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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第3部 その一歩を踏み出すためには
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75.糾弾。後悔。そして慰めと謝罪

 楠見がハルとキョウのマンションに着く頃には、日付が変わって一時間近くも経とうとしていた。

 両手に持っていたスーパーの袋を持ち替えようとしているところで、ドアが開いてハルが顔を覗かせる。


「ハル、遅くなって悪かったな。キョウは?」

 ハルが開け放ってくれたドアを肩で押さえて入りながら、楠見は尋ねる。ハルは楠見の両手の荷物を一瞥して、玄関に入った。


「心配要らないって。今はちょっと熱っぽいけど。まあ、元気だし」

「……なんだ……そうか……撃たれたって言うから……急いで来たんだ……そうか」


 深い安堵のあまり思わず出てしまった言葉だったが、ハルの表情の険しさに、楠見は自分の失言に気づき靴を脱ごうとしていた足を止めた。


「『なんだ』ってことはないと思うんだけど。撃たれたんだし」

「す、すまん! そういうつもりじゃないんだ、分かってる」

「『急いで来た』って言うには遅いし」

「悪かったよ。こっちもいろいろ大変だったんだ……」


 楠見は両手に重いスーパーの袋をぶら下げたまま、弁解を試みる。


「……しかもお前、なんだレバー一キロって、この時間どこも売り切れで探し回ったんだぞ? それがなけりゃもう一時間早く着いた」

「だって、今うち異様に人口が多いんだよ? みんな朝ごはん食べるだろ?」

「……にしたって、お前、レバー要るのはキョウだけなんじゃないか?」

「キョウにだけレバー食べさせるなんて、可哀相じゃないか。みんな食べるんだよ」

「…………レバー嫌いなのも、キョウだけなんじゃないか……?」


 もしかしてハルも嫌いなのか? 疑いの眼差しをぶった切るように、ハルは楠見の両手の荷物に改めて厳しい詮議の視線を向けた。


「それで、レバーはあったんだね?」

「ああ。駆けずり回って一キロ確保してきたよ」

「ひき肉も、あるね?」

「ある」

「よし。入って」

「ありがとう」


 楠見はようやく靴を脱ぐことを許された。


「けどな、お前なあ」

 リビングに向かうハルの背に続き、楠見は苦言を呈する。

「だいたい奴が一向に目を覚まさないから遅くなったんだ……お前、ちょっとやりすぎだぞ」


「うっかり力が入っちゃったんだよ」

「犯罪行為はやめてくれよ? 俺はなるべくそういうことはしたくないんだ」

「もう遅いでしょ。人ひとり縛り上げて連れ帰って軟禁してるんだもん。客観的に見たら立派な犯罪だよね」


 痛いところを付かれ、顔を顰める。


「そりゃまあ、そうだが……だがな、犯罪組織と同類ではないという矜持がある」

「自己弁護だよね」


(随分とまあ、機嫌が悪いな……)


