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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第3部 その一歩を踏み出すためには
73/88

73.伊織、緊張のあまり――

「――!」


 二度目の、今度ははっきりと倉庫内に鳴り渡る銃声を聞いたと思った瞬間、何かに肩を弾かれて横っ飛びに突き飛ばされた。体中に衝撃を感じ、硬いコンクリートの床に、手の平を突く。

 思わず一瞬だけ目を閉じ、体に圧し掛かる重みにすぐに目を開ける。誰かが自分の上に覆い被さっている。


 その肩の向こう側に、先ほど伊織に銃口を向けていた男を視認した瞬間、視界を黒い影が横切った。黒い影は、猫が高いところに飛び移る時にそうするように、一層目の回廊の手すりを蹴って上層に飛び移り、瞬く間に拳銃を持った男に飛びかかかって後ろから男の頭を殴り倒す。

 男は前のめりに倒れ、回廊の手すりにぶら下がるように崩れた。


「キョウ!」


 男の後ろの黒い影――ハルがこちらに一声叫び、すぐに鋭く階下の入り口のドアに目をやる。


「おいっ」伊織に圧し掛かっていた重みの正体が、勢いよく起きた。


(キョウ――?)


「行くぞ!」

 言うが早いか腕を強く掴まれ、引き起こされる。


 そのまま引きずられるように、事務スペースの通路に駆け出した。足をもつらせながら、伊織は引っ張られてどうにか階段を上る。ほんの少し前に哲也に導かれて上った階段を再び駆け上がり、今度は三階まで上って通路の突き当たりへと進んだところで、乱暴に腕を放された。

 突き当りの壁に背中をつけるようにして解き放たれ、伊織は空気が抜けたようにヘナヘナと床に尻をつく。


 その目の前で、伊織をここまで引っ張ってきたキョウが膝をつく。重いため息。右手で、左の肩と肘の間あたりを押さえて。

 呆然と視線をさまよわせた伊織は、その目に飛び込んできた光景に震え上がった。


 制服の袖から出ているキョウの左手に、赤い線が伝う。

 滴り落ちて、床に模様を作る。伊織の両目はその赤いものに釘付けになった。


(血――?)


「おい」

 目の前に膝をついて、キョウは左腕を押さえたまま伊織の顔を覗き込む。

「お前、怪我ないか?」


「え……」

 怪我? 俺……? だって、キョウが――。それ――。

 考えがまとまらない。答えが言葉にならない。


「おいっ、しっかりしろ!」


 幾分強い口調で言われ、伊織は焦点の定まらない目を上げた。わずかに眉を顰め、キョウが伊織の目を見つめている。


「哲也がここにいたのか?」

「え、っと……」

「哲也と、会ったのか?」


 何を聞かれているのか理解するのに、少し時間が掛かった。その間にも、床の赤い模様が少しずつ面積を広げる。伊織の目は再びそこに奪われる。


「しっかりしろって!」


 キョウが血に塗れた左手を上げた。恐ろしい光景がまともに目に入って、伊織は身を震わせる。と、キョウは戸惑ったように手を止めて、左腕を手で押さえたまま横の壁に背中をつけ腰を落とした。腕を押さえる右手の指の隙間からも、赤いものが滲み出す。


