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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第3部 その一歩を踏み出すためには
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70.言づて。廃倉庫。深層のリミッター

 教室に入ろうとしたところで、知らない男子生徒から名前を呼ばれ、伊織は足を止めた。


「相原哲也さんから、伝言を預かっていて……」


 さらに思ってもみなかった言葉を告げられ、目を見張る。


「……哲也さんを、知ってるの? あの……どうして……」


 週の初めに配られたビラを見ての嫌がらせかと一瞬頭を過ったが、相手はそれを悟ったのか、戸惑った顔で片手を宥めるような形に上げた。


「あ……俺、八組のミネオっていうんだけど……」


 口の中でボソボソとそれだけ言うと、少し辺りを窺うような素振りを見せ、それから「ちょっといいか?」と目線で階段のほうを示し先に立って歩き出した。

 呆然とした心境のままついていくと、階段を四階まで登り切り、屋上へと続く踊り場で立ち止まる。


「あのさ、哲也さんの従兄弟だろ? 俺、哲也さんの塾の後輩で……昨日の夜、これを預かったんだ」


 言いながらポケットから、折りたたまれた小さな紙を出した。受け取って広げると、「五時に待つ」と一言だけの伝言と、待ち合わせ場所らしい住所、そしてそこへの地図が書かれていた。

 昨日の電話で、待ち合わせの段取りを後で知らせると哲也は言っていた。これが、それだというのだろうか? 事情も関係もよくは分からないが、このミネオという男子生徒に託して――?


「神奈川県……相模原市……ここに、哲也さんが……?」

「ああ、えっと……俺もこれを預かっただけだから、よくは分からないんだけど……」


 言いにくそうに口ごもりながら、ミネオは斜め下に視線を向けて、床にでも話しかけるように続けた。

「一人で来い……って……ほかの人間には、その……知らせないで……」


 伊織も思わず周囲を窺う。誰も自分たちの会合を見ている者はいない。すぐに発てば、誰にも気づかれない。しかし、次の授業をいきなり欠席すれば、ハルやあおいは不審に思って捜すだろう。


(彼らには――)伊織は昨夜から、眠ることもできずにずっと考え続けていた。(まだ知らせることはできない)


 誰も信用していない様子で。誰にも言わずに一人で来い、と言っていた哲也。

 彼との待ち合わせを楠見やハルたちに告げ、その場で引き合わせることも、考えた。けれど。楠見たちが哲也を助けてくれるのだと信じてはいても、伊織を信用し連絡を取ってきた哲也を裏切るような形で、他人に彼の居所を密告するのはやはりためらわれる。

 哲也もそれでは、大人しく楠見に事情を打ち明け進退を委ねたりはできないだろう。

 制御の利かないという能力で、万一争いになってまた誰かを傷つけたりするようなことになっては、やり切れない。


 哲也を説得して、納得してもらって楠見たちに会わせるのでなければ――。ぼんやりとした考えは、決意と言っていいほどに固まっていた。

 もう一度それを強く心に決めて、ミネオという男子生徒に目を向けた。

「あの、ありがとう」


「え、いや……その、……行くのか?」

 どこか不安な面持ちのミネオ。


「行くよ。哲也さんを助けて、俺の問題も解決させたいんだ」


 自分に言い聞かせるように、伊織はそう言葉にしていた。ミネオは戸惑ったように、また目を伏せた。何事か言いたげな様子に、数秒間だけ待ったが、続く言葉はないと見て伊織はもう一度「ありがとう」と声を掛け階段を下る。


 教室の前で一度立ち止まり、携帯電話を取り出して、紙切れに書かれている駅までの行き方を調べた。授業が終わってから出てギリギリ五時に着けるか、という距離だ。

 どうやって、ハルやあおいの注意を離れさせるか……。


 考えていると午後の授業開始の予鈴が鳴り、直後に教室に入ってきたハルと目が合った。ハルは、自分の席に着く前に、伊織のところへとやってきて、心配そうな目を向ける。


「伊織くん、顔色悪くない? 大丈夫?」


 ハルの鋭さに、伊織は内心で舌を巻く。


「え? 平気だよ?」


 そう答え、斜め後ろの席でやり取りに気づいて気遣わしげな表情をしているあおいにも笑いかけた。ごまかし切れないかもしれないと思ったが、ハルは釈然としない様子ながら深くは追求せずに、「それならいいんだけど……」と席に戻っていく。