 楠見は内心で頭を抱えた。キョウが撃たれてハルが機嫌のいいはずもないが――そう思いつつリビングに入るところで、廊下の先の部屋から牧田が静かに出てくる。


「おー楠見、お疲れー」

「ああマキ、悪いな、遅くまで……。キョウはどうだ?」

「ちょっと失血が多いけど、骨にも傷ついてないし、そんなに性質たちの悪い傷じゃない。熱が引けば心配ないよ」

「そうか。……左腕って言ったな」

「うん。ここんとこ」


 ソファに座って、牧田は自分の肘と肩の中間くらいに手を当てた。

「今はちょっと熱があって痛そうだから、薬を増やしてきた。眠っちまったけど、顔、見てくるかい?」

「いや……まだ眠ったばっかなんだろ? 起こしちゃ悪い」


「うん。まあキョウのことだからね、すぐに治しちまうよ」

 牧田は苦笑混じりに肩を竦めた。

「とりあえず、明日一日は休ませて――念のため数日の間は、あんまり左、使わせないようにね」


 楠見は腕を組んで、ため息をつく。

「今キョウが動けなくなるのは、痛いなあ」


「本人はすぐにでも動く気満々だどね」

 楠見の買い物をキッチンに片付けながら、ハルが声を上げた。牧田がそれを受けて、困った顔をする。


「無理は駄目だよ?」

「そう言って聞いてくれるならいいんだけどね……」

 他人事みたいに言って、ハルは冷蔵庫のドアを開けた。


「ああハル、ついでにちょっと氷と水を入れてくれるかい?」

 ダイニングテーブルに置いてあった洗面器をカウンターから差し出して氷水をもらうと、牧田はまたキョウのところに戻っていった。


「楠見。何か飲んでいく? コーヒーすぐに入るよ」

「ああ、もらおうかな。あんまり長くいられないんだが」

「了解。それで、あいつは結局目を覚ましたの? 何か分かったの?」

「目は覚ましたが、何も言わない。『本店』のサイには間違いないと思うんだがな。明日の朝イチで琴子に来てもらうよ」

「読めるかな……また『ロック』されてるってなると」

「かもな。ハル、お前、朝だけちょっと来られないか?」

「『ガイド』するの? いいけど、キョウの様子次第だなあ」

「できたらでいいよ。お前が一番安心なんだが、無理ならほかを当たる」


 ダイニングの椅子に座って、もうひとつの心配事を楠見は口にした。


「で……伊織くんは大丈夫なのか?」

「かーなりショックだったみたいだよ。口もきけなくなっちゃうくらい。たぶん哲也くんに会ったと思うんだけど、話せる感じじゃないんだ」

「……そうか……」

「まったくねえ、刺激強すぎだよ」


 湯の沸いたケトルを取ってコーヒーを入れながら、ハルはキョウが撃たれた「動機」らしきものを語る。聞いた楠見は額に手を当てて、腹の底から息を吐き出した。

「なんだ、それは……」

 ほかの感想が出て来ない。


「……そんなことのために、わざわざ撃たれてやったって言うのか?」

「本人は、避けられると思った、と言っている。本当に撃たれたのは計算外で、ちょっとヒヤッとさせて脅かすつもりだったらしい」


 そんなわけあるか、と楠見は思う。キョウは自分の心身に対する執着が、異様なほどに薄いのだ。撃たれたら撃たれたでいいと思っているのに違いないのである。

 出会った頃からずっと危険を感じている。あの頃よりは少しはマシになったかと思うのだが、何かの拍子にこういうことになる。

 コーヒーを持ってやってきたハルを、手を額に当てたままチラリと見上げた。ハルの不機嫌な理由は、それか。


「俺もちょっと、失敗しちゃったんだ……」

 両手で持ったコーヒーカップに口をつけて、ハルは目を伏せてぽつりと言った。


「失敗? お前が?」

「……俺、伊織くんのこと、焚き付けちゃったのかもしれない……キョウが伊織くんの封印を解こうと思うには、周りがどうこう言うよりも、伊織くん自身が覚悟を決めて彼本人がキョウをその気にさせるしかないって思ったんだ」


 言って、少々目を上げる。

「それで、ちょっと遠回しに……だから伊織くんは、一人で哲也くんに会いに行こうとしたのかな。自分で行動して、覚悟を示すために……」


 効き目は予想以上に、予想外の方向に現れたわけか……。

 楠見はハルと目を合わせ、それからカップに目を落として、少し考える。


「俺もなあ……」

 苦い気持ちで言葉を発する。

「キョウに、伊織くんの封印を解きたくない理由を自分でしっかり説明するべきだって言ったなあ。……それで、説明する代わりに行動に出ちまったのかな……」


 いつになく落ち込んでいる様子のハルにつられての告解だったのだが、それを聞いたハルはキラリと目を光らせて楠見を睨んだ。


「そうか、それじゃあ楠見のせいだ」

「なっ、えっ? 俺? お前いま自分の失敗だって……いや、俺も悪かったけど、そりゃお前……」

「いーや、楠見のせいだ」


 カップを乱暴に置いて、コーヒーが少々こぼれたのにも構わずハルは判決を言い渡す裁判官みたいな堂々とした姿勢で、楠見を糾弾し始めた。


「だいたい楠見が、伊織くんの封印を解くとか、そういう大事な選択を伊織くんやキョウに任せるからこういうことになる。二人ともお互いに距離の取り方が分からなくなっちゃったんだ」


「いや、それは……すまん」


「楠見が必要だからやれって言えば、キョウは伊織くんの封印を解くよ。サイコメトリーっていう能力があれば、仕事に便利だから、その能力者が欲しいからって言ったら、やるよ。それをね? やってもやらなくてもいいみたいに言ったら、あいつはやるって言えないよ。これまでのみんなとは違って、能力を持て余してるサイを救済するんじゃないんだ。この世界に足を踏み入れたりしなくてもいい人間を引き込もうって言うんだ」