「っきしょー、いたのかよ!」

 うめくように言って、キョウは首をカクっと下げた。


 次の瞬間。階段を上ってくる小さな靴の音を、伊織は聞いた。

 早足とも言えない、それでも規則的な音で。近づいてくる。


 キョウは壁から背を離し、警戒するように片膝立ちになる。ぶらりと下がった左手から、また血が滴り落ちる。

 押さえていた傷口から右手を離し――その手に細身の刀が握られていた。


 伊織を背後に庇うように立ち上がり、キョウは近づいてくる足音に向けて構えの姿勢を取る。

 階段を上って現れたのは、先ほど倉庫で発砲した男と同じような格好をした、スーツ姿の男だった。その手にもまた、拳銃が握られている。

 男は伊織とキョウから扉二つ分ほどの距離を取って立ち止まり、こちらに銃口を向けた。キョウが伊織の前に重心を移し、構えていた刀をわずかに下げる。

 隙のない目で、片手で拳銃を握り、男はほんの少しだけ口角を上げた。


「タイマの使い手、だったね――また会った」

「あんた、こないだの……?」

「あの時は……いや、けれど、今は別件で仕事中なんだ。きみたちと争うつもりはない」


「よく言うよ。撃たれたんだけど?」不満そうに、左肩を少しだけ持ち上げて、キョウが抗議する。「あれ、あんたの仲間だろ?」


「済まない。人影に咄嗟に反応してしまったようだ。何しろ相手は、強大な能力を持ったサイだからね。見つけしだい無力化しないと、こちらが危険だ」

「だからって人いたら即撃つとか、危なすぎんだろ! どういう社員教育してんだよ!」

「申し訳ない。こちらは相原哲也の存在しか認識していなかったんだ。きみたちに気づいていれば、もう少し注意を払ったんだが」

「……だったらその銃下ろせよ」

「きみこそ。刀をしまいなさい。我々の用があるのは相原哲也だ。もう一度言うが、今ここできみとやり合う気はない。それに私にはもうサイの能力はない。次にそれを使えば、殺人を犯してしまうことになる」

「拳銃構えてるヤツのセリフじゃねえよ」

「もっともだ」


 男は不敵に笑って、キョウの背後――伊織に目を移した。

「相原哲也はどこだ? 彼を差し出すなら、このまま引こう」


 冷たい視線に、伊織は身を震わせる。


「知らねえってさ」

「ここにいたはずだろう? どこへ行った?」

「俺もそれ知りてえんだけど。あんたたちが脅かすから、口が聞けなくなった」


 男はかすかに眉を寄せ、キョウに視線を戻す。


「彼の居所はきみらには関係ない。我々が見つけて処分するだけだ」

「ふざけんな!」


 キョウの声色は、静かな怒りを含んでいた。


「ふざけてなんかいるものか。彼は危険な放火殺人犯だ。知っているだろう? 彼自身にも能力を制御できない。野放しにしておくわけにはいかない」

「あんたらがそうしたんだろう! 能力を開発しておいて、でかくなり過ぎたから処分する? なんだよそれ!」

「私たちだってこんなことはしたくないが、身内から出た災いの芽は刈り取らなければ。当然のことだ」


 刀を握るキョウの手に、力がこもるのが分かった。


「哲也の能力は俺が斬る(、、)。それで問題ねえだろ?」

「そう単純なことでもない。彼を外に出すわけにはいかないんだ」

「なんで……」


 不審そうに聞いたキョウに、男は喋りすぎたというように、不機嫌そうに小さく鼻を鳴らす。

「それこそ、きみには関係のない、内々の話だ。……相原伊織くん――」

 再び男が伊織に目を向ける。

「きみとはきみ自身のこと(、、、、、、、)でじっくり話がしたかったんだが、今はひとまず哲也くんを捜したい。一緒に来てくれ」


「なに勝手に話進めてんだよ! 行かせるわけねえだろ!」

 キョウが怒気を孕んだ声を上げる。男は落ち着いた目をキョウに向けた。


「哲也くんの件が片付いたらすぐに帰す。約束するよ」

「信用できるか!」

「先ほどから言っているように、今の我々の目的はきみや伊織くんではない。きみたち(、、、、)と事を構えるのは本意ではない」

「哲也も渡さねえって言ってんだよ!」


 ふっと、伊織の心の底に触れるものがあった。緊張に強張っていた体に、ほんの少しだけ温かさが戻る。が、心に触れたものの正体を探る前に、男は剣呑なため息をついた。そして、物分りの悪い子供に言って聞かせるような視線を向けて、言葉を継ぐ。