 集中できないままに、五時限目の数学の授業を受けた。


 哲也の事件のことのみならず、伊織の昨日の喧嘩騒ぎまでが知れ渡ってしまっているのか、朝から一日中クラスメイトの視線が痛い。昨日までの、「放火殺人犯の従兄弟」に向けられた視線とは、また少々違うような気もする。伊織の顔には小さなアザと絆創膏が残っているし、さらに具合の悪いことに、喧嘩の相手の中西は欠席しており、注目は伊織一人に集中しているのだ。

 ハルもあおいも、それを察して気遣ってくれているのかもしれなかった。


「やっぱり気分が悪いんじゃないの?」

 次の休み時間に、ハルがまたそう言って伊織のもとへとやってきた。


「いや……あんまりよく眠れなかったから、そのせいかな……」

「診療所に行く? 少し休んでくれば?」


(……そうだ)


 伊織は顔を上げる。次の英語の授業は、教室移動がある。ハルともあおいとも、クラスが離れるのだ。


「……いや、大丈夫だよ。授業もあと一時間だしさ」

「そう?」

「うん……もしも授業中に気分が悪くなったら、診療所に行くよ」


 それで少しは時間が稼げるだろうか。不自然な態度になっていないか気にしつつ、ハルに笑いかけて、席を立つ。次の授業で使う教科書とノートを持って。財布も携帯電話もポケットに入っている。カバンは……明日どうにでもなるだろう。


「じゃあ俺、次は六組の教室だから」

「うん……無理しないでね?」


 ハルの気遣いに心が痛んだが――六組の教室に入って始業チャイムを待ち、チャイムと同時に入ってきた教師に、伊織は体調不良を訴え早退の許可を願い出た。








 倉庫の影から顔を覗かせて、相原哲也は周囲の様子を窺った。

 辺りにはひと気はない。誰もいない。アスファルトの割れ目から草の生え出している広い駐車場の脇に、何年も動かしていないようなトラックが二台。門の脇には塗りつぶされた看板。その横に小さな守衛室が建っているが、これも壁がひび割れ窓ガラスは足元に砕け散っていた。


 静まりかえった廃倉庫――。

 並んだシャッターの前を通り過ぎ、迷わず側面のドアへと向かう。ガタ付いている入り口のドアを押すと、鉄の重みはあるものの、ドアは簡単に開いた。

 左右に受付や応接室などのプレートの貼られたドアが並ぶ、暗く短い通路を抜けると、広い倉庫スペースに出る。

 夕暮れ時に近いが、窓からの明かりで辛うじて内部の視界は保たれている。

 コンクリートの打ちっぱなしの床には、ワイヤーやチェーン、鉄屑のような、なんとも説明しにくい雑多なものが所々に落ちている。隅のほうに、パレットを解体したような木片が積まれているのを視界の端で確認した。


 以前、仕事で利用したことがあるため、勝手は分かっている。近所の不良少年が悪い遊びに使っていたような跡はあるが、警戒が厳しくなったためか、ほかにいい場所が見つかったのか、今は立ち入る者がないことも知っている。

 吹き抜けの倉庫の周囲の壁には、積み上げた荷を上から捌くための二層の回廊がめぐらされ、奥は三階建てになっていて事務スペースが続いている。その各部屋の配置も、出入り口の場所も把握している。

 ひび割れと埃とクモの巣だらけのがらんどうには似つかわしくない、性能の良さそうな天井の防犯カメラが、しかしダミーであることも哲也は知っている。


 誰もいない――。しかし、長い時間ここにいることもできない。


 何か、自分の居場所を突き止める手段を、「敵」は持っているのだ。

 安全だと思っていた峰尾裕介の家。そこにも組織の手が伸びてきたらしい。


(もう、あの家に行くことはできない――)