「……その通りだ。すまん」


「キョウが伊織くんと友達になりたいと思ってもね、それはキョウにとっては自分の我がままなんだ。キョウはいつだって、自分の希望通りに物事を進めちゃいけないと思ってる。だから、伊織くんの封印を解いて彼を仲間にしたいなんてことは考えられないんだ」


「わ、分かった、ちょっと待て、……ちょっと落ち着け」

 捲くし立てるハルに、楠見は両手の平を向けて宥める体制をとった。

「つまり、その……キョウは、本当は伊織くんの封印を解きたいのか?」


 恐る恐る聞くと、ハルは憤然と腕を組んで椅子の背にもたれかかった。


「キョウは伊織くんのことが好きなんだ。仲間にしたいんだよ」

 鼻で大きな息をついて、ハルは楠見を正面から睨む。


「だけど――これ以上に近づいて、嫌われるのが怖いんだ」

 幾分視線を下げて、ハルは語調も落として続ける。

「もしも伊織くんが自分の能力に耐えられなかったら、キョウは伊織くんの能力を斬らなきゃならないんだよ?」


「……ああ」

 言わんとするところを、楠見も理解した。たしかに。伊織が能力に耐え切れなかったとしても、キョウに対処できる――だから彼の封印を解くということに関してそこまでの危険を感じることはなかったのだ。ハルもそれは同じだろう。当然のことのように思っていた。けれど。


「自分の希望で伊織くんの能力を解放して、それが伊織くんを傷つけるだけの結果に終わって、最終的には能力を奪うことになって……」


 伊織は、自分の能力を解き放つことに期待を抱いている。その期待が崩れ去れば、伊織は今以上の絶望を感じるかもしれない。希望を持たせた分、余計に。


「そうして伊織くんに『こんな能力なければ良かった』って。『サイになんか関わらなきゃ良かった』って、そう思われるのが怖いんだ」


 そして、その時――。


「その時キョウは、伊織くんの絶望にとどめを刺さなきゃならないんだ……重いんだよ、タイマは」


 ハルが逸らした視線の先に何を見ているのか。それは楠見にも、想像がついた。同じ家に、同じような能力を持って生まれた。それでも決して同じ役割を果たすことのできない――辛い役目を代わってやることのできないもどかしさや居たたまれなさを常に心に抱き続けている、ハルの葛藤だった。


「俺ね……」ハルは視線を床のほうへと落としたまま、ぽつりと言った。「伊織くんは、キョウを変えてくれるかもしれないと思ったんだ」


「……うん……」

「俺たちそれだけ足りじゃない。伊織くんみたいな存在が、必要なんだと思って」

「うん」

「だけど、失敗だったかな」


 床に視線を落としたまま苦い微笑みを作るハルの、次の言葉を、楠見は待つ。


「俺の勝手な希望で、伊織くんのことも、キョウのことも、傷つけただけで終わっちゃうかも」

「……ハルは、どうしたいんだ?」


 ハルはゆっくりと視線を上げて、楠見と目を合わせる。


「伊織くんのこと。キョウの気持ちは抜きにしてな。ハルは、どう思っているんだ?」


「俺は……」

 テーブルに頬杖をついて、当たり前のような笑みを作ってハルは言った。

「キョウが良ければいいよ。キョウが嬉しそうな顔してれば、俺はなんでもいい」


 楠見は小さく息をついた。そうして残ったコーヒーを一気に飲み干して立ち上がり、ハルに目を落とす。


「失敗にはならないよ。たぶん、な」

「そうかな」

「うん。伊織くんは、本当に稀有な人材だと思うよ」


 肩を竦めたハルに、楠見は微笑んで、戸口に向かう。


「ごちそうさま。学校に戻るよ。その前に、伊織くんと話していくかな――」

「うん」


 ハルの見送りの視線を背後に感じながら、楠見はリビングのドアを出た。







 伊織は一人、携帯電話を握り締め、ベッドにもたれて座り込んでいた。眠れるはずもない。

 少しだけ落ち着いて、哲也はどうしただろう、と思う。危険を察し、テレポーテーションの能力を使って逃げたのだろう。自分は命を狙われているが、伊織ならば傷つけられたりはしないだろうから。そう考えたのだと思えば、あの場に伊織を置き去りにしたことを恨めしく思う気持ちはない。