「我々は、犯罪組織などではない。サイ犯罪を防ぐ立場の者だ。きみたちと利害を異にすることはないと思うが?」

「やり方に問題が大有りなんだよ」

「見解の相違だ。けれど、今は急を要する。きみに分かってもらうまでゆっくり話し合っている場合ではないんだ」

「……意見が合ったじゃねえか」


 吐き捨てるように言って、キョウが刀を構えなおしたその時だった。男の背後、階段の影からちらりと人の手のようなものが現れた。

 つい目を奪われてしまった伊織の視線か、それともキョウの意識がそちらに向いたのを追ってか、男が振り返ろうとした瞬間。その立っていた足元の床が、音を立てて砕ける。


 体勢を崩す男。持ちこたえようとたたらを踏みながら数歩下がったところで、階段から飛び出した人影が、男の拳銃を握る右手に取り付いた。

 抵抗する間も与えず男の手から拳銃を叩き落し、皮の手袋をはめた手で正面から男の顔に拳を叩き込む。

 男は勢いよく後方に弾き飛ばされ、尻餅をついた体勢で軽く首を振ると、素早く体を反転させて右手の階段へと転がるように体を消した。間もなくしてガラスを割る音が聞こえる。


 追おうと足を一歩進めたキョウを、男を殴った人物――黒いレザースーツに身を包んだ、髪の長い美しい女性だった――が階段に目をやりながら片手を上げて止める。


「追わなくていいわ。下で一人拘束している」


 一瞬の出来事だった。その後に、わずかの間、沈黙が落ちる。


 キョウは大きく息を吐き出して右手の刀を消すと、再び傷口を押さえて背中を壁に預け、疲れたようにその場に腰を落とした。伊織に目を向けて、砕け散った床を顎で示す。


「こないだのコンクリート剥がし、パクってやった」


 レザースーツの女性は、首を一振りしながら髪をかき上げると、場にそぐわない超然とした視線を伊織とキョウに向け、すぐにブーツの足音を響かせてこちらに近づいてくる。


「……撃たれたのね?」

「さっき下で。掠っただけだよ」


 上から投げ下ろすような落ち着いた問い掛けに、キョウが壁に背を持たせたままため息混じりに答える。女性にしてはハスキーな、それでいて妙に艶っぽい声、気だるげな口調で女性は言った。


「そんな怪我で、おいた(、、、)なんかしちゃダメじゃない」

「向こうから話しかけてきたから、立ち話に付き合ってただけだよ」


 突如として現れた女性に、バツの悪そうな表情を作って、旧知の人物を相手にするような口調で答えるキョウ。知り合い――味方か? ほとんど働くことを忘れている頭の片隅でそう判断し、伊織は少しだけ力を抜いた。が、女性の視線を追って、また緊張がよみがえる。


「そう――?」

 キョウの目の前までやってくると、女性はしゃがみ込んでその左肘を取った。そして短く検分すると、長い指でキョウの制服のボタンを外し、

「脱ぎなさい」

 艶然と促して、両手で胸元を広げる。


 キョウは、渋々といった様子で、女性に手伝われて制服の上着を脱ぐ。破れた部分から下が真っ赤に染まったワイシャツの袖が露わになった。

 そこでキョウが、伊織を気にするようにチラリと視線を向けた。それにつられるようにして、女性も伊織へと目を上げる。

 ためらいもなく破れ目からシャツの袖を裂き、自分の首に巻いていたクリーム色のスカーフをスッと引き抜くとキョウの腕にそれを巻きつけ、そうしながら、考えるべきことも発すべき言葉も見つからずに小さく震えている伊織にさり気ない調子で声を掛けてきた。


「あら、ボウヤったら――」

 呆れたような笑顔を作って。唇の端が挑発的に吊り上がる。同時に、キョウの腕に巻いたスカーフを絞り上げる。


「あたしのこと、忘れちゃったのかしら? 美味しいコーヒー入れてあげたのに」

「……え?」

「でーー! 影山さん! 痛てえ、それ! 痛てえってぇ!」


 スカーフの両端を両手で持って、キリキリと締め上げながら、女性は抗議の叫びを上げるキョウに視線を戻した。


(え、影山さん……?)