 自分の身も危険ではあるが、それよりも、裕介にこれ以上の迷惑は掛けられない。裕介の困り果てた顔を思い出し、胸が痛んだ。まったく関係のない哲也の事件に巻き込まれ、途方に暮れ、迷惑そうな顔をしながらも、どこかで哲也の身を心配して気を遣ってくれている様子が温かかった。

 誰も知らず、誰にも知られない場所で、たった一人で戦うことなど、できないのだ。自分には、たぶん。


(甘えてたな……)

 自嘲して、哲也はため息をついた。


 伊織に会って、話すべきことを話したら、自分はどこか遠いところへと逃げよう。


 裕介の言う通りだ。仲間や後輩の身を案じたところで、哲也にできることはほとんどない。何かの拍子に能力を暴走させ、周りに被害を与えてしまう前に。人のいない場所に行ったほうがいい。

 警察に行くこともできない。組織や自分たちの存在が明るみに出るのを恐れて警察を避けていたが、今となってはこの体で警察に捕らえられることが恐ろしい。


(また――あんなことになったら……!)


 唐突に、あの場面が脳裏に浮かび、哲也は口もとを押さえた。胃液がこみ上げ、胸を圧迫する。堪らずに、壁に手をつき膝から床に崩れた。少しの間、嘔吐感に耐える。


 火に包まれた両親。殺すつもりなどあったはずもない。火をつける気もなかった。

 何度かの実験で、自分が家を燃やしてしまえるだけの発火能力を身につけたことは分かっていた。感情の昂りで、意図せずに思っていた以上の能力を発現してしまうことも、知っていた。それでも、まさか、人を焼き殺してしまうなどとは――。


 どんな大きな能力を持ったサイであっても、通常、人間の生命に関わるような能力を発現しようとすれば、無意識にブレーキがかかるものだと聞いていた。人の心を持たない冷酷な殺人鬼でもない限り、誰でも、意識の深い部分にリミッターを持っているのだと。


 だとすれば、自分は膨大な能力を持ってしまったのと同時に、人間ですらなくなってしまったのかもしれない。日を追うごとに、能力を使うごとに、擦り減るような疲労感に体が言うことを聞かなくなっていくのも、その報いか。


(戻りたい――)


 激しい嘔吐感と戦いながら、思い浮かんだのはそんな言葉だった。こうなる前の自分に。能力を活かして、働いていた。大したことのない、普通の人間とは少し違うという程度の能力だった。それで良かったはずなのに。もっと大きな力を身につけたいと願った。もっと強くなりたい。もっと自分の能力を世の中の役に立てたいと――。


(戻りたい――)


 こうなる前に……いや、能力などなかった頃の自分に。子供の頃の。みんなと同じように進学して、大学へ行って、普通の会社に就職して――それで良かったのではないか?

 こんな能力、なくたって――


 ――能力をなくしたいのか?


 ふと、そう言った少年の姿が脳裏に浮かんだ。綺麗な目をした少年だった。


 咄嗟には答えられなかった。この能力のために、いろんなものを犠牲にしてきた。友達もできなかった。家にはいられなくなった。最初、異様な能力を持った息子を疎んでいた両親は、組織から金がもらえるとなったら今度は息子のことを金づるとしか見なくなった。

 それでも、ほかの誰にもない特別な能力を使って世の中のために働けるなら、それでいいと思ってやってきたのだ。

 この能力を、ためらいもなく手放すことはできなかった。けれど――。


 再びあの少年に会えたら。

 自分の能力を斬ってくれと。解放してくれと、懇願するかもしれない。


(だけど、もう戻れない)


 分かっている。人を殺してしまったのだ。もとには戻れない。もう二度と、無垢な気持ちに戻れる日は来ない。将来を思い描くこともできない。


(誰か、助けてくれ――)


 嘔吐感はやまず、全身にだるさが広がり、哲也はその場に手をつき伏した。

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