 それでも、結果として伊織は撃たれかけ、伊織を庇ったキョウが大怪我をした。そのことで、哲也の行動は伊織の胸にトゲのように突き刺さっている。


 携帯を確認する。哲也から電話が来るかもしれないと思い待っているのだが、一向に着信の気配はない。

 彼が電話をかけてきたら、自分は安心するのだろうか。哲也を責めるのだろうか。哲也は、伊織のことを心配してくれているのだろうか。伊織に責められたら、謝罪するのだろうか。弁解か、それとも開き直りか――想像するたびに、胸のトゲは深くなる。どんな言葉も、今は聞きたくなかった。


 時おりドアの外をパタパタと慌しげに人の通る音がして、そのたびにギクリとする。キョウの具合が悪くなりでもしたら――そう考えて、やはり動き出してドアを開けてみることもできずにいる。

 そして、何もできずにいる自分に、どうしようもない自己嫌悪を感じていた。


 携帯をまた持ち上げて何度目かのため息をついたとき、部屋の戸をノックする音が聞こえた。

 誰にも会いたくないような、それでいて誰かに来て欲しいような、そんな複雑な心境を持て余して、伊織は小さな声で「はい」と答える。


 遠慮がちにドアが開いて、顔を覗かせたのは楠見だった。


「伊織くん、まだ起きてる? 少しだけいいかな」

「……あ、はい」


 立ち上がり、ベッドの上に座り直した。楠見は机の前の椅子に腰を下ろす。だいぶ前に日付が変わっていた。こんな時間まで楠見はずっと働いていたはずなのだが、疲れは感じられない。いつもと変わらないスーツ姿。ネクタイの結び目に至るまで崩れた様子は少しもない。


「伊織くん――」

 楠見は膝の上に両肘をつき両手を組み合わせ、身を前に傾けた。

 いよいよ自分の向こう見ずな行動を叱責されるかと身構えた伊織だったが、楠見はそんな伊織に向けて痛ましげな表情を作った。


「大丈夫?」

「……あの……はい……」


 楠見は軽く息をつくと、小さく頭を下げた。


「悪かった」

「……え?」

「きみにも峰尾くんにも、俺と『本店』との関係や、現段階で分かっていること全てをしっかり説明しておけば、こんなことにはならなかったかもな。哲也くんに妙な警戒心を抱かせずに、保護できたかもしれない。きみたちに深い事情まで打ち明けて、これ以上混乱させては良くないと思ったんだが、それが裏目に出てしまったね。その上、キョウのことだ。申し訳ない」


 静かな瞳で言われ、伊織は目を伏せる。楠見の口から出た言葉は、伊織にとってはまったく予期していないものだった。優しい言葉を掛けてもらった安堵と、正しく叱責をしてもらえない落胆がない交ぜになって、胸を締め付ける。


「あの……いえ」

 やっとそれだけ答えると、楠見は頬を緩めた。


「ひとまず、顔を見て安心したよ。きみが無事で良かった」

「いえ、だけど、その……キョウが……」


「まったくね……」笑顔を少しだけ困ったように崩し、楠見は小さくため息を落とす。「キョウの無茶には俺たちは慣れっこだけど、こういうことになるとね……。怪我が良くなったら、しっかり言って聞かせるよ」


(まただ……)

 と、伊織は思う。


「あの、どうして……」

「うん?」


 堪らずに、伊織は言葉を絞り出す。続く言葉など考えていなかったが、自然と溢れる。


「どうして……みんな、そういう風に……俺が悪いんです、一人で勝手な行動したから。みんなに守ってもらわなきゃならないような、一人じゃ何もできないような人間なのに……、思い上がって、俺……自分でも何かしたいなんて思って……」


 楠見は姿勢を変えずに、真っ直ぐに伊織を見つめていた。伊織がそう言うことも分かっていたような表情で、必死に言葉を手繰る伊織を待っている。


「キョウは俺のこと庇って、助けてくれて……だから、叱られるなら俺のはずなのに……誰も、何も、言わないから……」


 涙が滲んできた。真っ直ぐに伊織を見つめている楠見と視線を合わせることができず、思わず俯くと、涙がこぼれそうになる。

 少し待って、次の言葉のないことを確認したように、楠見がまた声を掛けた。


「伊織くん、キョウはね」


 泣いている顔などまともに向けられず、伊織は目だけ上げる。楠見は笑顔を引っ込めて、わずかに表情を引き締めていた。


「あいつは生まれた時からサイとして訓練をされて、子供の頃からこの仕事をしている。どうすれば安全に仕事を遂行することができるか、何がどういう風に危険か、ちゃんと知っている。そのキョウが、守るべきはずのきみを危険に晒して、後あとまでこんな思いをさせるなんて、あってはいけないことだよ」