 理事長室で見た、隙のないオフィススーツ姿の女性秘書と、目の前のレザースーツの女性が結びつかず、伊織は混乱する。


「ちゃんと止血しなくっちゃ。ガマンなさい。オトコノコでしょう?」

「てか必要以上に痛てえってぇ!」


 影山はスカーフを慣れた仕草で器用に縛る。


「痛かった? ごめんなさいね。ちょっと興奮しちゃったみたい」

「なんだよ、それ……」


 左腕を影山に預けたまま、キョウは恨みがましく上目遣いでつぶやいた。

 場違いに艶めかしい微笑みを浮かべ、影山は吐息の混じったような声色で囁くように、


「だって、綺麗なオトコが血を流してる姿って、ゾクゾクするんですもの……」

「……は……?」

「もっと締め上げたくなっちゃう。ね、もう一回やっていい?」

「や、やめ……っ!」


 改めて触れたそうな影山の手を小さな動きでかわして、キョウは警戒するように壁に背をつけたまま数センチだけ体をずらした。

 と、そこへ、


「キョウ!」


 手に、そこらへんに落ちていたような銀色のチェーンをぶら下げて、ハルが姿を見せた。辺りを一瞥し素早く状況を掴んだようで、チェーンを捨て走り寄ってきて膝をつく。

 キョウの左腕を肘から取り、きつく巻かれたスカーフに血が滲み出ているのをじっと見ながら、ハルはため息を落とした。


「――哲也くんは?」

「いなかった」


 キョウが悔しげに答えると、ハルも肩を落とす。


「そうか……」


 すぐにあおいが姿を現した。キョウの前にやってきて、屈み込む。


「キョウ、撃たれたの?」

「掠っただけだって」


 腕を取ったまま、ハルはキョウとあおいに交互に目を向けた。


「下で一人拘束してる。倉庫で銃を撃ったヤツ。もう一人いたんだけど、逃げられた。ここに来たヤツも、階段の窓から脱出したみたいだな」

「窓から入って、窓を破って逃げたのよ。音を聞いて追ったけど間に合わなかったわ」

「もう一人はスガワラじゃねえの?」

「違うね。初めて見るヤツだったと思う。下の男は――」


 キョウがハルの手に取られている左腕に一瞬目をやって、ハルの言葉を引き継いだ。

「こないだ俺が斬ったサイだな。ここ来たヤツも」


「たぶん……」答えながら、ハルは腰を上げた。「帰ろう。歩けるか?」


「ああ」

 キョウは億劫そうな動きで壁に背をつけたまま立ち上がった。その腕を支え、ハルは影山に目を向ける。


「影山さん、ありがとう」

「どういたしまして」

 影山は流し目でハルに答える。


「骨にまでは影響ないと思うわ。キツくしてあるから、少ししたら一度緩めて」

「うん。伊織くん――」


 ここへ来て初めて、ハルが伊織に目を向ける。緊張のあまり吐き気までしてきた伊織は、視線を向けられてさらに心臓が止まりそうになった。


「大丈夫? 怪我ない?」

「あ、あ、の……」


 言葉が出ない。


「お嬢、伊織くんを頼む」

 伊織が自失状態と見ると、ハルはあおいを振り返って言う。あおいは「いいわ」と頷いた。


「入り口に古市さんがいる。そっちに向かって。俺は一度念のため、建物全体を確認してから行く」


 そう言って、端から一つ一つの部屋のドアを開けて確認しだしたハルを残し、ほかの者は階段を下った。

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