから」


 それはだいたい一通り聞いていた「作戦」だが、改めて言うのは緊張しきっている様子の伊織を慰めるためだろう。

 気遣いに感謝して、伊織は頷いた。


「あ、あの、キョウ」

「ん」

「ありがとう」


 するとキョウは少しだけ前のめりになっていた背を起こして、首を傾げた。


「あの……俺、無茶なお願いしたのに、聞いてくれて」


 足手まといにしかならない伊織に、もう一度チャンスをくれて。

 伊織の願い出に付き合うと言ってもらえて、凄く嬉しかったのだ。けれどもキョウは、よく分からないというように瞬きをする。


「別に。だってこれは」

「あ、うん。仕事だもんね」


 紙を折りたたんでポケットにしまいながら曖昧に笑うと、


「そうだ」

 キョウは無表情にこくりと頷いた。そうして「それに」と付け足す。


「友達じゃん」


「……え?」


 何気ない調子で出てきた一言に、伊織は目を見開いてまじまじとキョウの顔を見てしまう。


「じゃあな」

 けれどキョウは、特段なんの感情も窺えない顔で言って、くるりと背を向けた。


「え?」


 目的地とは違う方向へと歩き出すキョウ。


「ええっ?」


 思わず声を上げてしまった伊織だが、離れていくキョウの背を見送ってハッと我に返る。

 そうだ、こんなことをしている場合ではないのだ。

 両の頬を手でパチッと叩き、自分も駅に背を向けて歩き出した。


 きっとキョウはどこかで引き返して伊織が目に入る場所にいてくれるのだろうが、振り返って探すことはしない。

 駅前で別れて、伊織は一人でどこかに向かっている振りをするのだと、それが作戦だった。


 哲也が現れるかどうかは分からない。彼は「人」を目当てにテレポーテーションができるそうだ。だからどこに行こうと、伊織が一人でいて隙があると分かれば姿を現す可能性はある。もちろん、罠だと思って出てこないかもしれない。

 警察や組織に取り囲まれている状況で、哲也が焦って無茶を承知で危険を冒して出てきてくれることを願うしかない。


(哲也さん、会いに来てください)


 心の中で呼びかけながら、信号の変わるのを待って伊織は指示された道を歩き出す。


 駅から続く通りの両側には、ハナミズキの木が花をつけていた。

 街のあちこちから何かの花のいい香りが漂ってくる。


 これから起きるかもしれないことも、哲也の抱える境遇も、伊織の決死の心境も。この穏やかな空気の中ではどうにも非現実的でチグハグで、奇妙な感じがする。

 けれど。後ろに信頼できる人たちがいて、自分を守ってくれている。彼らとの繋がりは、現実のものなのだ。

 その心強さに背中を押されて、伊織は黙々と足を進めた。




「待つように」と指定された場所は、駅から指示されたとおりの道を十分ほど歩いた、川に架かる小さな橋だった。橋を渡った先に、川に面して広い駐車場があり、その奥には元は郊外型の大型スーパーかホームセンターか何かだったらしい廃屋。

 そのさらに向こうには広い県道が通っていて、車がちらほらと行きかっているのが見える。


 橋のたもとに木製の古そうなベンチが置かれているのを見つけて、伊織はそこに腰かける。

 緊張を表に出さない方法に迷った末、携帯電話を取り出してそれをなんとなくいじっているような振りをすることにした。


 ぼんやりするように努める――難しい注文だ。


 所在なく携帯に目をやったまま、ベンチに座ってから二十分ほどの時間が経っていた。川沿いを温かい風が吹き抜けていった。自転車に乗った中年の男性が川に沿って通り過ぎていった以外、人は通らない。

 さらに数分。ぼんやりとただ待つということに、慣れてきたころだった。


 唐突に、手に持っていた携帯電話が震え始める。驚きに、思わず携帯電話を取り落としそうになって、慌てて握りしめ表示を確認する。相手は携帯電話ではない。知らない番号だった。

 恐々と、通話ボタンに手を触れて電話機を耳に当てる。近くで伊織を見ているというキョウの姿を探したい気持ちになったが、堪えて川面へと目をやって。


「……はい」

『伊織だな?』


 低くそう聞いてきた声の主は、果たして哲也だった。


「はい」

『今、一人か?』

「あ、はい……」


 それはだが、哲也の期待する状況なのかと言われれば、違う。少しだけ後ろめたさを感じながら、肯定する。わずかな逡巡を、哲也は察しているかもしれない。


「哲也さん」

 けれどこの機会を逃すわけにはいかない。伊織は自分から切り出すことにした。

「あの、話したいことがあるんです。だから、その……会えますか?」


 電話の向こうで哲也は少しの間、迷うように黙る。

 ほんの数秒。だがとてつもなく長く感じられる、数秒間。祈る気持ちで、伊織は電話機を握りしめていた。


『その場所で、少し待て。また掛ける』


 それだけ言って、通話が切れた。

「その場所」がどこなのか、それは分かっているという口ぶりだった。

 携帯電話を見つめ、伊織は手が汗ばんでいることに気付いて腿にこすり付ける。


 聞いていた「作戦」どおりなら、哲也は正面に見える廃屋を探りに行っているだろう。安全な場所かどうか。内部に侵入することが可能かどうか。

 五分と経たずに、再度電話が鳴る。


『伊織。そこから正面に、建物が見えるな? スーパーの』

「あ、はい」


 ドキリと心臓が鳴ったのは、電話の向こうに聞こえているはずはない。けれどそれが伝わってしまうような気がして、伊織の声が引きつるのを堪え、


「み、見えます」

『そこから見ると建物の右側に、入口がある。そこに向かって歩いてくれ』

「あの、……はい」


 答えながら、立ち上がっていた。

 来るように言われた建物の右手に目を凝らすが、人影は見えない。哲也はそこにいるのだろうか。電話機を手に握りしめ、伊織は駐車場に足を踏み入れた。







『伊織が動いた』


 前方数十メートル先の駐車場越しにその建物へと目をやりながら、ハルはキョウからの電話を受けた。

 足を止め、木立の陰に隠れて一度周囲を見渡す。建物の前を走る県道を行く車は、多くはない。人の気配はほとんどない。建物の中で何が起きても、しばらくの間は誰にも気付かれないだろう。


(山崎さん、なかなかいい場所を見つけてくれたな)


 再び建物に向けて目を細めた。

 そこで――。


 ふと感覚に触れる気配に、ハルは集中する。ハルの場所からでは、伊織もキョウも、哲也の姿も見えない。伊織が哲也から指示されたであろう建物の入口は、大きな建物の向こう側だ。けれど――。


『ハル?』

 電話の向こうで、キョウが声をひそめて呼ぶ。何かに気付いたか。


「ああ、うん。俺はしばらく外側を見張るよ」

『分かった。そんで……』

「うん?」


 少しばかり言いにくそうに言葉を切ったキョウに、ハルは周囲に気を配りながら聞き返す。キョウはいささか早口で、


『あのさ、一回だけ目ぇつぶって』

「……は?」

『じゃあ、後でな!』

「あ、ちょっと、キョウ!」


 慌てて呼び止めたが、キョウは言い終わると同時に通話を切っていた。

 口を歪めて、ため息をつく。しかし、また肌に違和感が触れて、ハルはさっとそちらに目を向けた。


(一人や二人じゃない……早かったな)

 神経をピリピリと刺激する。それは、サイの気配だった。

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