「……だけど、俺が――」


「きみが、どういう行動を取ろうとね」ぴしゃりと、楠見は言葉を発する。「キョウは自分と周囲の安全を最優先して、きみを守らなければならなかった。怪我をしたのはキョウ自身の重大な失敗だ。きみが気に病むことじゃない」


また。伊織は思い知らされる。守る側と守られる側。その間にある壁。そうして言葉が継げなくなる。


「それともキョウにできないような仕事を任せたのなら、それは俺の責任だ。きみはおかげで危険な目に合わされたんだ、むしろ文句を言ってくれたっていい」


 冷たいような物言いの中に、けれど別の感情が混じっていて。伊織は顔を上げた。ぼんやりと、滲む視界に楠見を捉える。


 戸惑う伊織に、楠見はまた少しだけ表情を和らげた。「ただね――」自分の手の先へと視線を落とす。


「キョウはどうも、きみを守って問題を解決させるということを、単なるいつもの仕事とは考えられなくなっちまってるみたいだ」

「……え」

「……タイマを使ってサイの能力を奪う仕事をね、キョウはこれまで、ただ仕事として淡々とやってきた。やりたいとかやりたくないとかじゃなくね。この仕事を始めた時――」


 楠見は視線を斜めにずらす。そこに過去が見えているといように。


「キョウはまだ十歳だった。俺の仕事にはキョウのタイマが必要だし、キョウには自分の能力を使える仕事が必要だった。だけど、他人の能力を奪うということは、一人の子供が負うには責任が重過ぎる。それが世の中にとって必要なことであっても、相手がそれを望んでいたとしてもね。だから――」


 楠見は自嘲の混じったような薄い微笑みを浮かべる。


「俺はキョウに、余計なことは考えさせずに、ただ指示を与えてきた。キョウはそれについて、嫌だとかやりたくないとか言ったことはなかった。そもそもあいつは、自分の意見や希望を述べるってことを、ほとんどしないんだよ」


 ぼんやりと上目遣いに見つめていた伊織に、楠見は視線を戻す。


「きみの能力を解放したらきみが傷つくだろうから、封印を解きたくないだとかね。その後できみが自分の能力に耐え切れなかった時に、その能力を奪わなければならないことになるのが嫌なんだとかね、あいつは自覚していないかもしれないけれど、――誰かのことをキョウが、自分からそんな風に考えるのは、初めてだよ」


 伊織は目を見張る。たまっていた涙が零れ、頬を伝った。楠見は柔らかい微笑みを取り戻して、苦笑気味に言う。


「キョウには自分の口から、きみにそういう気持ちを説明をさせたかったんだよ。俺がこんなことを言ってしまうのは反則だ。まあだけど、あいつは自分の感情をまとめて表現するっていうのが恐ろしく苦手でね。本人に任せて、いつまでもまとまらないくらいならいいんだが、思い余ってまた銃で撃たれてみたりされちゃ困るから、横着して言ってしまうよ。聞かなかったことにしてくれるかな」


 そう言って、楠見は仕方なさそうにため息をついて、前屈みになっていた身を起こした。


「さてと。学校に戻るかな」


 まだ濡れた目でぼんやりと動きを追う伊織を、立ち上がって見下ろし、笑う。


「まあ、きみも無謀だったと思うけどね」

「……すみません」

「ハハ。次は事前に一言相談してくれると助かるよ。だけど、おかげで一人、口の聞ける人間を捕まえることができた。これで少しは進展するだろう。それとね」


 やっと謝罪を口にできて、ほんの少しだけ肩の荷を降ろした気持ちになった伊織に、楠見はそれ以上の気を遣わせないフォローの言葉と微笑を向けた。


「きみが『自分でも何かしたい』って思ってくれたこと、俺は嬉しいよ。きみは何もできない人間なんかじゃない」


 ふわりと、心が温かくなる。


「これまでのことと、今日捕まえた男からの事情聴取で、何が起きているのかおおよそのところは見えてくるだろう。でも、哲也くんを探さなければならないのは、また別の話だ。いずれにしても、きみの協力が必要になる」


 励ますように伊織の肩に手を置いて、楠見はドアへと向かう。そしてドアを開けながら振り返り、

「まあともかく、今日は早く休みなさい。疲れただろ?」


 そう言って出て行く。遅れて、伊織はごしごしと腕で顔を拭き、楠見の去っていったドアに向かって頭を下げた。

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